«前の日(12-16) 最新 次の日(12-18)» 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|

  1. ぜぶら (12-20)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

17-12-2003 / Wednesday

_ 寒かったな。窓枠が結露している。

タイツ、スパッツ、ニットスカート重ね履きは部活の女子学生の冬の帰り道のようで、いささか自分自身に幻滅。その上にコートを羽織ったいでたちでポストまで往復するなんて、女の風上にはとてもおけない。いや、おいてもらわなくてもよい。寒いのだから。はあぁ。。。

私って、誰なんだ?!

_ 「黒猫のタンゴ」のドーナツ盤がうちにあるのだけど、そのB面は

♪ニッキニャッキ〜 なんとか〜 / そのことばをいったら / きえちゃうの / きらいなものなら / なんでもきえる / ふしぎなことばよ / ニッキニャッキ〜 なんとか〜

だった。ほんとに消えるのかどうか試したことはない。レコード、たくさん持っているのに、今、それを聴くための媒体がない。レコードプレーヤーが欲しいな。聴きたいのは音楽ではなくて、「おはなしレコード」。


17-12-2006 / Sunday

_ おともだちとお買い物へ。なんかですね、とにかく散財してしまって、反省しまくりです。。無意味な自己満足な反省。なーんのしがらみもなく、ただただ某国語学習の進捗具合だけ話していればよいだけのおしゃべりが楽しい。マニキュアがきれいに塗れているねとか、今日のお昼はおいしかった、次はあの食堂に行ってみようかとか、このバスに乗ったらどこにいくかしらねえ、とか。互いのバックグラウンドも別に問うことも問われることもなく、ただひたすら、週末のレベルチェックテスト。あ、ちなみにわたしは78点で、成績はBでした!大好きな先生には、「やはりもう一週間、受動態をしたほうがよい」といわれました。はいはい、もう先生と一緒だったら、一日中、受動態を話しますー。

夕べは地鶏でだしを取って、チキンスープ。週末の殺生である。ジャガイモ、セロリ、にんじん、なにかの根菜を切り刻んでペニースープにする。レモングラスとかよくわからないハーブ類も適当に放り込む。おいしい。ご飯にかけて食べる。おいしい。

ヨガの最中に友だちがきたので、汗だくのまま話をしていて、風邪を引きかけた朝。でもなんか元気。

近所にディスカウント新古書店がある。膨大な量の書物。週末はここで掘り出し物を探す。といっても、もうほとんど持っている本ばかりなので、珍しい辞書関係を扱っている専門店でおしゃべりするだけ。あとは新刊の小説を漁ったり。

静かな中で、時々、ふと、心の中のざわめきが聞こえてきて、どうしようもなくなることも、ないわけではない。そういうときは、ひたすら腹式呼吸。自分を律するということと、我慢するということと、まだ区別がつかないでいる。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ ぜぶら [自律と我慢の違いね。 自律は段々といい感じになる。雑草取りのような。 我慢、あんまりしたくない感じ。いわれてやる雑草..]


17-12-2008 / Wednesday

_ なにが決め手だったのですかとよく問われるのだが、一番の決め手は、わたしのことを日本人だから気に入ってくれたというのではないことかなと思う。一段離れた場所から、わたしが東奔西走していたのを見ていて、わたしが頼んだときだけ、手をさしのべてくれたような気がする。が、わたし自身は手を借りるのがとてもいやだったので、いつも無愛想であった。差し入れのお菓子をもらったときなど、これを食べたら魔術にかけられてしまうと本気で思い、こっそり子どもらに分けたものである。どこでその禁断を口にしてしまったのだろうか。


17-12-2009 / Thursday

_ 昨日は一日、家で養生していたので、夜にはなんとか腰のひねりの痛みも和らいでいた。今日はどうしても大学に行かないといけなかったので、お風呂にも入ったし暖かくして、寝る前には逆子体操もして就寝。なにもしてなくても疲れていたのか、すぐに寝付いた。そして、明け方。尋常ならざる腰の痛みに耐えかねて、目が覚めた。横になっていられない。慌てて、いつものように一旦、横向きになって起き上がろうとしたところ、背中の筋なのか脇腹の筋なのかがまるで鉄筋のように突っ張って、呼吸もできないくらいの痛みが走る。思わず、両手をついて、バネ仕掛け人形のように起き上がった。布団の上で正座するも、背中に突き刺さった鉄筋が呼吸を妨げる。なんとかして楽な姿勢を探そうとするのだが、水に溺れてしまったかのように呼吸ができない。余りにも浅いけれど、とにかく腹式呼吸をなんとか繰り返して、母を呼ぶこと約30分。呼吸ができないくらいだから、声も届かないわけだけど、なんとかやっと振り絞った声が届いて、母が来てくれた。しかしそれからがたいへん。

明け方4時。とりあえずかかりつけの産婦人科のある病院に電話するも、産婦人科の当直医がわたしの主治医ではないということで、なんともしようがないと言われた。主治医は家で寝ているはず、などと言われたようだ。119番したところ、近所の総合病院で、整形外科医と産婦人科医の当直がいるところを紹介される。しかし、よその病院に罹っている妊婦だから、見てくれるかどうかはわからないという。筋違いあるいは寝違えたのであれば、しばらくすれば痛みは引くはずだといわれたようだ。

この時点で、もうある意味、どうしようもないことはわかっていたので、とにかく少しでも楽な姿勢を探す方向に気持ちも落ち着き、また浅いながらも腹式呼吸のおかげか、少しずつ、体も慣れてきた。漸う、背筋をまっすぐにして背中と両脇に布団やら毛布を堆く重ねた砦の中にいれば、少しましなことがわかった。落ち着いたその瞬間、急にまた咳が出て、もうそれはそれは、気絶した方がましという状況に陥る。足をばたばたとさせ、両手で空をつかむ。母も驚いたことだろう。さすろうにも、一体何がどうなっているのか、わたしもわからないから、どこがどうだとは説明できないのだ。話をすることすらできないくらいに呼吸が苦しい。

とにかくここはもう一旦、激しく咳き込んで咳を終わらせようと本能的に思って、気絶してもいい、背骨が折れてもいいと思い直す。大きく咳き込んでみたら、脳天まで電撃が走った。

なんとか意識はあったので、そのまま毛布と布団の上にもたれて、楽な姿勢を探した。この時点で5時半。咳止めの漢方薬としょうが湯を飲んで、とにかく落ち着く。その後少し、うつらうつらしたようで目覚めれば、8時半。大学に行くなど、とんでもないとようやく自分でも納得して、背中に温湿布やら貼るカイロやらをセット。横になろうとするも布団にもたれるのが精一杯。やむなくそのままお昼まで過ごす。昼食後は具合も大分とよくなって、毛布にもたれたままやっとゆっくりと眠ることができた。

だらだらとどれほど辛かったかを書いたのだけど、今日、母と語り合ったことは、日本の医療事情。どこに電話しても、「責任」ということばが直接的に、あるいは間接的に、治療を必要としている人に伝わってくる。救急治療という場面ですら、いやだからこそなのか、「それでもいいのですね」という確認とその受容が求められる。いやー、辛かったです。


17-12-2012 / Monday

_ 新しく取った資格を試すために、こちらの大学に履歴書を送ってみたのが出発の三日前のこと。翌日には学科長から返信があった。ちょうど今、来年2月に契約が切れる人の後任を探すために動き出そうとしていたところで、願ったり叶ったり。こちらに来ることがあったら、ぜひ知らせて欲しいという内容だった。で、こちらに来てから一週間目に面接に行ってきた。基本的には人材不足なので、ぜひ採用したいとのこと。しかし問題は給与を含めた待遇のことで、もしかしたら納得はしてもらえないとはわかっている、しかし一度、検討してみてくれはしないかという話になった。ここにこういうことを書くのは、もう断った話だからなのであるが、こちらのブルーカラー労働者の最低賃金以下の月給を提示されたのだった。ただし、大学の正規の職員だし、保険は家族全員かけてあげる、住宅についても職員住宅ないしは外国人研究者用の寮に入れるようにするとのことだった。しかし、ブルーカラーの最低賃金の7割くらいの給料である。ということは、普通のホワイトカラーの人々(大学の先生も含めて!)の5分の1くらいの給与ということである。納得いかないとかそういう問題ではなくて、ただただ笑いそうになった。学科長は、自分の給料だってそれくらいだという(嘘であることは百も承知)し、学位もあって資格もあって凸凹大学なんだから、そのうちすぐに待遇もよくなりますよと言うのだが、それを鵜呑みにできるはずもない。もちろん、わたしは日本に帰ったら、ただちにパート職に復帰するような、考え方によってはこちらのブルーカラーの方々よりもさらに薄給の貧乏人ではある。これは間違いない。でも、さすがに提示された給与では、ガソリン代や携帯電話代だって払えないくらいの金額なのだった。とても無理。夫がいるとかいないとかそういう問題ではなくて、いざというときに、日本に帰国するための貯金がまったくできないことや、国民年金を払うための余裕もないくらいの金額に甘んじてはいけないのではないかと思ったのだった。がんばれるうちは、もう少し、日本でがんばるしかない。今回、そういうことを思ったのだった。すごく期待して資格を取ったわけではなかったけれど、こういう事態も想定していたから、あまりショックはない。絶望しすぎているから、もう期待もなにもできないというほうが正解なのかもしれないが。


«前の日(12-16) 最新 次の日(12-18)» 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|