_ 眠い。あったま痛いな〜。マラリアの時の頭の痛さを彷彿とさせる。
_ 部屋がまた汚くなってきた。本とか多すぎるのだな。
_ 今日は大御所の研究会があるのだけど、具合が悪いので、行かないことにした。
今年の目標は、①余計な本を買わない、②余計なCDを買わない、である。本屋に行ってもちゃんと寸止めができるようになった。どうしても読みたい本は、その場で買わないで、生協に注文するようにもなった。無駄を省くの心でどこまで豊かな気持ちで毎日を過ごせるだろうか。ずっと実践してきたようにも思うのだけど、これからはもう少しだけ、ストイックに。
_ 寝る前に『デミアン』。灯りを点けたまま、寝てしまった。
_ もうやめ。寝る。
_ おおこけ。。でもないけど、気持ち的におおこけした。まずいことをあれこれ口走ってしまい、講義のあとで、学生さんから問い詰められる。というか、学生さんの質問の意図がわからないまま、わたしも焦って答えてしまったのがまずかった。それで動揺してしまい、この時間の講義はわりときちんと着地することができたにもかかわらず、次の時間は、もう信じられないくらい、一人でべらべら息つく間もなくしゃべり、聞いているほうがつらいよな‥という感じになった。質問が多かったので、洗面所には行けない、ちょっとのどを潤す暇もなくなってしまったというのは、言い訳。教えるのが下手過ぎ。二限はだれも質問なし。すみませんでした。そういうわけで明日の準備に気合いが入らず、うろうろ。
_ イエスとか仏陀とか宗教人の寛容さがあればなあと思う。わたしは寛容ではないのだ。宗教を持つべきか。
_ アメリカ。怖い。大学で勉強するのも命がけなのか。。かなしいなあ。アメリカには行ったことがない。行こうと思ったことも、少なくとも21世紀になってからはないように思う。アメリカの飛行機に乗ったこともない。ハンバーガーも年に1回くらいしか食べない。アメリカンコーヒーはきらいだ。アメリカ映画もほとんどみない。アメリカの小説も、最近はほとんど読まない。アメリカ。かつてはわたしの心をとらえて放さなかった国。かの国はどうなるのだろう。
_ 女性研究者支援センターが開所したというお知らせ。(結婚している+子どもがいる+定職がある)女性研究者のための組織みたいだな。(おそらくずっと独身+こどもなし+定職なし)の研究職に結婚とか養子縁組とか就職の斡旋をしてくれるくらいであったら、素晴らしいのかもしれない。しかもセンター長、男性。このあたりになにかすべて中途半端さが表出しているような気がする。別に男のセンター長でもいいんだけど、潜在的に女の就職口をひとつ減らしていることに気がつかんのだろうな。と、毒キノコでも食べたようにブラックな気分がする。
_ 諸般の事情があって(わたしのneonを母が使いやすいと言ったから4月15日はneon記念日)、携帯電話を買い換える。今、mediaskin。メディアスキン、iPodよりちょっとちっちゃい感じでとても軽快。携帯電話を持っているというストレスは、少なくとも緩和される。
_ すんごい鬱。もういや。
_ 某日。夕方、子どもを迎えに行ったら、先生が、モウシワケアリマセン、、と謝ってくる。子どもの姿は見えない。へ?と、呆けたような感じで反応すれば、園庭の滑り台で遊んでいる時に、はいはいの姿勢で、両手を着きながら段を上った子どもが、てっぺんで立ち止まらず、そのまま両手バンザイの姿勢で、頭を下に向けたままでスロープを滑り下りたのだとか。それでちょっとけがをしたんですという。うじゃうじゃと集まっていた子どもの塊に目をやれば、わが子が眉間に真っ赤なケガをした状態で、ニカニカと笑っていた。用意していた着替えを全部使ってしまったので、園の服を着せてもらっていたから、よその子に見えたのだろうか。それとも眉間の真っ赤な傷のせいだったのか。先生は、電話しようかと思ったのだが、子どもがすぐに泣きやんだこと、出血もすぐ止まったことから、様子をみることにしたのだという。いわゆる鼻の骨、あと数センチ上だったら(あるいは下だったら)死んでいたなどと語られることの多い場所の話である。「モンペ」じゃなくても、我を忘れる人もいるかもしれないなと、なぜか冷静に考えながら、でもとにかく頭を打った場合は、悪い症状はすぐにはでない場合もあることをおさらいし、「では、明日の朝までこちらも自宅で様子を見ます。その時点で何か異常があれば、すぐに病院に行きます。それから園に連絡するということでお願いします」と、なんだかちょっとビジネスライクに話をまとめて、すぐに帰路についた。靴も履かせずに、正門を出てぐんぐん歩いて、大きな桜の木の下に着いてから、ようやく深呼吸して、子どもに顔を近づけた。眉間より少し下に、見事な擦傷だ。子どもは、地面に下ろしてもよろめくことはないし、裸足でアスファルトに立っているのが愉快らしい。靴下すら履かせなかったのかと気がついた。自分が実は動揺していることを確認してちょっと苦笑いして、ベンチに腰掛けて靴下と靴を履かせて、手を引いて帰った。長い影と、うんと短い句読点みたいな影を道連れに、少し遠回りして子どもの歩く様子を確認しながら帰宅。びっくりしたなあもう。でも翌日、子どもはごくごく元気に朝、起きてきた。元気があってよろしい。後で、本当はもっと先生に抗議すべきだったのになどと言われたのだけど、週一回という肩身の狭さとか、自分の社会的立場の脆さとかで気後れしてしまったという側面は否めない。社会的に、どこにどう位置すればよいのかわからない不安定さを親が持つようではだめだと、次の日になってから気づく。子どものためにも、しっかりせねば。
_ かねがね、ジョナサン・ケイナーの西洋占星術は、いわゆる占いというよりも、カウンセリングやさんみたいな感じに思っていた。石井ゆかりに対しても、そんなふうに思っている。基本的に占いは信じないのだけれど、このふたりの占いは、なんというのでしょうか、返事を書くことはできない手紙が届いたみたいな感じで、ふむふむと頷いて毎回読んでいる。で、ジョナサン・ケイナーによる4月のおうし座の月間占いを読んで、一人爆笑しておりました。以下が、その全文。
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世の中には、無人島に建てられた豪邸で余生を送ることを目標にする人がいま す。そうかと思えば、ヒマラヤ山中の洞窟にこもって、心の静けさを得ることを 夢見る人もいます。しかし、人通りの激しい街の通りにいても、人気のない牧草 地にいる時と同じくらいの心の平和を得ることは可能なのです。それに、心配事 や腹立たしい記憶に注意を払っていたら、人里離れた田園地帯に行っても、心配 事や記憶はあなたについてくるはず。
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実は2月から3月にかけて、ちょっと某国で、日系企業での就職活動をしたりなんかしていたのだった。もちろん全滅全敗です。で、ジョナサンの占いを読んで、うひゃー、確かにそやわー、日本でも就職できひんのに、外国でできるわけないっちゅうねん!と、ひとりでバカ受けしてしまったというわけでした。確かにあの就職活動が終わって、まるでハーフマラソンを毎日走ったかのように疲弊して得た結論があったのである。わたしは多分、その問題とどう折り合いを付けるかを自分できちっと答えを出さないと、きっと何をやってもだめなんだろうなと思ったのだった。それをきっちりと改めてジョナサンに指摘されたような気がしたのだった。