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  1. nebu (10-27)
  2. nebu (10-27)
  3. zoe (10-27)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

27-10-2003 / Monday

_ どんなふうにこれから生きていくのだろうかと、今でも時々、やっぱり不安だ。ぽっくり寺に通いたいと思う人の心境がなんとなくわかるような気がする…と思ってみたくなったり。太く短く生きたいものだ。無駄に長く生きてしまいそうな気配が濃厚なので、多少無理をするくらいの気持ちで、あっさりと、太く短く。長く生きることは悪いことではないが、私のようになんとなくここまで来てしまったのかも知れないと、この期に及んでもまだ思う輩は、それくらいに思っておいた方がよいような気がする。

_ 今、一番したいことは結婚だというのではいかん、といわれたのだが、そういうモチベーションがあるのとないのとでは、なんとなく歩き方とか身のこなしとかもずいぶんと違うような気もする。ランプをつねに磨いておくという聖書のことばに、その拠り所を求めているだけで、「女」というところに逃げ込もうとしているのではないと説明したくてできなかったのが、悔しかった。

明日は何か善いことがあればよいのだけど。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ zoe [「明日はまだなんの失敗もしてない新しい一日」です。by アン・シャーリー。素敵。]

_ nebu [きゃー#疲れて帰れ果てて帰ってきたので、なんか喜んでしまいました。そうですね、まだ明日は来ていませんですね。どうもあ..]

_ nebu [なんかへんなニホンゴを書いてますな。]


27-10-2005 / Thursday

_ ドル・キャッシュを持って行かないといけないのだけど、今、強烈に円安だよ。手持ちの1,000ドルで間に合うだろうか。。このドル、104円くらいのときに買ったものなので、お札が古い。お札が古いと、国によっては受け取りを拒否されることがある。米ドルって、発行年が印刷されているらしく、これがチェックされるのである。その割にはその国のお札なんて、なんども水をくぐり抜けたあげく、食べ物のシミなどがついていたりしている。日本円は、基本的にきれいなので、めったなことで受け取りを拒否されることはない。というか、今まで一度もない。

おばあさんとおじいさんカップルが手をつないで歩いているのをみると、とても微笑ましくてよいなあと思う。腕を組んで歩いているのを見ると、おもわずにこりとしたくなるくらい、いいなあと思う。わたし自身は、手をつないで歩くのも好きだけど、腕を組んで歩くのが好きだ。ところが女の方が腕を組むというのには、「わたしのものだからね!もう離さないわよ!」という意味があるという話を聞いた。とりあえず、そんなの言いがかりだ、と言っておこう。いいじゃん、だって腕を組む方が心臓の位置はもっと近づくのよ。以上。

_ わたしは地味な人間なので(と順接にしてよいのかわからないけど)、自分を売り込むのが強烈にへたくそである。セールストークもへたくそなので、すべて直球勝負ゆえに、多くの人に煙たがられていることでもあろう。大学の先生は、華やか且つ話術に卓越しているということが、必要条件だとこの頃思うことしきり。そういう人は、どんなに忙しくても仕事もきっちりしていることが多い。わたしの場合、湿気ているうえ、無能。進退見極めすらできない。

_ ときどき、駅に向かう道で会うことのあった、小中学校のおさななじみたちと、会わなくなって久しい。もちろん、連絡をすればいつだって会えるのだと思う。でも、仕事が忙しかったり、子どもがいてたいへんだったり、家の用事で手が離せなかったりするのだろう。あるいは、もうみんな別の場所に引っ越して、新しい生活の場を築いているのかもしれないし。一度も同じクラスになったこともなかった同学年の友だちは、みんなどこへ行ったのだろうか。わたしだけが、じっとここに居続けているような気がする。変わったようで、なにも変わらずにいるのだろうか。わたしはここでなにをしているのだろう。


27-10-2006 / Friday

_ 朝は三時に起きて書類を書いていて、夕方、毒でも盛られたかのように眠くなったので、さっさと帰るつもりが、思いついてジュンク堂に寄り、散財。さらには高島屋でハンカチを4枚も買って、気が遠くなった。なぜ今、ハンカチなのだ。家に帰ったら9時だった。すれ違った人がみんなわたしをじっと見るので、社会の窓でも開いているのかと思ったら、開いていました。誰も教えてくれないのだね。

_ 地理が嫌いだったので、日本史と世界史を両方、選択していた。高三のときは、週に6コマも世界史を取っていた。うち2コマは選択科目の近現代史。といっても、先生はローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトに心酔していた人だったので、ほとんど20世紀のドイツと東欧の話ばかりであったような気がする。理科も、高一のときは、生物と地学、高二のときは物理と化学と、全部取った。文系理系にかかわらず、理科は全員が必須科目として全部を選択しないといけない学校だった。公立高校だったけど、全員が新聞部みたいに、なにか一言書きたいとか言いたい学生ばかりのだった。学年末の文集に掲載されるメンツは、意外にも体育会系の人が多かったりした。わたしは一年と三年の時にメンバーに名を連ねた。数学、英語、国語にさほど集中することなく、他の科目もまた集中できた幸せな時代だったということもあるが、受験に関係しない科目の先生が、おもしろい人ばかりだったということもあったかもしれない。とくに理科系、社会系、そして漢文と古文の先生は、今思えば、大学教育並みのプロフェッショナルな先生が多かったように思う。旧制の女学校だったからかもしれないけれど、女先生はほとんどが卒業生であった。もうとっくに退官されたような品のよいおばあさん先生がたくさんおられた。びしばしと身だしなみと素行を注意されることが多かったが、「それは美しくない」とか「品がない」とか、「あらそれはすてきね」という会話がほとんどであった。階段の踊り場には、身だしなみチェック用の姿見が据えられていた。ほこりっぽい空気の中で、日光がきらきらと窓から差し込み、踊り場を通り過ぎるときに、自分の姿をちらりと横目で見ながら、大人になったような気がする。進学校ではあったが、みんなのんびりとしていて、職員室の新聞は赤旗と朝日新聞だった。もちろん、今は、国旗が掲揚されており、国歌斉唱もされていることだろう。学校の建物も替わり、女学校を卒業した女先生ももういなくなった。わたしは小さなピアノ室に忍び込んで、ときどき、ぼんやりしていた。学校を全面的に信頼していたというわけではないが、学校はその頃、わたしにとっては社会だったような気がする。その記憶が濃厚にあるから、いまでも学校幻想が強い人間なのかもしれない。といっても、大学とか大学院に対する幻想は、ほとんど持たなかった。高校時代がすべてであったと思うほどに、楽しかったからである。大学へ行くための過渡的期間みたいな高校の有り様だと、ここで教養を学ぶということは難しいのかもしれない。高卒で就職する人は、一桁の前半台しかいなかったけれど、問題意識の高い人たちばかりだったような気がする。なんだか懐かしい。出身高校に対して、そういう思い出を持たない人が多く出そうなこの頃、それは不幸なことだなあと思う。


27-10-2009 / Tuesday

_ 仕事の最後の仕上げにまた山の上へ。子ども学校の人々と少しだけ意見交換。日本人だからお金を出してくれるだろうという感じでか、ストレートに活動経費を出してほしいと頼まれる。が、こちらもそのようなことは先般見通していたわけで、すぐに用意していた回答を出す。当地の日本人会の親睦バザーで、子どもたちが作っているという手工芸品を出してみてはどうか、一人の日本人ができることは限られているが、大勢の日本人からお金だけではなく、いろいろなアイディアをもらえるように交流してみるのもひとつの方法である、と。冷たいと思われただろうが、どちらか一方が負担に思うような形の活動支援は、どうせ長続きしないのだから。

帰りにスーパーで、「カボチャ・ジャパン」と表示のあるハロウィンのかぼちゃみたいに皮がオレンジ色のかぼちゃを半分、購入。早速、下宿の台所でかぼちゃを炊く。ちょっと砂糖を入れすぎてしまったけど、おいしくホクホクと炊き上がった。鰹節を盛大に振りかけて、炊き立てのご飯と一緒に食べた。夫もおいしいという。

残ったサツマイモは、今朝、いちょう切りにして、トマト、タマネギ、サンドマメとバターで炒めて、溶き卵を投入、スライスチーズを適当に散らして、スパニッシュ・オムレツ風にしてみた。おいしい。自分で作るとそれだけで何でもおいしい。

ちょっとノートを取って本を読んでいたら、本来の本拠地の旧友が今、駅で電車を待っているという。この人とは、先日、本来の本拠地で開かれたシンポジウムでもちょっとすれ違っていた。ただしこのときは、彼が体調が悪く、すぐに帰ってしまったので、挨拶くらいしかできなかったのだった。立ち話で交わした会話で、先般、奥さんと離婚したとのこと。ここも国際結婚組だったから、他人事ではないのだが、ドメスティック結婚でも離婚はあり得るわけで。まあ次を探せ、などと適当なことを言ってあっという間に別れてしまった。

彼の新しい本が出版されたので、大学出版局にいろいろと手続きやら挨拶に来ていたとのこと。隣の大きな街で開催される文化イベントに招待されているとかで、それで電車を待っていたのだという。大急ぎで身支度して夫と一緒に駅まで向かうが、駅のアプローチを歩いているところで、電車到着。いつもは遅れるくせに。電話で、線路沿いのプラットフォームの端っこで手を振るからと連絡。なんとかニアミス。金曜日に戻ってくるらしいが、わたしはその日の朝に帰国するのである。またいつかね、などと話して、電車に手を振って帰ってきた。

_ 駅から戻ってからホテルのプールへ。午前11時半のプールは、読書の欧米人一人を除いては誰もいなかった。一人で独占してひたすら泳ぐ。夫は読書。時々プールから上がって、一緒にジュースを飲んだ。平泳ぎをしているところは、太ったカエルみたいだといわれる。800メートルほど泳ぐ。プールで泳ぐのはほんとに久しぶりのこと。いつも川か海なので、水に浮くかと心配だったけど、普通に浮いた。平泳ぎ50メートル、背泳ぎ50メートルのインターバルをずっと繰り返した。2時ごろプールを辞して、下宿で昼寝。ミジンコさんは、水を得た魚とばかりに気持ちよかったのか、今日、初めて足か手で、勢いよく蹴られた。まるで鼓笛隊で太鼓でも叩いているかのごとく、元気いっぱい。おっかさん、今までやっぱり運動不足だったから、酸素が行き渡っていなかったのかね、という気持ちになる。


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