_ 台風警報発令中ということで、こどもの保育園は休み。一時預かりなので、園まで行ってそれを知る。先生がその姿を窓からみていたようで、お電話差し上げればよかったですね、などと走って来て言われた。親子して肩身の狭い立場である。プール遊びを楽しみにしていたこどもは、帰宅してお風呂場に直行、さっそくバケツ風呂に入った。だって、蒸し蒸しして暑いんだってさ。
一旦、帰宅してから銀行、買い物。暑くて気が遠くなりそう。
_ 発掘したアン・タイラーの小説をずっと読んでいた。「歳月のはしご」以外は、正直にいうと、ちょっと冗長な部分も多く、あまり面白いとは思わなかった。でも凡百の小説など足下にも及ばないくらいに素晴らしいストーリーテリングの妙の故に、この小説家の新刊が出れば、すぐに本屋に買いに行ったのである。で、あらためて、「歳月のはしご」以外の小説に読み耽っていたのだが、今、結婚して子どもがいる立場から再読してみれば、アン・タイラーのすごさがとてもよくわかる。今まで言語化できなかったようなもごもごとした気持ちが、すべて小説の中に書かれているのだから。とにかく、感心の余り、ときどき、あっ!などと小さく叫びながら読み進めたのだった。
_ 先日の検査の結果、やはり左耳の聴力については、もうよくはならないとのこと。100%聞こえていないけれど、何%くらい聞こえているのか、右耳に頼りすぎて(視力のように)、右耳に負担はかからないのかなど、家路についてから思いつく体たらくで、先生の説明を聞いているときはしっかりとしているつもりだったのだけど、そして何度もこのことについてはできるだけ絶望的な受け止め方をしないでおこうと思っていたのに、肝心なことを聞いていなかったのだった。ショックを受けていた、とでもいうような感じだったのだろう。右耳は、辛うじて正常範囲の一番最低ライン内に収まっているとのこと。全然聞こえていないわけではないのだし、物理的な治療が必要ということではないらしい(今の時点では)のだから、もっと明るく受け止めたほうがよいのだ、絶対的に!ただ、日々の暮らしの中で、たとえば名前を呼びかけても全然反応がなかったり、まだ意味のある単語をほとんど発することがないとかいったことを、過剰にわたしが受け止めないようにすることへの緊張感が心配なだけだ。自分の心配をしているのである。再来月の検査まで、引き続き、日常生活の精緻な観察を遂行のこと。