_ 傾向として。Aikoが好きなヒトは、矢井田瞳があまり好きでない、ってのがあるような気がする。あくまでも、私の半径500メートル内の話に過ぎないかもしれないのだけど。私はどちらも普通に好き。
_ イアン・マキュアンの『贖罪』の翻訳が出てしまってから、原書を読み進めるのを自動的に中断してしまった。とても端正な英語なので、読まずにいるのがもったいないのだが、読むものもなくなったので(繰り返し:学業関係のものは山ほどある)、今更、翻訳版を買うのもなんだし、読み直してみよっかー、ともう一度挑戦。半分は読んだのだからね!でも信頼している書評を読むかぎりでは、翻訳の日本語も端正らしい。迷うところだ。
_ 朝から、夏。暑いね。
_ Busman's Honeymoon / D.L.Sayersへ。関係のない本はすらすら(辞書を使って)読むのに、関係のある本は一行ごとにため息がでるのはなぜだ。
_ でも熱々のミルクティーをぐいっと飲むと、すっきり目覚めた。紅茶は陶器で飲むのがいいというが、マグカップでぐいっと飲むのも、そう悪くない。
_ やっとこさほんとに問題解決された。青臭い正義感を出してよかった。社会的に抹殺され、学問的にも緋文字を刻みつけられて当然かもしれないと最悪を予想したのだけど、意外な方面から支持があって、優等生的おばかな主張がちゃんと認められた。ようやくほっとする。友情は失ったかもしれないけれど、それは私の方で失ったと思わなければよいことだ。
人をスポイルしてしまうのも人、人を救うのも人やなあと思った。妙な達成感で、朝まで眠れなかった。なので、今から寝ます。仕事熱心な検事が、悪徳弁護士を相手の勝負に勝ったときって、こんな感じなのかなとか。なぜか、弁護士に対してよいイメージが持てない。官僚好きなのだろうか。とか馬鹿なことを一晩中考えていた。
_ みなさんにご心配をおかけしたかもしれません。しばらく鬱々と過ごしていて、久しぶりに元気を出して料理でも作ろうと思い、日本食を作ったところ、自分の作った料理で食中毒にかかり、入院する羽目になっていました。何が悪かったのかまったく不明(苦笑)。夫はもちろん異常なし。
ふたり部屋の隣のベッドの女性は、死に至る病の方で、夜毎の譫言、運び込まれる計器の多さ、注射や点滴の多さ、付き添いの家族が鳴らすナースコールの多さに、いつのまにかわたしは「早く元気になってここから出なければ」と思うようになっていました。
いろいろな数値も回復し、一時ははやりの豚さんインフルエンザかとも疑われたのですが、一昨日退院しました。メールのお返事など、徐々に。。と思っています。とりあえず、生存報告までにて失礼いたします。
_ 今週、NHKのBSで午後の時間帯に放送されていた映画は、どれも秀作ぞろい。最初から最後まで観ることはできなかったのが残念。毎回、後半部分だけしか観られなかったけれど、もしレンタル屋にあるようだったら、いつか観てみたい。メモメモ:「父、帰る」「ある子供」「約束の旅路」。夜の映画もよさそうなものがたくさんあったが、もう夜更かしして映画を観ることができない。「サン・ジャックへの道」。これは、昨年、小さなマイブームが訪れていたフランス—スペインの巡礼街道が舞台の映画のようだ。いつか、好きなだけ映画を観たり、本を読んだり、できるようになればいいなあ。
オンライン・ラジオを聴くようになった。いろいろな意味で、なんの問題もないんだけど、今までずっと小さいけれど、わりとしっかりとしたオンキヨーのミニコンポで音楽を聞くのになれてきていたので、音が自分の正面から聞こえてくるというのに、まだ慣れない。部屋に音が溢れているという感じも薄いし(それはできない相談なのではあるが)、何を聞いてもちょっと薄っぺらな感じがしてしまうのはもう仕方がないのかもしれないけれど、気に入ったラジオ局(カナダらしい)のものをずっと聞いている。
「ねないこだれだ」「ちいさなうさこちゃん」「かくしたのだれ」といった定番あかちゃん絵本ではあるが、この3冊の共通点は、ほぼ正方形の小さなサイズということ。今QPさんにはこの三冊を交互にずっと延々と、ひたすら読むというブームが訪れている。読むといっても当然、わたしに読ませるわけだが、どれも短い文章なので、適当に暗記してしまったものを上の空で読んだりされるのは言語同断!らしく、きちんとそれなりに動作を付けたり声の抑揚を変えたりして読んでもらわなければ困るらしい。それでなんどもだめ出しをされて、わが子ながらこのこだわりとしつこさは、親譲りなんだろうなあと、頭が痛くなった。
_ 子どもがクマのぬいぐるみをおんぶして、「くまちゃんが熱を出したよー」という。そりゃ、たいへんやなーといって、引き出しから体温計を出すと、たいへん慣れた手つきでボタンを押し、くまちゃんの脇に挟んでやったりしている。エラー表示が出た体温計を見て、「お薬を飲むの!」という。冷蔵庫に常備している熱さましのジェル状シートを出して欲しいという。くまちゃんの額にシートを貼って、子どもは枕元に座り、ときどきタオルで汗を拭いたりしてやっている(らしい)。子どもって、ほんとによく見ているものだ。。
子どもの髪が伸びてきたので、新聞を床に敷いて、散髪屋をした。子どもは神妙な面持ちで、じょきじょきという鋏の音に耳をすませ、微動だにしない。そして時折、持たせている手鏡を見ている。こちらは緊張の度合いが高まり、手が震えて、恐ろしくおかしな髪型に切ってしまった上、一人で大爆笑してしまったりした。すると子どもも何か楽しいことがあったんだねおかーさん、という表情でやはり笑っている。いつまでこうして髪を切らせてくれるだろうか。
_ 昔、大阪・アメリカ村の雑居ビルの一階に、Pat O'Brienという名前の店があった。もしかすると、今でもあるかもしれないけれど。そこは今風にいうなれば、カフェということになりそうな雰囲気だったけど、700円だったか800円だったかのランチメニュー数種あって、それくらいの値段のケーキセットもあって、ちょっとアメリカン・カジュアルな内装だったような記憶がある。3回くらい行ったことがあったのは、隠れ家とまではいわないけれど、ちょっと中に入り組んだところにあって、かならず座れるからだった。急に思い出したのは、ゆうべ、夜中に目が覚めて眠れなくて、「色彩を持たない多崎・・・」を読んだからだった。読みながら、そういえば、高校時代、全員女子だったけど、仲良しグループでよくいろいろなところに出かけたなあと思い出したからだった。そのうちの何人かとは、極めて不定期的に連絡を取り合っている。でもあとの人たちたちとは、高校卒業後、たぶん、一度もあったことがない。みんなで最後に出かけたときもPat O'Brienでケーキを食べたような記憶がある。「多崎」については、どんなふうに評価すべきなのだろうか。恐らく、少なからぬ人数の人が感じたのではないかと思うけれど、「ノルウェイの森」を薄くしたような、あるいはそこからインスピレーションを得た人が似たような小説を書いてみたらこうなったとでもいうような、そんな感じがした。好きか嫌いかとか、面白かったとかつまらなかったとか、そういう感想ではなく、「全編村上春樹的」という感想しか思い浮かばない。肯定しているのか否定しているのか、自分でも不明。
徹底的に小説に飢えている。貧乏じゃなかったら、そしてちゃんとお給料がもらえていたら、キンドルを買うのだけど、状況が許さないので、手持ちの本を何度も何度も繰り返し読んでいる。おもしろい小説をひたすら読み浸る状況が欲しいものだ。
_ ぜぶら [よくわからないけど、とにかく良かったです。 地球はちゃんと回っているんだね。 淘汰されていく友情もあるでしょう。 ..]