_ 朝、早めに朝食を摂って、携帯電話屋で去年の夏にもらった団扇に小さい穴と、ちょっと大きめの穴をふたつあけて、子どもと外へ。もうたくさんの人が道に出ている。太陽の光が当たるように団扇の角度をあれこれ試して、小さい三日月が見えるように併せた。子どもは、なにがなんだかわからないようで、きゃっきゃと飛び跳ねている。背中にクマを背負って外に出たものだから、それがうれしかったのだろう。近所の人がグラスを貸してくれたので、しばらく3人で交代交代で金環日食を観察。きれいだったなあ。次は18年後、でしたっけ。そのときもまた子どもと一緒に見られるかな。別の場所でそれぞれ見ているかな。もっともっとおひさまみたいと、駄々をこね始めた子どもをなだめながら、保育園に送っていくと、小さい組さんたちの園庭の木漏れ日で、まだ三日月の形をしていた太陽が、10個余り、砂場の上でゆらゆらと揺れて見えた。子どもは先生にグラスを貸してもらって、少しご機嫌を取り戻したようだった。日食というと、スティーブン・キングの小説にもある。ふたつの別々の小説なのだけど、双方に少しずつ、もうひとつの小説の事件の情報が書かれているもの。本棚に置いてあるだけで怖くてしかたがなかった「シャイニング」よりは、ずっと普通のミステリーだったので、むしろ今、どんなんやったっけ?と思い出そうとしてしまったほどだ。。いずれにせよ、ちょっと特別な一日の始まりでしたね。