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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

21-05-2003 / Wednesday

_ 自分で書類を書くことが出来ない人が御上からのお金を申請する…ってのは、やはり、おかしくない?うん。うん。おかしいと思ってはいけないのだ。思ったらやってられなくなるもの。

_ ○×委員会の実態というのは、そういうことだったのかー。つまり、本体の仕事がすでに雑務中心なわけであり、それは自動的に下っ端に回って来るというわけなのだ。なぜならば、すでにそれらは雑務であるからである。そっか。全部、私の仕事というわけだ。なるほど。


21-05-2004 / Friday

_ 新しいプリンタを接続しようとしたのだけど、なんかですね、いろいろ配線がややこしいので、とりあえず、ノート用にしようかと。もうとにかくUSBのくっつけるところとか、ゴキブリ(メモリ・フラッシュ?フラッシュ・メモリ?)のくっつける用ケーブルとかいつ感電してもおかしくないくらいいろいろある。もっとローテクにしないと自分でついていけなくなるような気がする。文明というのか、技術の発達は素晴らしいものなのかもしれないが、今からついていけないようでは、年取ったらたいへんだろうなあ。なんとなく、『火星年代記』など繙く。

_ 昼間はちょっと暑いくらいだったのに、研究会が終わって帰る頃は、ちょっと肌寒くなっていた。夜の匂いが濃かった。川縁の道や神社、街路樹の葉っぱの匂いが湿気を含んで体にまとわりつくような感じ。懇親会はパス。本屋を冷やかして、地下でパン買って、化粧水とコンディショナー買って、家に帰る。自転車で帰る夜道もやはりまとわりつくような空気。ひんやりとしていながら、よそよそしいような、人懐こいような、そんな中を走ってきた。

_ 昨日と打ってかわって、さわやかなよいお天気。気持ち、いいな。

_ iTunes4.5、ダウンロード。で、iPod、あんまり使いこなしていない。

_ ウィンドウズ・ユーザーなのに、なぜかマッキントッシュ関連の品々が諸処にある。なぜだかわからないが、いずれ乗り換えることを想定しているのだろうか。自分のことなのに、この頃、謎が多いような気がする。


21-05-2011 / Saturday

_ 先週、快癒、問題なしと診断されたばかりなのに、また鼻水がでるようになっている。間違いなく、耳も腫れていることだろう。耳鼻科と小児科をはしごする毎週末。小さな病院の看護婦さんとは全員知り合いになっている。切ない。

_ 久しぶりに図書館へ。前回、借りた絵本を少し破いてしまったため、足が遠のいてしまっていた。今回は、乳母車に乗せていく。児童書の部屋で、カロリーヌのシリーズを発見、自分が読みたいから、それを借りてしまった。(ピエール・プロブスト、「カロリーヌのゆきあそび」)

子どものころにわたしが読んだのは、小学館のオールカラー版。多くの子どもたちと同様、わたしも一語一句、暗記するほど読み返した。大好きな大好きな本だった。自分のためには、梨木香歩とアガサ・クリスティー。10冊借りられるけれど、全部で5冊だけ借りて、また歩いてゆっくりと帰ってきた。乳母車に乗せるときは、QPさんの目線の高さにある草花を少しずつ摘み取ることが多い。少し前に満開だったタンポポの野原は、今、綿帽子が圧巻となっている。一本だけ摘んで、ふうっと綿毛を飛ばして、乳母車で追いかけた。人間は多年性だけど、一年性の動物だったらどうだろう。冬眠して、春になったらまたなにもかも忘れて若葉を茂らせて、花を咲かせ、実が生って、鳥に食べられて、葉が枯れて。。植物のつもりで、毎年毎年、新しい気持ちで生きていけば少しは楽になるだろうか。明日はもっとがんばろう、次はもっとがんばろうと思うからしんどくなるのだろうか。カロリーヌを読んで、とても懐かしい暖かい気持になったのも束の間、続いて読んだクリスティーの中に、殺人が起きた館で、その時に居合わせた人たちの部屋を捜索する警部のことばがぐさりささる。ある人物のベッドの周りには、何度も読み返したと思わしきキプリングの小説が置かれていた。「ふふん、古い小説を何度も読み返すとは、保守的な性格のやつだな」。そういう発想があるのか。。新しい小説にちっとも食指が動かないなどというわたしは、確かに保守的で、ちっとも進歩のない人間なのだろう。


21-05-2012 / Monday

_ 朝、早めに朝食を摂って、携帯電話屋で去年の夏にもらった団扇に小さい穴と、ちょっと大きめの穴をふたつあけて、子どもと外へ。もうたくさんの人が道に出ている。太陽の光が当たるように団扇の角度をあれこれ試して、小さい三日月が見えるように併せた。子どもは、なにがなんだかわからないようで、きゃっきゃと飛び跳ねている。背中にクマを背負って外に出たものだから、それがうれしかったのだろう。近所の人がグラスを貸してくれたので、しばらく3人で交代交代で金環日食を観察。きれいだったなあ。次は18年後、でしたっけ。そのときもまた子どもと一緒に見られるかな。別の場所でそれぞれ見ているかな。もっともっとおひさまみたいと、駄々をこね始めた子どもをなだめながら、保育園に送っていくと、小さい組さんたちの園庭の木漏れ日で、まだ三日月の形をしていた太陽が、10個余り、砂場の上でゆらゆらと揺れて見えた。子どもは先生にグラスを貸してもらって、少しご機嫌を取り戻したようだった。日食というと、スティーブン・キングの小説にもある。ふたつの別々の小説なのだけど、双方に少しずつ、もうひとつの小説の事件の情報が書かれているもの。本棚に置いてあるだけで怖くてしかたがなかった「シャイニング」よりは、ずっと普通のミステリーだったので、むしろ今、どんなんやったっけ?と思い出そうとしてしまったほどだ。。いずれにせよ、ちょっと特別な一日の始まりでしたね。


21-05-2014 / Wednesday

_ 相変わらず、待遇関連ではまったく進捗がなく、一応、毎週月曜日に、どうなっていますかとだけ、学科長に尋ねることにしている。滞在ビザについても、予想外のややこしい局面を迎えるというアクシデントがあった。しかしだからといって大学が何かしてくれるということでもない。じゃあもう辞めるしかないよねえという状況になったとしても、きっと大学は、ああ、そうですよねえ、じゃさよなら、というだろうと思う。ネイティブ教員が必要だから採用されたわけなのだが、本音と建前の大きな違いや、状況主義的に対応される場面が多すぎて、なぜわたしが必要なのだろうかと考え込まざるをえない。ありがたいポジションではあるのだが、所詮は外国人だから、取り替えが効く存在だと思われているのだろう。なかなか安住の地に恵まれないものである。ずっと苦労している。

仕事の関係で、頻繁に日本と当地を往復する知人に、ユーミンの40周年記念アルバムを買ってきてもらった。これを学生に聞かせて、どんな状況か想像して寸劇を作ってもらうというつもりだった。ところが、学生には「懐かしの演歌」にしか聞こえなかったようだ。全然、盛り上がらず、どんなふうに事態を収拾すべきかひじょうに困る羽目に陥った。やっぱり、日本語がはっきりと聞こえすぎたり、わかりやすいメロディーというのは、今時の若い人にはもうひとつだったのだろうか。

で、学生になにもかも任せて、ドラマの準備をしてもらっている。このドラマというのがたいへんくせ者だった。今学期が始まって2回目の授業のときに、「あ、そういえば、3回生はドラマをお願いします」という指令が突然出されたのだった。え?し、しかし、わたしはもうシラバスも作ってあって、教材だって準備して・・・ということばを挟む余地もなかった。なぜならば、3回生のドラマは恒例行事であり、毎年、ビデオ撮影をして、みんなが楽しみにしているからだそう。。しかし、わたしが来て以来、そんな話は一度も聞いたことがなかったのに。いつも仲良くお茶飲んだり、雑談なんかしたりしているのに、なんでそんな大事なことをもっともっと早くに言ってくれなかったんだろうと、かなり気持は落ち着かなかった。でも所詮は外国人なのである。そして、まだまだ新人なのである。もっと自分があれこれ先に情報を収集すべきだったのだろう。いろいろ考えて、ドラマの役に立つような授業を慌てて組み立てた。しかし、自分の準備不足を解消する余裕もなく、結局、なにもかもその場しのぎ的に取り繕うようなことになってしまった。せっかくのネイティブの授業なのに、こんなことになって学生に申し訳ない。仕事の場面での話の進め方とか情報の引き出し方とか、長々とこの国に関わってきたけれど、ほんとによくわからないことが多い。本当のことはどこかにある、しかし、それがどこにあるのか、誰にもわからないままに何かが始まって終わる。だから、その間の出来事が一体なにを表すものであったのか、どんな意味があったのか、永遠にわからないのである。反省して次回に活かすとか、そういう発想もない。いいとか悪いとかの問題でなく、そういう適当さとどのように付き合っていくべきなのか、未だによくわからないでいる。


21-05-2016 / Saturday

_ わたしは学部で語学を専攻していたというわけではないため、大学で語学を学ぶということがどういうプロセスでおこなわれるのか、よくわかっていない。自分が日本語教師の資格を取るときに勉強したのは、国内の日本語学校付属のコースだった。何回か日本語学校の授業見学もあったので、なるほど、今まで自分が受講したことがある外国語学習コースとなんとなく似ているんだなと思ったものだった。それが外国の大学の日本語学科で教えるようになってすぐに気がついたことは、「あれ、日本の日本語学校の授業とよく似ているなあ」ということだった。似ているのはカリキュラム。文法(文法事項導入)、漢字、会話、聴解、少しできるようになって来たら、読解と作文が加えられる。専門的な知識というのはすべてこれらの科目に集約される。

日本に関して知っておいたほうがいいという知識として、日本の歴史(主として20世紀以降)、日本事情(日本地理)、言語学(日本語のというわけではなく、あくまでも一般的な言語学的知識)、文学(これも日本文学ではなくて、文学理論とか分析理論のこと)が3回生である。しかし専門性はまったくない。日本の大学のようなゼミはない。ゼミみたいなものはあるが、これは卒論作成の技術を学ぶためのもの、発表のスタイルを学ぶためのもので、個別のテーマについて、みんなでとことん議論するというのはない。だって、30人前後のゼミなんて成立しないからだ。卒論のテーマが決まったら、基本的には先生と一対一で書いたものを持って行ってコメントをもらう、出直す、またもらう、という過程を経て、卒論ができるようになっているらしい。。。

そんなわけで、大学の語学専攻って、どんなことをやるんだろうか、というのがわたしの目下の一番の関心事項である。語学を学ぶって、いったいどういうことなんだろうか。語学のテクニカルな面だけ知っていても、それは運用能力とはまったく別のもんだいであったりする。文法的に正しくても社会的な文脈にふさわしくない表現というのもあったりするわけである。それに書き言葉と話し言葉は結構違うもんだ。だけど、本格的な日本語の論文を読む授業というのもなかったりするのである。「読解」という授業は、主として日本語能力検定試験対策であったりするからだ。

せっかく専門的な知識を持った日本人がいても、教えるようにと言われるのは文法ドリル(口頭練習)と作文メインである。これで本当にいいのかと思うこともあるし、もっと上手に専門知識を持った人を使えばいいのになんてもったいないと思うこともあるし、やっぱりこちらの先生にはできないことをまず教えないといけないんだなと思うこともある。どれがいいのかはよくわからない。でもとにかく、一番強く思うことは、別に日本語に対する情熱がなくても大学の先生になれてしまうこちらの大学のシステムの複雑さと不可解さのことだ。先生たちの日本理解は、ものすごく偏っている。先生たちが学生だったときのトレンドとか、今、ニュースサイトなんかのヘッドラインに出てくる現象がすなわち日本の本質だと思って話していたりするのである。確かに間違いじゃないんだけど、それはどうなんだろうかと、本当にいろいろなんである。授業の進行にしても、学術的な潮流の認識に関しても、なんでそうなるの?!ということがあまりに多すぎて、さっぱり理解できないことが多い。それでもよくできる学生も多いは、偏差値が高い学生ばかりだから、自分でなんとかすることができるからなのだろうと思う。ときどき、とてもよくできる学生と超級の日本語でおしゃべりをするのはとても楽しい。インターネット世代の若い人は、先生になったような人とはまったく違って、日本が直面している問題についてもよく考えているからだ。


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