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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

29-12-2003 / Monday

_ ま、総長から学位記(学位旗、だとずっと思っていたのですよね、昔。ペナントみたいな▲の旗をもらえると思っていたら、違ったので驚きました)をいただくまでは、黙っておとなしくなんでも引き受ける態勢でいこ。

_ 長寿組で集まってお茶と密談。また大笑いをしてしまう。私だけそのままバスに乗って某所へ。某所からは三角形の斜辺を歩いて某所へ行き、母のお使いの買い物あれこれ。甘納豆、お客様用和菓子、福茶、八幡巻、ほうじ茶、パン、クロテッド・クリーム(半額)、紅茶。

家に帰ってから気がついたのは、仕事用のファイルを机の上に置いたまま帰ってきてしまったということ。。。これは要するに、年が変わるまではもう仕事をしてはいけないということだと理解することに。


29-12-2009 / Tuesday

_ 早朝、如月さんから電話。曰く、「村役場から電話があって、もう子どもが生まれたんだって?!」という内容。お姑さんが言われたのだそうな。誰の子どもが生まれたのか知らんが、あなたの子どものことでしたら、まだわたしのおなかの中にいますよ、と答える。お姑さんはからかわれたのである。そして如月さんに、直ちに確認するようにと指示を出したのである。如月さんは昨日、首都まで査証を取りに行って、本日、未明に帰宅したばかり。正月早々、日本に行くということ、子どもも生まれるということで、村中の人からからかわれているだけ。村役場の人から近隣の集落の人から何から何まで、如月さんに子どもが生まれることをみな知っているような世界なのである。

_ 一昨日、散歩のときに買った小川洋子の新刊文庫、「博士の本棚」を読み終わるのがもったいないような気持ちで読了。似たような愛読書を持っていたことを再確認する。とくに「小公女」と「アンネの日記」。わたしは古い函装のハードカバー版を愛読していた。長じて、完全版だという文春文庫版も手に入れたのだが、二段組みで、硫酸紙のようなカバーがかかったサテン装の本を繙くときの秘密めいた感触を好んだからか、結局、文庫版は完読せずに本棚に積まれていたような気がする。

そしてわたしも押し入れに入り込み、懐中電灯で本を読むのが好きだった。北向きの六畳の部屋は、障子の向こう側に竹藪と無花果の木が植わっていた。風のない時でもいつでもそわそわと笹の葉が音を立てているような気がしたものだ。メリンスの布がいつも掛けられていた母の鏡台が怖いから、そっと横を向いて部屋を通り抜け、奥の廊下を通って御不浄にいくようになっている。御不浄の手前には坪庭があり、手水鉢がぶら下げられていた。坪庭には金木犀と茱萸の木が植わっていた。誕生日に35円で買ったヒヨコのぴー太郎は、この坪庭が好きだったようで、よく枯れ葉をつついてミミズなどを探していたようだ。ぴー太郎がイタチに襲撃されてからは、この坪庭を見るのが辛く、廊下を渡るときはいつも俯いていたような気がする。

この神聖な北向きの部屋には半間の押し入れがあった。押し入れの上段に這い上がって、ひとりで隠れん坊をしながら、懐中電灯の明かりで本を読んだ。「小公女」「トム・ソーヤーの冒険」「かぐや姫」「赤毛のアン」「誰も知らない小さな国」。懐かしい本の中に、その当時はまだアンネ・フランクの日記は含まれていなかった。本を読む自分だけの空間というものが必要な年齢というのか、そういうのがあるような気がしたりする。そんなことを考えながら、小川洋子を読了。


29-12-2012 / Saturday

_ 今の下宿には台所がないので、毎回、外食ということになる。朝食は、果物やパンなどだから、日本にいるときと変わらないといえば変わらない。わたしの昼食については、とにかく安く適当なものをぱぱっと食べるということにしているので、それほど高くも付かない。問題は子どもの晩ご飯。ベジタリアンのお店でいつもテイクアウトしているのだが、それも子どもの好きな味付けや材料とは限らなかったりする。昨日は大型モールに行ったので、日本風と韓国風の料理を出すお弁当やで食べた。わたしとしては、こういうお店はほとんどが揚げ物なので、あまり食べたくはなかったのだが、子どもは、重箱のお弁当に里心のようなものを覚えたみたいで、しきりに食べたがったのだった。果たしてやってきたものは、ほとんどこちらの料理が日本風の器に入っているだけというようなものであった。和風とか和食とかではなく、こちらの人が「これが日本」「これが韓国」と思うようなものが出てくるのである。ちなみに韓国はチヂミならばまだいいのだけど、焼き肉なのであった。

子どももちょっと戸惑ったみたいだったが、自分の責任で、全部食べたのがえらかった。

近所には巻き寿司専門の屋台もあるが、こちらも、「これが日本のスシだ」とこちらの人が思っているようなものが出てくる。なので、巻き寿司の中身はソーセージとかこちらのカマボコである。巻き寿司にパン粉をまぶして揚げたものもある。新しい食べ物だと思って食べると、悪くはないけれど、日本食が食べたくて行くような店ではない。

日本食が食べたいときは、逆説的であるが、中華に限る。ほぼ外れがないし、スチームボートがある店ならば、ほとんど鍋料理とおなじだからである。

食べ物には本当に苦労しています。でもかわいそうなのは子ども。

なので、ときどき白いご飯だけ買ってきて、寿司太郎みたいなのと合わせて、海苔で巻いておにぎりを作っている。子どももうれしいし、わたしもうれしい。


29-12-2017 / Friday

_ 今年もあと2日で終わり・・・。早かったなあ。

そして次の引っ越しまであと一ヶ月を切っている。一旦、某国へ戻って、あれこれ片付けて、それから日本へ帰国の予定。来週はやっと国内旅行。この10ヶ月、何と言っても首都から全然外出していないって(笑)、どういうこっちゃ、である。昨日は仕事納め。3日までのんびりの予定。とはいえ、子どものお尻をたたいて、冬休みの宿題をさせる毎日になりそうではあるのだが。

_ ところで、ご近所さんのKちゃん。ちょっとお金持ちの家の子で、いろいろと迷言が多く、どちらかというと少しセルフィッシュなところも多い。そして、かなりのおしゃまさんということもあって、わが家ののんびりさんの子どもに、いろいろな新しい情報をインプットしてくれている。そういうあれこれが、わが子にはちょっとついていけないところがあるらしい。でも、基本的についていきますタイプの子ども、今まで特に文句もなかったようだった。先日、初めてわが家で遊んで晩御飯も食べていったKちゃん。自分のアパートとわが家のアパートの違いをよくよく観察した結果なのだろうか、わが子に対しては、今までもよりももっと強く出てもいいと思ったのかもしれなかった。ある日、Kちゃんのお母さんが仕事の打ち合わせで遅くなるから、わが家に一緒に連れ帰ってほしいという。それなら、家に戻りつつ、外で夕食を食べてアパートで遊べばいいと思った。一応、Kちゃんにどんなものが食べたいかを尋ねた。すると、どちらかというと居酒屋として有名な日本食料理店の名前をいう。内心、ええ、そんなところで何を食べるの?と思ったわたしは、ああ、そうなの、どうしようか、今日は仕事納めだから、会社帰りの人も多いだろうし、どうしようか。。とか言いながら、別のフレンチレストランへ子どもたちをそれとなく誘導したところ、えらいことになってしまった。

Kちゃんはここはいやだといって、ひとりくるりと背中を向けて来た道を戻ろうとする。仕方なく、わが子もKちゃんを追いかけ、わたしも一緒に来た道を戻り始めた。しばらくして交差点で、居酒屋の方へ猛然と向かうKちゃん。子どもの気持ちがわからないわけではないけれど、居酒屋へは自分の子どもを連れて行きたくないという気持ちもあった。Kちゃん!こっちだよー、こっちから帰ろう~と、再度、子どもたちを誘導。しぶしぶついてくるKちゃん。わが子はそんなKちゃんにぴたりと寄り添っている。うーむ、これならなにかテイクアウトして帰ろうと考え、よくいく食堂に向かった。注文を終え、ここでできるまでちょっと座って待とうねと、子どもたちに声をかけて、一番出口に近い席に座ろうとすると、Kちゃんは絶対、店に入るのは嫌だという。そうなんだ、でも、お店の入り口にそうやって立っていると、他のお客さんが入りにくいよね、ちょっとこっちにおいでよ・・・ということばも完全スルー。なにやら、帳面に必死に書き付けている。ここへ来て、やっと子どもに、Kちゃんどうしたの?と聞くも、子どももなぜか悲しそうな顔をして口を開かない。Kちゃん、どうしたの?ケンカでもしたの?なにか嫌なことがあったの?・・・なにを尋ねても、横一文字に唇をしっかりと閉じ、首を横にしか振らない子どもたち。と、わが子が紙切れを手にしていた。なにそれ?と見てみると、Kちゃんからわたしへのメッセージ、であった。「ママのところに帰ります」と。

なんだかわからないけど、そういうことだったら、送っていくからひとりで帰らないでね、もう少ししたらテイクアウトができるから、と説明。はよしておくれー、とお店の人に声をかけつつ、子どもたちがまた走って言ってしまわないよう目で牽制する。死ぬほど長い時間が過ぎたような気持ちさえした。そこからまた歩いてお母さんの会社へ戻る3人である。

無事に、Kちゃんを仕事中のお母さんに引き渡し、じゃあーねーと、手を降って別れた途端に、泣きじゃくり出すわが子。。一体、何があったの?どうしたの?と子どもに尋ねると、Kちゃんは、さっき、わたしが子どもたちをそれとなくフレンチレストランへ誘導したとき、子どもにこっそり耳打ちしたのだという。「おめえのかーちゃん、つまんねーよ。うちのママとぜんぜんちがう、つまんねー」と。Kちゃんの言葉遣いはそのままお母さんの言葉遣いと同じかというと、恐らく、それは違うのだと思う。とはいえ、わが子に対しても遊んでいるときに、もちろんふざけてではあるが、「てめー、ころすぞー」などということもあって、ギクッとすることはあった。

たまたま、いくつかのうまく運ばないことがあって、今回、Kちゃんのお母さんにはお世話になったし、お互い、仕事をしている母親ということで、助け合って、わたしが休暇に入るまでの短い時間を融通し合った。お母さんは、おとなだから、少なくともわたしの前ではきちんとした言葉遣いをしているし、わたしも必要以上に砕けた関係にならないように接していた。

しかしそう母親同士の表面的な付き合いが、もしかするとKちゃんになにか思わせることになっていたのかもしれない。Kちゃんの周りにいる他の日本人の大人とは違うように映ったのかもしれなかった。

しかしKちゃんのことはさておき、わが子である。子どもは、いつも仲良く遊んでいたKちゃんが、わたしに対してそのようなことを口に出したということで、ショックを受けたようだった。とにもかくにも、わが子である。わが子をしっかりと抱っこして、泣き止ませ、一緒に手をつないで、一番近くにあったホテルに向かい、洗面所で顔をきれいにして、ふたりでまだ入ったことがなかったレストランに行くことにした。まずいということで有名なそのレストランには、日本人は絶対に行かない。そこにあえてチャレンジしてみようと、子どもを誘ったのだった。子どもは表面的には少し気を取り直したようで、ふたりでクスクスと笑いながら、走ってお店に向かった。そのレストランは噂に違わず、まずいお店だった。出されたものはかならず食べることを信条としてきたわたしは、恐らく、有史以来初めて、出されたものを半分以上残した。まずいまずいとふたりで笑って言い合いながら、家に帰った。そして一緒にお風呂に入って、ベッドで絵本を読んで、それから子どもの不安を解消するように、今日の出来事について、できるだけ客観的に子どもと話をした。それからまた少し、絵本を読んで、子どもと一緒に眠りに落ちた。子どもは夜中に何度か、夜驚のように飛び起きた。そのたびに、しっかりと子どもを抱きしめた。

子どもを育てていると、いろいろなことが次から次へと起きる。今日のことは、恐らく、これからもいろいろな形で起きることの始まりだったのだと思う。わたし自身は、子ども同士が仲良く遊んでいるときには、子どもたちだけで遊べばいいと思っている。子どものことを考えていないわけではないが、迎合するのも違うと思っているので、面白おかしく、子どもに接するということはない。わが子と一緒のときはどうか。高齢出産の子どもであるから、子どもが成人するまで自分が生きているだろかとか、兄弟もいないからひとりで生きていかなければならないだいじょうぶかなといったことを考えれば、できるだけタフに生きほしい、タフに育てようと思っているということはある。だからといって、突き放しすぎているということもないとも思う。平成のママではないけれど、昭和のお母さんではあると思う。昭和のお母さんが平成の時代にママになったのだ。そういう付き合いを子どもとしている。子どもには、いつも「ママは◯◯ちゃんのドラえもんだよ。◯◯ちゃんがしっかりとした人になったら、いつか未来へ帰って行くからね」と話している。いつか親子の別れはくる。その時までは、力を抜きながらも、子どもを守るということだけ考えて生きたい。できることも時間も限られているのだから。

Kちゃんは先日の出来事を、お母さんには説明していないのだという。そして、Kちゃんの母親もなにがあったのかについて、Kちゃんには聞いていないという。そういう家もあれば、そうでない家もある。そのとき、そのときで、自分の子どもに必要なサポートをするようにしていきたいと思った。


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