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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

15-12-2003 / Monday

_ 家のパソコンも学校のパソコンも冬眠したいのか、クラッシュしてばかりで、はあぁ。。。

同期を取っているからだいじょうぶ!と信じていたのですが、この同期ソフトは、ほんちゃんのソフトで保存したものを初めて「同期する」ということが、今日の午後、はじめてわかったわけである。。。機械関係についてはあれやこれやと最新のものを所有しているわけであるが、約2時間かけて修正した原稿がなくなった日には涙も出てこなかった。記憶があるうちにと必死に復旧したけれど、ちょっとショック。ほんとにパソコンを買い換えようと固く誓ったわけである。ノートじゃなくて、うちの去年買ったハードのほう。

_ ささやかないいことがいくつか。貯まっていた書類仕事を一挙に片付けて少し肩の荷が下りたこと。某国語でどうしても思い出せない単語があって、しかもそれがわからないとちょっと困る…という状況の時に、某国語遣いが私を訪れて来てくれた。ところがその人物もその単語をど忘れしたという。どうしたものやら、きっと○×さんなら知っているよね…そうだそうだと話していたら、その人から私宛に電話が!

助かりました。あたふたとものすごく久しぶりにお弁当屋さんのお弁当を食べて復旧の続き。

_ チケット無事コンファーム。某国よりも向こう側へ遠征するのは生涯で初めてなわけで、楽しみ。iPodを旅のお供に連れて行くか…などと一瞬思うも、機械音痴なので絶対に初っぱなから使えないことはわかっているので、自重しましょ。


15-12-2005 / Thursday

_ こんにちは。

雨がよく降っています。気分も暗くなるほどの曇天ですが、とりあえず、いつものように過ごしています。

こないだ旅行した国の印象があまりにもよかったので、いつものようなちょっと楽しい気分が薄れていますが、まあ、こんなものでしょうか。

あまりにも慣れすぎてしまったのかなとも思ったりします。そろそろ、新しい土地を探すべきなのかも。。なんて思ったり。

相変わらず、朝ご飯を食べると覿面、調子が悪くなっています。

ホテルは、南隣と西隣で、新しいホテルの工事中。部屋で休むことはまったく無理。夜も突貫工事をしているのですが、一体、そんなインセンティブがどこにあるのか(苦笑)。一方で、ショッピングモールの展開のすさまじいこと。日本からは撤退したフランス資本のカルフールがふたつもみっつもあるのが解せません。誰が買うのか?少なくとも、わたしじゃないぞ。あと、みんなインターネットが使える、グリコの箱みたいな大きさの携帯電話を使っています。ちっちゃい鉛筆みたいなので、電話を掛けたり、メモを取ったりしています。カメラだって撮れる。PDAとかいうもの?なんかそういうのを見ていると、まさにグローバリゼイション!という感じがしてきます。

よくわからないけど、便利な生活が可能になったからといって、この国の抱えている問題が解決されているのでもないという事実は、あえて無視されているのか、あるいはまずは開発の成功例を作ろうとしているのか、ますます経済状況のダブルスタンダードが深刻化しているような気もします。すべて、「気もします」なのだけど。。

ってな具合の生存報告です。


15-12-2008 / Monday

_ 仕事の合間に、衣装を見に行く。今日はデザインをみるだけで、布地を決めてから、改めて仕立てに出す。もっと時間があれば、こちらの人のように、糸を決めて、染料を選び、機織りの注文を出すのであるが。これまでのように観察するのと、当事者になるのとでは、随分と違うものだなと実感中。


15-12-2009 / Tuesday

_ やっと咳が収まってきました。が、人としゃべると相変わらず、げほげほとしてしまう。しんどい。

今の政権政党、なんかどんどんおかしな方向に向かっているような気がするんだけど、大丈夫なんかいな。公約の修正とか見直しとか、たぶんそうなるやろなと思っていたことが軒並みそうなっていたりする。個人的には子ども手当は別として、高速道路の無料化などは二酸化炭素排出削減時代にわりと挑戦的な感じがしております。だから化石賞なんてもらうわけだ。あとは前政権政党時代だったからこそ守られていたのかもしれないけど、天皇制との距離感とか解釈とか。今となってみれば、米国大統領が、腰を深々と折って天皇皇后に挨拶していた姿と好対照。某O沢氏、これが前政権政党時代に別の誰かが同じことをしたとしたら、瞬時に徹底追及していたんではなかろうか。今の政権もそう長続きはしないような気がちょっとする。某地方自治体の長も、なんでまた空港を一元化することにこだわっているのだろうか。はっきり言って、わたしは一度も伊丹から海外旅行はしたことはないのだが、国内線にのるためだけにわざわざ関空まで行かないといけないのであれば、どんなに格安になったとしても、飛行機には乗らないだろうなあ。沖縄とか北海道に行くなら話は別だけど、関空ってほんとに不便だもの。しかも空港自体があまり楽しくなかったりするし。伊丹と接続させるために、大阪モノレールができたわけでもあり、これだけの都心部に空港があること自体の利というのか、そういうのをもっとポジティブに考えればよいのに。羽田だって、大都会にあるじゃないですかねえ。

_ ううっ。。ちょっと私信です。ぜぶらさんがどこに連絡してくださったかわかりません(泣)。すみませんが、nebukuroshugi[at]gmail.comに、ご連絡いただけたらうれしいです。しゅみませーん。


15-12-2010 / Wednesday

_ 先週の金曜日、「マーチ家の父」も読み終えたし、子どもが寝たら書き物のついでに感想文を書いたりなんかしてゆったりと週末を迎える準備をしようと思っていたら、その晩に限って、いつまでも起きていて、わたしの周りをちょろちょろとしていた子どもが、腹ばいになっていたわたしの上に乗りかかってきた。いつものように遊んでいるのだろうと思って、すぐに上向けに直って両腕で子どもを持ち上げ、飛行機遊びをして、布団に寝かしつけようとしたところ、子どもが突然、嘔吐した。顔が真っ青になっている。本人は初めての経験で、驚いたのか、声も出ないようで、こちらが思わず出した声で我に返ったのか、泣き始めた。すぐに新聞紙を取りに行ったり、タオルを取りに行ったり右往左往してしまったのだが、結局、その場を冷静に取り仕切ってくれたのは母だった。子どもがそれ以上、状況に驚かないように落ち着かせ、熱を測り、水を飲んでも吐くかもしれないからガーゼで口を湿す程度に止め、汚れてしまった毛布や布団カバーを剥ぎ取り、子どもを着替えさせてくれた。呆然と、片手に新聞、片手になぜか台所用布巾を手にしたまま、ああ、これが保育園の先生が話していたウィルスか、、と思った。

その前の日に、一時保育の保育園に行ったところ、おなじクラスの子どもが三人しか来ていなかったのだ。まだ来ていないのかなと思っただけで、その場は子どもを預けてさっさと辞したのだが、夕方、子どもを迎えに行った時も、0歳児のクラスは4人しかいなかった。先生に、他のお友達はどうしたのですかと尋ねると、ノロではないようだが、ウィルスのせいで、みな下痢と嘔吐でお休みをしているんですよと教えてくれた。実は、その日の朝、子どもは元気だったのだけど、今日は保育園に行かせないほうがよいような気がざわざわとしていた。その原因は、これだったのかー、と腑に落ちたのだが、先生が仰るには、もしかすると一休さんも数日中にそういう症状がでるかもしれないとのこと。そうですかとしか言いようがなかった。帰宅して、いつもよりも念入りに、一休さんの顔と手をお湯でしっかりと洗い、保育園から来て帰った衣類はすべて洗濯機にすぐに入れたのだけど、もうしっかりと感染していたのだと思う。

金曜日の夜は、8時になるのを待って、すぐに子ども医療相談に電話をかけ、緊急受診する必要があるかどうかを尋ねた。ノロでもロタでも、基本的に特効薬がないので、嘔吐や下痢が治まるのを待つしかないらしい。脱水症状にならないように注意して、ゆっくり休ませるようにと言われる。嘔吐の後、発熱が顕著になるにつれて、顔色は赤くなり、結局、その夜は、子どもは2回、吐いただけで、あとは寝苦しい夜を過ごしたようだった。翌日の午後になってから下痢が始まったけれど、それ以外は容態は安定していて、さすがに離乳食はたべさせなかったけれど、母乳はしっかりと飲めるようだった。と安心していたら、なんと今度は母とわたしに子どもとおなじ症状が出た。。ついでに激しい頭痛付きで、なんともサバイバルな数日間を過ごしていたというわけでした。わたしは下痢も嘔吐も、某国暮らしの中で頻繁ではないけれど、普通に経験してきたので、じっとしていたらいつかは波が引くように落ち着くとわかっていたのだけど、自分がしんどいときに、子どもの面倒をみるというのは今回が初めての経験だった。ああー、夫がいたらどんなに助かっただろうと、思ってしまったのだった。夫に話したら、某国だと子どもが吐いたり下痢したりというのは、余りにも当たり前のことだから、ボクはあたふたなんてしないよなどと笑っていた。

子どもは今回のウィルス感染で、もっともっと甘えっ子になってしまったよう。今回、帰国してからは、ずっと一人でベビー布団で寝ていたのに、病気になってからはわたしの肩に頭を乗せてでないと寝ないようになった。軽い症状ではあったけれど、病気になると不安になるからだろうな。。でもまたいろんな経験をしてちょっと大きくなったねと言うと、一休さんは、どこで覚えてきたのだろう、肩をすくめて恥ずかしそうなポーズを取って、笑った。


15-12-2017 / Friday

_ あっという間に師走も半ばを過ぎつつある。12月はあれこれと来客があったりクリスマス会があったりで土日も忙しくしていた。外食の機会もたくさん。。。美味しい食べ物がたくさんある土地だが、いくつか「名所」とも言われるくらいに有名なレストランがある。地元の人も来るようなお店だ。われわれはそのレストランに、このところ、毎週一回は訪れている。とにかくおいしい。料理がおいしい。デザートがおいしい。コーヒーもビシっと苦く、ものすごくおいしい。しかしわれわれがこのレストランを好きな理由というのは、ここの値段が本当に安いからなのであった。シーフードサラダ、スフレ、ビザ、チキン、ビーフステーキ。美味しすぎて子どもとふたりだけなのに、毎回、ビシバシと食べている。この地を去るにあたり、このレストランと別れなければならないのが一番、さみしい。

子どものクリスマス学芸会はこのあたりのインター校ではもっとも遅く、来週末金曜日にある。子どもは今学期、アフタースクールプログラムでボリウッドヒップホップダンス!をやっていた。それでその発表会があるのだとか。そしてその衣装を聞いてぶったまげたわたしである。ちょっと発育のよくなりつつある子ぶたの子ども。夫が聞いたら、絶対学校を辞めさせるような衣装なのだとか。まあ、とにもかくにも、なんとかがんばってもらうよりほかない。

そういうわけでクリスマスが終わればこちらはもう引っ越し準備本格化の予定の年末年始です。


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