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  1. nebukuro (09-30)
  2. zoe (09-30)
  3. nebukuro (09-30)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

30-09-2003 / Tuesday

_ 送別会。きっとさびしくなるのはこれからで、「いない」ということをふと意識するときなのだろう。学校暦的にはあと半年。今年ももうおわりになりつつある。

_ 昨日は最終電車で帰ってきたので、朝、駅までの道を歩いた。日差しは強いのに、なんとなく肌寒いのですね。麻と苧麻の混紡のカーディガンを着ていたのだけど、脱いだり着たりで、忙しい。用事が早く終わりすぎたので、駅ビル最上階のきれいな洗面所を使ってからエスカレーターで降りる途中、とても素敵なジャケットを見る。今年の流行は、ざっとみたところ、丈の短いライナー取り外し式ファー付きジャケット類のようで、チャイナボタンのものも多かった。私が見たものも、そのような一品でした。よほど買おうかと試着させてもらったり脱いだり外したり大騒ぎをして、結局買わなかったのだが、その決め手というのは、やはり丈の短さ。スカートには合うのですが、パンツには併せにくいデザインだと思ったのでした。貧乏性ともいうのですが、高い買い物であればやはり慎重になる。色はベージュを着てみたのですが、まー、お店で見るからかわいく見えるデザインであるといえなくもないかもしれない。なんて思って踏みとどまりました。やはり用事が済んだら、脇目もふらず、これからはさっさと帰るのがよい。明日からは某書類書きが終わるまで、生協でもご飯を食べない覚悟でがんばるのである。

_ 金子光晴

検索で来られる方が多いので。

もういつ書いたのか覚えていませんが、旅に出るときには大体、宮本常一と金子光晴を持って出かけること、しかし実際の旅行には寝袋を持参することはほとんどなく、もっぱら大学に泊まる時に使うことが多い、などと書いたことがあるみたいです。あと、金子光晴の足跡をたどる旅をしたこともありました。これは行く先々で停電に遭ったたいへんな旅でした。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ nebukuro [あ、ありがとうございます。実はどこだかわかっていないので、教えてくださいますでしょうか?お手数おかけいたします。]

_ zoe [直ったみたいですね、よかったです。 最初から御指摘しておけばよかったですね、気が利かなくてすみませんでした。]

_ nebukuro [リンクのトコロでしたか。いえ、こちらこそ慌ててしまってすみませんでした。どうもありがとうございました#]


30-09-2004 / Thursday

_ clarksのバーゲンで買った靴を履いているのだけど、この靴の中敷きというのか、そういうのが剥がれてきて、今、たいへんなことになっている。靴がものすごく皮くさいというのか、ゴムくさいというのか、接着剤くさい、というのか、まるで私の体中から発散されているみたいにくさい。多分、別の中敷きを敷けばいいんだろうな。で、さっき、会計にいったとき、座っている人が、「なんかくさない?」と私に尋ねた。「いや、私じゃありませんよ」と、冗談めかして切り抜けたけど、嘘をついてしまった。お昼を過ぎて、靴も温まってきたのか、余計にたいへんなことになりつつある。靴を捨ててしまいたい衝動にかられる。

_ 今日のiPod。

進展なし。

_ まあいろいろ考えるところとか、思うところがある。秋になって涼しくなってきたからなのか、少し、人並みにいろんな欲望が出てきた。ちょっとがんばってみる。

_ 生協のさんまがおいしい。

さんま塩焼き/ひじき/サラダバー/おみそ汁/五穀ご飯

生協で私の向かい側に座っていた女子学生の話を聞いていたら、なんかひじょうにむかむかしてきてしまった。

_ すっかりにわかマック・ユーザーになったので、PCコーナー物色。トラベルキットだけ買ってもらった。


30-09-2005 / Friday

_ 深夜便で帰国して、朝、大学へ行く前に、メールを読んでおこうと思った。パソコンのスイッチを入れて、ふつうに立ち上げたつもりだったのに、なにかまずいものがインストールされた模様。大学からもどってきたら、「さっきいれたものを削除せよ」と出る。しかし、ぼんやりしていたためか、なにをインストールしたのかがわからない。ブルースクリーンが何度も出て、セーフモードで立ち上げても、すぐに落ちる。最後には、もうぶーんといううなりを上げたまま、だめになってしまった。

パソコンを1ヶ月開けないでいると、どんなデータがはいっていたのやら、それももうわからなくなってしまう。ドイツに行ったときの写真、全部、確か、ここにはいっているんだよね。。しかも最後にバックアップを取ったのが、いつのことだかわかんない。

恋文メールを全部なくしてしまったのが、一番痛い。博論のドラフトをなくしたのよりも、痛い。博論は、あちこちにバックアップがあるからどうでもよいのだが、メール。涙が出てくるなあ。もう、あんな手紙をくれる人なんて、現れっこないもの。。過去に引きずられていてはいかんとは思うけど、センチメンタリズムは時にはやっぱり必要だよー。はあ。パソコン、明日の朝には立ち上がっていたりするだろうか。

学位授与式の時の写真、それもなくなってしまった。思い出は封印せよということなのか。ドイツの写真、つくづく惜しい。。。。。南無三。

ハードディスクが死んでしまったということなのかどうなのかわかりたいのだけど、それすらわからない。どうすりゃいいのだ。

機械に頼りすぎていた自分がばかなんだ。メールはこれからプリントアウトしておこう、などと馬鹿なことを考えてしまった。それと、ずっと思っていたのに、ちゃんとしたバックアップ用ハードディスクを用意しておかなかった自分も馬鹿だ。はあ。。2005年って、私にとっては、なんだか大はずれの年のような気がしてきた。あと、半年、なんだなあ。。


30-09-2006 / Saturday

_ 携帯電話恋愛のその後。昨日、待ち合わせの本屋の前。待てど暮らせど、相手は来ない。もう帰るよとSMSを送ったとたん、電話が鳴った。白い服を着ている?黒いズボンを穿いている?黒いかばんを持っている?歩いてみて、そこで止まってみて、をを、君を確認できたよ、なんてきれいなんだ、今からバイクのヘルメットを買いに行くからそこで待ってて。すぐに戻るから。。といわれて、さて2時間。決して暇ではないのにもかかわらず、待ったのはなぜだったのだろうか。欲望に駆られてのことではない。きっと、こういうシチュエーションに、違う日常を求めていたのだろうな。外国に調査に来るのがわたしの日常になってしまっていて、それを変えたかったのだろうなと思う。一方で、怖いと思いつつ、一方ではどんな人が来るのが楽しみだったから、二時間もぼーっと待つことができたのだろう。自分の日常を変えてくれるかもしれない人に、期待をしていたのだろう。

さて、二時間後。ふと我に返り、わしはなにをしてるんじゃ?といつもの冷静さを取り戻し、憤然とタクシーに乗って帰宅、、でも今ごろ、ちょうど着いたころかも、運転手さん、やはり戻ってください、、いやいやなんでわたしが戻ってやらねばならぬのだ、、運転手さん、やはりホテルへ帰ります、、いやいや、ここが我慢のしどきなのだ、、やはり元の場所へもどってください、、というのを4回くらい繰り返して、わたしはどうすればよい?と、仲良しの女友達に電話する。今からすぐ、行ってあげるから、じっとそこに待ってなさいよ、といってくれた。20分後、自分のあほさ加減に涙ぐみつつコーラを飲んでいたら、友達夫婦が迎えに来てくれて、彼女の胸に飛び込む。いろんなことを知っているつもりだったけど、この分野の学位はまだとってなかったんじゃない?と笑われる。そしてやさしくしてくれる。後からきた友達と4人で、ながながと過去の痛い経験の披露会。旦那がタバコを吸いに行った間に、彼女がまったくおなじことを、かつてヨーロッパで経験したと言う話をしてくれた。また泣く。と、SMSが入る。いとしい妹がこんなにきれいだとはおもわなかったから、びっくりして、自分にはとてもつりあわないと思った。きみが明けの空ならば、ぼくはぬかるんだ大地だ。いとしい妹よ、君を待たせて悪かった、今晩ホテルに行っていいかい、君の隣で眠りたい、という詩がかいてありました。が、すぐにほりましたがな。ついでに携帯電話の番号も変えました。高くついたけど、勉強になりました。そしてホテルに帰ってから、さめざめと泣いた。


30-09-2009 / Wednesday

_ 例の院生の人を誘って調査旅行へ。足掛け1年にわたって様子を探り事前調査抜かりなく、準備して向かったのだが、快調な作業の途中でこの院生さんが脳貧血を起こした。聞けば朝食を抜かしてきたとのこと。そういう可能性もあるかなと朝ごはんを食べたかとたずねたのだが、そのときの回答は「食べた」とのこと。この人は下宿屋の台所やら冷蔵庫やらもようつかわんようで、ことばに偽りなく、ファーストフード、それもこちらの栄養たっぷりのものではなく、挽肉挟みパン系のファーストフードで本当にしのいでいるらしいことが確認された。なので小一時間で引き上げて、ご飯を食べに連れてゆく。が、ローカルフードは口に合わないのか明らかにのろのろと食べている。お互いにとってかわいそうな結果となった。もう他人の心配はしないこと。肝に銘じよ。

引っ越した洗濯やに連絡を取って、配達を頼む。これからも贔屓にしてくれといわれるが、突然、引っ越す洗濯やをどのように信用すればよいのやら。わたしの洗濯バケツを持っていった人の目星はついているのだが、昨日述べたように、ややこしい問題は徹底的に回避する世間な某国。たぶん、名前を書いていなかったわたしが一番悪いのだ。 


30-09-2011 / Friday

_ どぶ川といってもよいような川沿いにあるThe Majestic Hotelは、今では世界遺産に指定されているマレー半島はマラカにある植民地時代に建てられたホテルである。たいそう豪勢な名付けがされているが、二階建ての木造建築の外観からは往事であっても、それほどに威厳があったとは想像しにくい様相を呈していたのではないかと思われるようなものだった。金子光晴が大好きで、なんとなく足跡を辿る旅をしてみたかったわたしは、ある会の懇親会で、今度そんな旅行をしてみようと思っていますと、ある先生に話した。なにかそういう流れがあったのだろう。しかしだからといって、なにか旅に役立つような情報を得たかったということではなかった。ところが思いがけず、件のホテルに泊まると金子光晴が島嶼部アジアを歩いていた頃を偲ばせるものがあるはずですよとの助言をいただいたのだった。果たしてわたしは、シンガポールから半島に入ってバスを乗り継いでいくつかの寂れた町で宿を取った後に、マラカに到着し、そのホテルを目指したのだった。

チェックインしたのは午後二時頃。ぎしぎしと音を立てる階段を上りながら、夜になったらこのホテルに戻る道は少し怖いかもしれないと思ったことを思い出す。確かにものすごく余裕のある造作である。廊下の広さが八畳間ほどの幅に見えた。一階だったか二階だったか、そこだけぴかぴかに光るほどに木製の手すりが磨かれていたのか、あるいはそれだけ多くの人がそこに集まったからなのか、バーカウンターが見えた。テーブル席があるようなところには、さすがに歴史を感じさせるような重厚な威厳を放つビリヤード台が見えた。値段は47リンギットだと言われた。学生割り引きはないかと交渉。朝食がつかないのだからと45リンギットになったのだが、もともと45リンギットだったんじゃないかと思うほど、あっさりとまけてくれた。40といえばよかったと思ったけど、お遅すぎた。わたしにあてがわれた部屋は二階で、高い天井には約束事であるファンが据え付けられており、天蓋ベッドではなかったけれど、大きな清潔なキングサイズのベッドがあった。キングサイズというのは、ダブルベッド二つ分の広さである。部屋は明るかったが、ものすごく誇りっぽく、ペンキというのか装飾が剥げた木造の部屋の造作は、場末感すら漂うようなものであった。浴室は恐ろしく広かった。そして清潔だとも言いがたかった。ただしとても明るかった。猫足の浴槽に入るのはそれが初めての経験だった。恐ろしく愛想の悪いフロントの華人系の初老の男性は、交渉の間も、部屋に案内してくれる間も、ずっと無表情だった。学生だからと言ってまけてくれというような客はおまえが初めてだといいたいけれど、客だから我慢していわないという気持ちが伝わってくるような気さえした。

荷物を部屋において、さっそくマラカの歴史観光を適当に済ませて、早めに帰宅しようと考えていたので、足早に街を駆け抜けようとしていたのだが、思いがけず、旅の仲間ができた。東京から来た女性で、渋谷のレコード屋(当時だってすでに死語だったはずだけど、その人はその有名CDショップのことをそういったのだった)に勤めるわたしより少し年上の人だった。ふたりでマラカともマレーシアとも全然関係のない歌手やバンドの話をして、一人だったら絶対に入らなかったような郷土料理の店に入って昼食を取ったのだから、チェックインが午後二時というのは記憶違いだったのだろうか。部屋の中の埃の空気にきらきらと差し込む日差しは、午前中でも午後のような柔らかさを感じさせるものだったからなのだろうか。それからずっとその人と一緒に過ごして、夜ご飯も中華食堂で肉骨茶を食べた。歩道に面したテーブルで行き交う人を見ながら食事を取り、ふと食堂の前の歩道の水槽やらタライが並んでいるのに目をやり、茶色にはっとするほど鮮やかな赤色の水玉の何かが見えたとき、それ以上見てはいけないという信号を受け取ったはずだったのに、ついつい凝視して、それが水蛙だと確認したときは、一層、このどぶ川沿いのあのホテルに一人で帰るのが怖くなった。わたしにはそのカエルがこのどぶ川で捕らえられたもののような気がしたのだった。あの無愛想なフロントの男性が夜になると網でカエルを浚えている姿が見えるような気がしたのだ。

あのマラカで過ごした数日間から、どれくらい年月が過ぎたのだろうか。レコード屋の女性に約束した写真を届けることも叶わぬまま、そのレコード屋ももうとうの昔に渋谷からはなくなってしまった。このホテルのことは、何年か前にもこの日記に書いたことがあったような気もする。それからだってずっと忘れていたのに今、また思い出したのは、先日、NHKで「グッドモーニング・ベトナム」を観たからである。大使館員やらロビン・ウィリアムズやらが泊まっていたホテルは紛れもなく植民地風。撮影地はタイだというから、実際には植民地建築ではないのだろうけど、そういう造作だった。それをみて、これまでにいろいろと泊まったことのあったコロニアルホテルのことを思い出したというわけである。それで、ふと思い立って、The Majestic Hotelを検索してみたところ、どうやら数年前にリノベーションしたらしい。昔、わたしが泊まったときの様相とは似ても似つかぬ、しかしなんとなくそういえばそういう雰囲気もあったなあ、しかしこれはまたえらい大幅改装やなあというモダンな感じに生まれ変わっていた。ホテルに対するレビューを読んだ。「従業員教育がなっていない」「愛想が悪すぎる」とある。これは間違いなく、あの日、わたしが泊まったホテルだ。もう一度、泊まりに行きたいような気がするけれど、たぶん、もう二度と行くことはないだろう。いつか子どもに話してみよう。子どもが行ってくれるかもしれないし、いやがるかもしれないけど。


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