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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

20-03-2004 / Saturday

_ 気怠い。

だましだまし使っていたマウスがついにダメになったので、慌てて小雨の中、買いに行く。交換して思ったこと。「マウスって、こんなに速く動くものだったのか!」ということ。

速すぎて、視力が追いつかないくらいなので、速度を最遅に設定しても前のよりも速い。前のは後期課程の一年目に買ったパソコンについていたもので、ボールが中に入っているもの。なので7年前に買ったものなのだけど、それはマウスの寿命としては長い部類なのかな。

あと、知っている人は知っているのですが、タイピングが結構速い部類です(トラちゃんよりは遅い)。undergradのときに、どういうわけか英会話の講義が当時としては超最新鋭の内容で、「パソコンを使って英作文をする」でした。MS-DOSの画面でディレクトリを指定された階層に作って、そこに指定された内容の英作文を放り込んでおかないと、いくら文法的に間違っていなくても「ダメ」なのであった。また、余計なディレクトリを間違って作ったりしたら、それもまたきれいに削除しておかねばならなかった。また、英作文はいちいちノートに書きながらやるのではなく、まずモニター上で書きながら、頭の中で考えつつやること…という指示もついていた。今、DOS画面の使い方、ディレクトリの変え方も覚えていませんが、そのときに講義開始前に10分間必修だったタイピング練習の効果だけはあったみたい。というのも、英語も聴き取れない、英作文もできない、MS-DOSのコマンドも覚えられない私は、タイピングくらいしかできるのがなかったのでした。

お彼岸のお団子を食べて、ごろごろする。

_ 最近、読んでいた日記がどんどんなくなっていって、ちょっと寂しい。お引っ越しだけされた方もこの3月は多かった。なので私も…とか思ってみても、この頃は新しいデザインとか考えるのが億劫になっていて。またそういうのが楽しいと思う日が来るかもしれないのだけど。ずっと好きだったことが、すこーんとイヤになってしまう瞬間というのがやっぱりあるのだなあと思う。今、そのすこーんという「いやいやえん」な気持ちが○×と▲◇関係に生じていて、わたしゃどうすりゃええのだ…と、ちょっとお疲れ気味になっています。一人だけ盛り上がっている状況が長く続きすぎたので、なんか寂しくなっているだけなんだろうけど。

_ スコーン、これは相変わらず、おいしいと思う。先月の下旬に友だちと食べた紅茶やさんのスコーンは、ほんとにおいしかったなあ…。あとケーキも。もう巨大な二等辺三角形の上に、こぼれ落ちんばかりにベリー類が乗っかっていて、ため息がでるほどにおいしいケーキでした。遠いから滅多に行けないのですが、お近くの方はぜひいらしてみてください。ここ、サンドイッチもおいしい。一人で行っても楽しいお店って、貴重です。


20-03-2006 / Monday

_ そういえば、華人集団と話していてなぜかまたラオスへ行こうという話で盛り上がった。なぜなのだろう?なにがラオスに駆り立てるのか、またしてもわからないままに酩酊してしまった。50度の自家醸造のお酒をみんなで飲んだのだけど、これは薬なのだとか。だから二日酔いしないと言われて飲んだものの、たいへんなことになった。まさに薬のアルコールの味がするお酒と、味のないウォッカみたいなのと混ぜて飲んだ。ちゃんと歩くことができたし、気分も悪くなかったけれど、昼間のことがあったので、タクシーで送ってもらったら、もう気分が悪いの悪くないのって。あまりの気分の悪さに、ホテルに帰ってしばらくソファに沈む。ベッドで横になるのが不安になるほどだった。落ち着いてからホテルの隣の711にミネラル水を買いに行き、湯船に浸かりながら水分補給しようと思ったら、なんと水しかでないお風呂だった。このホテルは、部屋によってクオリティが極端に異なる。震えながら、コイル式湯沸かしでお湯をわかして、洗面台にお湯を張って蒸しタオルを作ってしのぐ。そうこうしているうちに酔いも収まる。翌日、慌てなくて済むようにパッキングして着替えを出して寝たのがまたしても2時。起きたのが4時半。眠さも峠を越してしまった今、またしても夜更かし中。なんだかこれではだめな気がする。

_ 夜、久しぶりに伝統音楽の生演奏を聴いた。といっても、偶然、歩いていた道沿いの集会所での練習風景に遭遇したのだった。端っこに椅子を出してもらって、静かに聴く。いろいろと迫り来るものがあり、目頭が滲んできたかもしれなかった。随分、熱心に聴いていたらしい。あとで、団長さんが挨拶に来られた。放心していたみたい。音楽を聴いて、魂を奪われたのは、かなり久しぶりのことだった。人の心に訴える音楽って、確かにありますね。ホテルに帰ってからも、夜、眠れなくなる。仕方がなく、テラスで、カモミール茶を飲みながら、日誌整理。夜になると寒い。寝たのはもう2時前だったかな。眠いのだけど、音楽がずっと頭の中で鳴り続けていた。

朝、4時に起きて、水浴びして、空港へ。寒い。かばんから襟巻きを出して巻く。暖かい飲み物を飲もうと思ったのだが、コーヒー一杯、千円也、とある。ポケットに両手を突っ込み、ベンチに横になる。昔はホテル代を惜しんで、よく空港の玄関で寝た。今思えば、トランジットのマニラの空港が一番、怖かった。。ほんとーに、怖かった。なのに、眠れたのはなぜだったのか。マニラなど、もう何百年も行っていない。今も怖いのかな。最近、全然、こういう経験なかったなと思いながら、ほんとに寝てしまう。起きたら、ちょうどボーディングの時間だった。

いろいろ乗り継ぎ、いくつか国境を越えて、やっと新河童国。定宿に無事に部屋が取れて、荷物を置いて、とりあえず専門書店へ。なんでこんなところにきちゃうんだろうね。とか思いつつ、棚をみていると、今日は日曜日なのでもう閉店ですとのこと。わあー、わたし明日、日本に帰ってしまうから、ごめんなさい、ご迷惑をおかけしますけど、5分だけください、とお願いして、3冊購入。碑文のすばらしいボリュームが全部そろっていたのだけど、お金がなかったし(ここは3万円以上買わないと、カードが使えないのだ)、もうすでにたくさんほかの本があったので、やめた。この本、出版した人はほんとに偉いと思う。何しろ、東南アジア中の華人墓地の墓碑とか中華寺の看板を撮影してあるすごい本なのです。東南アジア諸国内では、Oversea Chineseなんて、ほんとは言ってはいけないのかもしれない。なぜなら、本当のOverseaは、この域内の外のことなのだから。それで歩いて、Ngee An Cityの紀伊國屋へ。ええーと、なんでNew Age関係図書コーナーに、Homi BhabahとDavid Lodgeが並んでいるんだ?いや、いいのかもしれないけど、The Prophetと一緒に並んでいるのも微妙。GibranはNew Ageでよいかもしらんが。ものすごく長居をしてしまった。

それで怖いことがあったのはそのあとのこと。そのまま歩いて、別のビル内のホーカーで、おやつに雲呑麺を食べた。ふと視線を感じて、前を向くと、隣のテーブルに着いていた男性が、わたしをじっとみている。目が合うと、あわてて視線をそらすので、知り合いと間違ったのかなと思った。そのままそばを食べ続けていると、またわたしを見る。大概、わたしも自意識過剰な人間なので、とりあえずじっと見返して(!)、そばを食べ続けた。スープを飲んでいると、お椀の縁越しにさらに視線が合う。男、わざとらしい慌て振りで目をそらす。なんじゃ、と思って、さらに男性がわざとらしく視線を逸らした直後に、すぐに席を立った。勝手知ったる某国なので、とりあえず、入り口の二つある婦人厠所へ。入ったところと違う入り口が出たところで、待ち伏せしていた男性とかち合う。しかし、何も言わない。逆に、びっくりしたような顔をしてわたしを見る。冷静になろう。人混みに紛れるべく、オーチャードの真ん中を歩いた。何度か信号を渡って、道を左右しながら歩いたのだけど、人気も少なくなるサマセットを過ぎたあたりで、ふと、信号待ちの隣に男が立っているのが見えた。怖くなった。ドービーゴートまで重い本を抱えてほとんど走って(結構、距離がある)、思い切ってMRTに乗る。約束があったので、来たバスになんでも飛び乗るということもできなかった。タクシーを止めることももう怖くてできなかった。余程、道を歩いている人に事情を話して保護してもらおうかと思ったけれど、何かあったわけではないから、うまく説明できそうにない。ようやく駆け込んだMRTの中では、座席列の真ん中に座った。わたしを見ている人はいない。路線を乗り換える時も、知らないアベックにぴったりくっついていた。Bugisで降りて、地下フードコートの混雑に紛れて、リフトで地上に上がって、あたりを見回したら、西武の建物の対面のケンタッキーの前の信号で、あの男が人を探している。。

結果、約束の靴売り場で友達に無事に会えたので、すぐにタクシーで食事会のある場所へ移動したのだけど、ほんとに怖かったでした。というのは、その男の人が、香港マフィアみたいな感じだったから。香港マフィアの本物を知らないから違うかもしれないけど、ジャッキー・チェンの映画とかで悪者役をするタイプの人。にこりともしない。40歳くらいのおじさんだったが、女の子を引っかけるタイプの人にはまったく見えないところが、さらに怖かったのか。食事会は、凸凹大で学位を取って帰国した人たちの集まりだったのだけど、そのことを話したら、まあとりあえずは、「キミがすてきだったからだよ」と言ってくれるわけですが、わたしは実は、今回の滞在中、散髪屋でほとんど五分刈りみたいに髪を切られてしまっている。1センチだけ切ってね、といったのに、40センチくらいあった髪を残り1センチくらいにされてしまったのだ。あまりのショックで、ほんとうに何日も食事がのどを通らなかったほどで、ここに書く気力もなかったくらい。そういうわけで、すてきからほどとおいわたしとしては、ひたすら怖かったのでした。で、話は結局、「はやく結婚しなさい。アナタ、独身なのが悪いね」といういつものネタのサカナにされ、ことあるごとに乾杯!を繰り返す華人集団にもみくちゃにされて、いつものように二日酔いで呆然としながら、帰ってきました。いや、あの変なおじさんがすてきだったら、わたしのほうから「よくあいますね」とか言ったかもしれませんけど。とりとめもない話でしたが、落ちもなく、おわります。いろいろありすぎてなんか整理できず。明日からまた、国内巡業に行ってきますー。


20-03-2007 / Tuesday

_ 明け方、無事、帰国。あと一往復したら、マイレージの階級がもういっこ上がるらしい。今はシルバークラス。

_ 一風呂浴びて、すぐに大学。昨夜未明に、某子さんから取り乱したメールが来たので。状況確認のための情報収集。トランジット空港のインターネット接続がほんとにひどいことになっていて、これは使う人のマナーの悪さだね。返事が書けなかった。しかし、こういうとき、わたしが動揺してはいかんとだけ肝に銘じて、国際電話してみたら、ううむ。やはり。想定内の範囲の出来事だったので、しかるべき筋に電話を入れて、調整してもらう。こうやって、リモートコントロールで、会議のセッティングとかするのは、ほんとはよくないのだけどなあ。。なんかえらそうだし。とこぼしたら、今の世の中、リモートということばはもう関係ないって、インターネットで電話ができるんだから、どこにいるとかもう関係ないよ、といわれる。そんなもんなのか。

身辺整理とか。

寒い。凍える。桜が今にも盛んばかりにはしゃぎ回っていた放送局があったのは、出発前のこと。それがなぜにこんな冬に逆戻りする事態になるのかしらん。異常気象が日常生活に忍び込んできているなあ。

某大百貨店で、スカーフを買った。スカーフ好き。やっぱりシルクが一番使いやすい。木綿とか麻は、メンテナンスがたいへん。その点シルクは、腐ってもシルク。

飛行機の中では離陸前から寝て、着陸の30分前に起きた。というか、起こされた。意地悪な人と、なんかスリリングなやりとりをする。こういうのがあるから、いやなんだということをなんでわかってくれないのかしらん。

ま、とにかく帰ってきました。日本はさむいなー。


20-03-2009 / Friday

_ 母と墓参り。お昼は久しぶりに地下街で和食。おなかが一杯になる。しばらく買い物をするという母におはぎなどの手土産を買い、一人で大学へ戻る。

_ 『チェンジリング』。これは昨日、割引の日に。犯罪の性質は、現在、これ以上荒みようがないほどに悪化してしまったように語られるこの頃だが、昔からどうにもやり切れないほどの犯罪はずっとあったということなのだろう。死刑制度があることによって救われることと、それでも救われないことがある。じゃあどうすりゃいいのか。この映画が問いかける内容の多様さと救われようのなさが、時間を超えて普遍性を持つことに背筋が凍り付く思いがする。


20-03-2012 / Tuesday

_ 子どものクレパスには、金色がある。外国で買ったものだからなのか、日本だったら普通に入っているような色がなくて(たとえばピンクというかももいろがない)、金色やターコイズブルーが入っている。赤は、鮮明な赤ではなくて、少し黒みがかったもの。重ね塗りをすると新しい色が作れる仕様だそうだが、よほど上手に塗らないと、単なる上塗りになってしまう。そのクレパスの金色を、子どもは一所懸命に足の爪に塗っていた。よくみれば、両手の爪にも塗ってある。マニキュアを一体どこでみたのだろう。わたし自身はマニキュアを塗らなくなって久しい。子どもの観察力に、とにかく驚かされたのだった。


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