_ 帰って来た。学会のことは聞かんでやってください(笑)。今度こそほんまに死にたくなった。しばらく腐っていて、夫にははなはだ迷惑をかけました。
それでも無理していろいろ仕事を少しこなして、ペンディングになっていたカルガモさんの共同体メンバーに入れてもらうためのイニシエーションも無事にこなし(肝心なところでビデオの録画スイッチを入れ忘れてしまい、そのことはこの期に及んでもまだ夫には話していません)、むちゃくちゃへとへとになってしまったということもあります。予定よりも早めに帰国することにしてしまいました。夫にはかわいそうなことをした。その間も、とにかく腐っているか洗濯しているかのどちらか。毎日一回は手抜きをしようと思って、カルガモさんを連れて外国人向けのカフェやレストランでゆったりとした食事を取ることを心がけた。時にはプールに泳ぎにも行った。その合間合間に、書かなければならないものを書いたり、調べなければならないものを調べたりもした。日本人会の付き合いも疲れない程度にこなした。妊娠して以来、乗るのを止めていたバイクに乗った初日、運悪く、検問に出くわした。運悪く、免許証もバイクの所有者であることの証明書も携帯していなかった。外国人はぼったくられるで〜と聞いていたのだが、検問突破する勇気もなかった。意を決して、外国人のふりをして(パスポートのコピーさえ持っていなかったのである)、「Wow, I am so sorry...」と言いかけたらば、「Ok, ok, please go ahead」と、無事に通されたのであった。よし、これからはこの手で行こう、などと少しだけうれしくなった。子どもが生まれて以来、自分のものを買うこともまったくなかった。思い切って散財するぞーと、繁華街に向かった。こんなん自分で縫えそうなどと思ってしまうからか、以前のように張り切って買い物もできなくて、驚いたりする。残してきた子どもと夫のことを少しだけ気に掛けながら、久々の自由を満喫すべく、すべての道を南北東西に駆け抜けて、大満足して街道筋の屋台で晩ご飯を包んでもらって帰宅したあの日。カルガモさんがさんざんに泣き疲れて腫らした顔で、とっぷりと暮れた夕闇の下宿の庭で、夫に抱かれて座っていたのだった。自分の都合で某国くんだりまで連れてこられ、父親に会ったはいいけれど、人見知り真っ最中でさんざん泣きわめいてようやく父親のことを思い出したと思ったら、また母親の都合で日本へ帰るのである。不憫やなあと思うのだけど、そういういろいろを家族で乗り越えたなあという感慨が、今回は大きかった。夫が寛容であることに甘えすぎてはいけない思いつつ、またしばらく日本で暮らす。