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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

29-10-2009 / Thursday [長年日記]

_ 昨日の夕方、プールから戻ってから最後の挨拶のため山のふもとの村へ。夕方ということもあって、子供や大人たちものんびりとしていた。屋台で紅茶を飲みながら、ずっと話をしていると、会いたかった人がやってきた。最後の挨拶をして5時半ごろ辞す。そのまま夫の実家へ。小一時間かけてゆっくりと帰ったものだから、すっかりと体が強張ってしまって、途中で夕食を食べたものの、もう家にたどり着いたら、自分で着替えもできないくらいに疲れてしまっていた。すぐに寝る。12時間くらい寝て、朝、起きたら、なんと明日、安産祈願の儀礼をするといわゆる義理の母がいう。え。そんなの聞いてないし、そもそも最初から月末には帰国すると話してあったのに。牛小屋で歯磨きしながらどうしてこんなことになるのか、どう説明すべきかと思案していたところ(夫はなにやら役場に呼び出されていなくなっていた)、いわゆる義理の父がやってきて、明日の飛行機は何時だと聞く。朝7時の国際線だから5時にはもう空港にいる、などと話す。憮然とした表情で立ち去るのを眺めつつ。昨日生まれた子牛を眺めつつ、歯磨き終えて家に戻ると、近所の人がもうぞろぞろと手伝いに来ている。お菓子を作ったりご飯を作ったりするのである。。みな口々に安産だといいねー、などという。

安産祈願の儀礼は、実はわたしもとても楽しみにしていた。ところが先日、本来の本拠地に出張した際、もう10年以上も親しくしている家族がそこの土地の安産儀礼をしてくれた。その話を夫にしたところ、義理の両親にも伝わり、これがなんとかれらの逆鱗に触れてしまったのである。曰く、まるでうちの家族が安産を祈願しないみたいではないか、こちらの家族だって嫁の安産を祈願しているのである云々と。。わたしが戻ってからも、義理の両親はひじょうに冷たい他人行儀の態度で、わたしは実はとても困っていたのである。なんといっても昨日今日の付き合いではない気の置けない人々がわたしのためにと算段してくれた儀礼は、別に夫の両親をばかにするとかそういうことはまったくなく、土地ごとにことなる慣習があるのだから、何度おこなってもよいではないかいう考えのもとにおこなってくれたのである。

冷ややかな関係をどうしたものかと夫に聞けば、放っておけばよい、そんなこと気にすることないという返事がきたので、楽しみにはしていたものの、夫の実家のある地域での安産祈願の儀礼はあきらめていたのである。それが今朝の義理の母は、この服を着なさいと、ビニルから新しい服を取り出して、とてもうれしそうにしていたのである。。

結果的には夫のサポートもあり、最初から帰国日はもう決まっていたし、突然、儀礼をするといわれても、もうどうしようもないくらい日程が詰まっている、すみません、もうちょっと早く聞いていたらなんとかなったのですが。。という話をひじょうに丁寧に伝えた。もともとは悪気があるわけでもない義理の両親である。どちらかというと純朴な人々である(義理の母は意地悪ばあさんですけれど。。)。それでなんとかわかってもらえたのだけど朝からひどく気を使う局面が続いたため、とても体調が悪くなり、午前中はずっと寝ていた。プールどころではなかった。下宿に戻ってから、仕事の連絡のためメール屋にきたら、わたしの帰国日はもう大分前から伝えていたにもかかわらず、いくつか重要な用件の依頼メールがきていた。荷物もまだ詰めていないのに、今日は午後10時ごろまで忙しくしないといけないことになった。凹む。


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