_ 夜、炭火焼鳥屋でシンガポールの友達のダンナ氏と御大と御飯。こんなに美味しいお店だったのかー。焼き鳥がこんなにおいしい食べ物だとは思っても見なかったので、なにか新発見をしたように感激した。スナズリとナンコツがおいしいこと、そして手羽先が気前のよい大きさだったことが、また印象的でもあった。手羽先は美味しいのに、身の部分が少ないのが残念に思われることがしばしばだったので。ダンナ氏は、ずいぶんと日本語がまた上手くなっていた。私は簡単な英語の単語も、なにやら頭の中で辞書を繰るような感じに後退。友達は相変わらず、元気にがんばっているとのこと。おいしいお料理があると、普段、おしゃべりでないダンナ氏も、とても饒舌になるようで、楽しい、うれしい時間を過ごした。感謝。
_ 夕方、書類書きをしていたら、電話で呼び出されて、ご飯。そのあと、なんと、数年ぶりのカラオケへ。いやー、もう知っている歌が古すぎて、また、みんなが歌う歌が新しすぎて、わけがわからない展開になった。私が歌った歌のラインナップは、以下に。
なごり雪(古)/Camera!Camera!Camera!(古)/卒業(斉藤由貴)(一応卒業したばっかりなので)/赤いスイートピー(古)/そよ風の誘惑(古:オリビア・ニュートン・ジョン!)/Whatever(Oasis:新しいんだか、古いんだか…)/赤いタンバリン(ブランキー・ジェット・シティ、でも古い)/カンナ8号線(古)。。。
というか、なぜみんなそんなに新しい歌を歌えるのか?どこで学習するのか?尋ねたら、「火曜サスペンス劇場」のサントラとかがあるらしいですね。世の中のことを知らなさすぎるような気がする今日この頃です。
_ お天気がよくて気持ちいいなあー。お布団、干した。窓、全開。冬も好きなんだけど、春もやっぱりいいなと思います。
_ 朝、早起きしたし、ヨガもしたのだけど、なんか集中力が続きませぬな。書きたいことがあるときって、前方に光が差し込みますよね。もう長い間、地底世界で暮らしているような気持ちになってくる。
_ 島尾ミホさん逝去。知っている人がどんどんと亡くなる。
_ 春らしい、暖かな一日でほっとするけど、ずっと書き物。
_ Macユーザーになってしまうと、もうWindowsを触れなくなってしまうなあ。画面が圧倒的にきれいだ。この半分ぐらいの重さにしてくれたら、たぶん、自腹でぱんと買ってしまうなあと思うくらいに使いやすい。でもメンテナンスが自分でできないので、勉強しなくちゃならぬ。ハードルはそれくらいか。あとソフト類が高いとかそういうの。
_ いろいろさわがしいことになっているが、いまごろなにゆうてんねんな、というかんじ。
_ 夫になった人は某国暦では二月生まれ。なので如月さんと呼んでいる。グレゴリオ暦だと五月生まれだ。
如月さんが昨日は心配して、二時間おきに電話をくれる。夜は久々に長話。電話代は大丈夫なのかと心配だが、とにかくどういう仕組みなのか、15分話しても100円くらい。日本はもう桜が咲いているよと話すと、急に笑い出す。昔、ぼくが「日本の桜を家に植えたい」と言ったら、きみは即座に却下したね、「ここでは桜は育たん!」と。しかしあれは、「ぼくの奥さんになって欲しい」という意味だったんだよ。大体、女の人に花をくれというのは、ここでは結婚しようという意味なんだぜ、きみ、誰にもきかなかったのかい、などという。桜を植えたいと言われたことは覚えているけど、「この気候は桜には適当ではありません」と答えたのだろう。結婚する一年くらい前の話。付き合ってもいないのだから、そんな意味を解釈できるはずもない。
_ あと個人的に関心をよせていることが二点。ひとつめは、欧米はもとより、東南アジア各国から、今回の「日本」の災害に対して、たくさんの支援が届けられていること。海外での報道は、日本での発表などとほぼリアルタイムであることも、関心を持続させるということになったのだろうし、なによりも地球規模でのエネルギー問題を再考する契機になったことが大きい。わたしも知らなかったのだが、東南アジアでも原子力発電所の建設が本格的に準備されているとのこと、日本の技術と保全体制、発電所近辺の災害対策をもってしても、これだけの被害が出て、しかもまだ解決されていない。対岸の火事ではなく、それぞれの国のエネルギー問題と災害対策の見直しを促す結果となったこともあっての、日本への関心なのかもしれない。このことを深く考えるようになった。これから日本での出来事に関して、多くの国から調査研究に訪れる人が出てくるだろう。エネルギー問題や防災対策にとどまらず、避難所運営に関連した災害時医療体制のあり方、民間ボランティアと行政などとの連携、コミュニティ再建あるいは統合など。それともちろん復興再生計画と防災対策をどんなふうに構築するかといったことに、誰もが関心を持つだろうと思う。
もうひとつは、「被災地のためになんとか、なにかをしてあげたい」と、普通の生活を送っている誰もが、一度は(あるいは一瞬でもよいのだけど)感じたその気持ちのこと。これをいかに持ち続けてもらえるのだろうかと考える。これからの道のりは長い。復興のどの時点で、どのようにかかわることができるのか、そういった情報を専門家がどんどんと提示していくことが必要だなとも思う。それが、関心を持続させることにもつながるからだ。一方で、義捐金を送ったから、自分のコミットは十分に果たしたという人がいても、全然、おかしくないと思う。自分はこんなにかかわっているのにあの人は、、というように思ってしまうことも、人間だからあるかもしれない。しかし、そういったことをなるたけ最小限に抑えるために、災害地支援に関わる研究者がいるんじゃないかと思う。つまり、どんどんと情報を出し続けることだ。垂れ流すのではなく、きちんと整理された情報を、わかりやすく出し続けることだ。そのためのプラットフォームを、ユニバーサルアクセスで(つまり、インターネットだけに頼りすぎないということ;印刷媒体も有効に使うべき)情報発信できるように、整備することがわれわれ(わたしは違うんですが:笑)にできることなんだろうなと思う。
この二点でいいたかったことは、膨大な量の情報の整理と、できるだけ正確な情報の共有という問題を解決することもまた、復興支援に関わるということだということなのかもしれない。
もう、思っていたことは全部まとめてここに垂れ流したので、今日で震災関連のことを書くのは終わります。なんといっても、生活保護を受けるか受けないかの瀬戸際にいる自分の復興支援を優先しないといけないのでありました。(了)
_ 日本語教育の勉強会のため土曜出勤。会場となった私立大学の設備の素晴らしさに、心底驚く。国立大学はなんだかんだといって、人件費ばかりに予算が配分されてしまうので、設備の古さときたら、もう絶句するしかない。この私立大学はツートップの宗教団体のひとつが経営母体であり、幼稚園から大学院までの一貫教育を、全国で展開していることで知られる。しかしこんなにすごい教育設備を持っているとは全然知らなかった。一緒に行った先生と、ひたすら「すごいね~」を連発するしかできないほどショックを受けたのだった。大学とはいえども、わが職場は独立採算制では圧倒的に不利な文学部である。医学部やビジネス学部の施設との違いは、同じキャンパスにある違う大学というくらいに差が激しい。なにしろ、学内貧乏学部の万年筆頭に甘んじているのである。すごいよな…、すごいよな…ととにかく田舎ものみたいにそればっかり繰り返して、勉強会の内容はあまりよく覚えていないのであった。
そういえば、わたしのアパートの近くの宗教系大学の建物も、本当にものすごく立派である。こちらは全国の州都に必ずひとつ配置されている国立高等教育機関であるが、図書館が本当に素晴らしいことで知られている。どの建物もよくメンテナンスされているし、キャンパスもものすごくきれいである。自分の大学は国内最古の大学であることに胡坐をかいているようなところがあり、インターネット環境を含め、なにもかも若干、時代錯誤に過ぎるところがある。古式ゆかしいと評されることが多いのだが、いつもほめ言葉であるとは限らないということを、どれくらいの人が認識しているのかわからないと、最近、よくいろいろなところから聞く。先日、日本から来られた客人の方々は、ほとんど、その点を指摘しておられた。いろいろたいへんな場所である。
_ 日本にいれば4月から小学生になる子どもの教科書が大使館に届いた。大使館に勤めている卒業生に頼んで運んでもらった。今どきの教科書は、なんだかとてもポップなんですね。サイズもA4だし。帰りがけに届いた別の荷物を先に持って帰りたかったので、教科書はまだパラパラとしかみていない。子どもが一年生になるなんて、本当?光陰矢の如し、少年学成り難し、である。感慨深いです。
_ ラギ [うわー。ものすごくすてきなエピソードですねえ。 思わず過去に某国某地域でそんな風にいわれたことはなかったか、とはたと..]
_ ね [なるほど、共通の歴史ですね。大事かも。 どうも如月さんによるとわたしはたいへん鈍感みたいで、あのときあーだったね、こ..]