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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

28-05-2003 / Wednesday

_ 午前中、某所を予約して訪れたら、「ああー、○×さんですね!」ととても親しく名前を呼ばわる方のお顔が、友人Kちゃんにそっくりであった。即座に妹御であることがわかる。Kちゃんは高校時代の同級生で、一度も同じクラスになったことがないのに、どういうわけか相当ディープな仲の友人である。妹御がこんなに近くで働いているとは、まったく知らなかった。というか、こちらへ移ってきたのが最近のことみたい。その場にまったくふさわしくない明るい声で、「いやー、姉からいつもお話しをお伺いしていますよ、私、△◆がとても好きなので、また今度連れて行ってください、ぜひぜひ!」と言われる。△◆は、私がずっとアルバイトをしていた場所。まったく似つかわしくない場所であれこれと話が弾むと、なんかうれしいやら、恥ずかしいやらで、でもなんとなく安心感もあったりする。ふうん。話し方とかが似ているなと思ったのは、語彙の使い方の部分だ。Kちゃんの言語感覚はとても独特でありながら、とても流麗な日本語能力が感じられるもの。それが妹御にも備えられているところを思えば、ご家族がみな、きれいな日本語を使われるのだろう。急に懐かしくなる。

_ 某所の帰途、久々に、昔住んでいた家のあたりを自転車で走ってみる。小道のひとつひとつがとても懐かしい。案外と変わっていないのだな、とちょっと安心。拠り所があるというのは、よいことですね。

_ スーパーで花を買って帰宅。今日は家で書き書き。明日明後日は、恩師の還暦パーティーの準備でたいへんぽい。私は肉骨茶を作る係なので、自宅にある食材をチェックしてみたら、足りないのは八角だけだった。それと紹興酒。お肉は宗教上の理由もあって、明日は鶏肉を使う。上手いこと、地鶏骨付きが見つかるとよいのですけども。。。


28-05-2004 / Friday

_ 出張依頼とか旅行伺いとか。国内出張で飛行機が使える範囲を初めて知る。へえー。日本の真ん中に住んでいるのは、損なのだ。

_ 4月から出ているゼミ。若い人びとと知り合いになれるチャンスだし…と思っているんだけど、積極的に知り合いになる努力をしていないので、あんまり意味ないかもしれない。たんなる小姑。というか、テキストの文献、古すぎる。それと、いつも私の正面に座る学生さん、○×さんに似すぎている。名前を変えて、年齢詐称しているのだろうかと毎回思っては、ありえないと思い直す。他人のそら似って、怖いものだ。いろいろ、思い出してしまうから。

_ 補講用のビデオ編集。くったりする。私のときなんて、先生が長期出張だったり、(講義する時間がなかったり)、会議やらなんやらで、年に3回くらいしか講義がなかったということもあったが、今はそういうわけにもいかないらしい。学生さんも私もお互いたいへん。

_ 夜、風が部屋を通り抜けるのが気持ちいい。


28-05-2006 / Sunday

_ 会議のあと、同級生たちと某おでん屋。久々に女一人だったが、下ねた系でもりあがる。が、女子大で教えている友達は、立場もあってか「そんなこといっちゃだめだよ」と常に他者を制す。壁に耳あり状況を回避していたのか。下ねた系といっても、わたしがいるからだと思うけれど、男だけの時にしているような話題にさしかかると誰かがかならず意図的に話題をそらしていたのがおもしろかった。もうそんなことでお互い、動揺するような年でもないのだが。むしろ学問状況的に、もっと知っておきたかった。あとはまた宗教談義。宗教研究をしている人ほど、煩悩が多いとかそういう話になる。そのとおり。

おでん、昔はおいしいと思っていたのだけど、塩味がすごいことになっているな。世の中の味付けが、だんだんと減塩傾向になっていたと思っていたのは間違いなのか。このごろ、何を食べても「塩辛い」と思うことが多くなった。これなんだろ?

非常勤の準備をする気に全然なれない。教養科目の範囲で話すべきことだけ話すようにという、へんなお達しがあるのだ。基本的に無視しているのだが(ネガマジメナノデ)、中途半端に縛られているからだと自己分析。完全自転車操業中で、こんなことでは許されないと思うのだけど、昨日の友達からの話を聞いたことが、なんとなく自分の中では言い訳になりつつある。わたしは他の非常勤の先生たちとほとんど接点がないので知らなかったけれど、某大学における学生による過酷な授業評価の是非とか意義とか、結構、問題にされているそうだ。アメリカではすでに、学生による講義評価はほとんどしていないらしい。なぜならば、学生にとって単位を取りやすく、出席等を厳しく取らない講義ほど、評価点が高く、対極に位置する講義ほど評価点が低いことがはっきりとしたからなのだとか。考えたらしごく当然に聞こえる。もっとも、わたしの場合、内容的に改善すべき点が高いから、学生の評価が低くても当然とは思うのだが、それでも何パーセントかの人は、ものすごく好意的なコメントを書いてくれたりする。これがよくわかないのだが、励まされることであり、ありがたいなと思う。でも準備はいつもぎりぎり。だめ。

インドネシアでの地震。神戸の時や、スマトラ沖の時とおなじく、一刻ごとに、亡くなった方の人数が増えていく。火山も活動しているし、二次災害とか対応できているのか心配。BBCで見る限り、被害者数や世帯数などはまだまだ大きくなりそう。被害状況の見極めが早くできればよいのだが(被害の程度がこれ以上大きくなければよいのだが)、バリ島に次ぐ観光都市だけに、「復興」ということばには、災害に遭われた方々の生活再生と観光資源、観光環境の再整備が含まれてくる。タイのプーケットなどでも未だに相当にダメージが大きいとも聞く。テロ事件後、バリ島への観光客の減少が食い止められないばかりか、日本からの直行便まで廃線になるとも聞いている。本当の「復興」が実現するためにも、諸外国の関心が失われないためにはどうすればよいのか、スマトラ沖地震でどんな教訓が得られたのか、とても知りたい。復興というのは、お金とインフラ再整備が完了しただけでは、ほとんど意味がないこともあるのだから。観光が文化なのか、現象なのか、最近考えることがおおい。このことはそのまま、他人に対する関心の持ちようにつながるような気がするからかもしれない。


28-05-2011 / Saturday

_ 病院の帰りに図書館に寄る。のちに、これが悪い判断だったたということがわかるのだが。。「伝説の編集者ノードストロムの手紙−アメリカ児童書の舞台裏」(レナード・S・マーカス編、児島なおみ訳、偕成社、2010年)がとてもおもしろい。まだ最初の数十ページしか読んでいないけれど、名著だ。結局、子どもと社会の関係、あるいは社会における子どもの位置づけというのが確立したのは、ほんのこの1世紀のことなのかもしれない。アメリカでさえ、児童虐待が社会問題化したのは、確か20世紀も20年だか30年が過ぎてからのことで、動物愛護団体が最初に動いて、監禁状態で養父母から虐待を受けていた少女を救ったことが発端だったとwikiで読んだことがある。…と、そういったことは本書とはまったく関係ないことなのだが、小さい時から親しんできた、おさるのジョージ、大草原の小さな家シリーズ、ハロルドくんの絵本などなどなど、そういった児童書の著者を支えてきた名編集者がいてこそのことだったんだなあと、深く味わって読んでいる。大学を出たわけでもなく、司書の資格もないけれど(と、インテリ編集者からけんかを売られることも多かったらしい)、よいものを見抜く才能と人を育てる(おだてるも含めて)センスがあった人なのだ。

で、冒頭に書いたことだけど、悪い判断というのは、病院の次に行く先として、図書館とスーパーがあった。具合の悪い子どもを連れているのだから、普通の親ならば、スーパーで最小限の買い物をしてすぐに帰宅したことだろう。ところがわたしは、意外に元気そうなQPさんについつい安心してしまって、家とは正反対の方向に針路を取り、図書館へ向かったのだった。四半刻ほど本を吟味して家路につく頃には、QPさんのぜーぜーという呼吸が聞こえていた。慌てて電車に乗って買い物もせずに帰宅。体温を測ると39度を超えている。子どもはそれでも「元気」で、ごはんも食べるし、借りてきた絵本を読めと言って持ってくるし、ピアノを弾けば膝に乗って飛び跳ねる。それでも熱はじわじわと40度に向かっており、恐らく熱のために過剰に元気になっているのを宥めるべく、早々と消灯体制を取り、子守歌を歌って寝かしつけようとするのだが、こういうときに限ってまったく寝ない。熱があるからだろう。氷枕をセットして、こちらも布団の上に座って母乳をやったり、横になったり、起きたり、オムツを替えたり、解熱剤を半分だけ入れてみたり、そうこうしているうちにもう明け方4時になっていた。外は台風。


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