«前の日(07-14) 最新 次の日(07-16)» 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|

  1. ね (07-17)
  2. 雪見 (07-17)
  3. ラギ (07-17)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

15-07-2004 / Thursday

_ 講義中の飲食って、どれくらい許されるものなんだろう。

私自身は、覚えている限りでは、研究会とかであらかじめ用意されているお茶なんかを飲んだりする以外では、講義の時にお茶を飲んだり、パンをかじったりはしたことがない。教わる側だったときもそうだったし、教えるようになってからも基本的には、覚えている限りではない。なんとなく、飴をなめながら研究会に出たこともあるから、完璧に襟を正しているというわけではないんだけど。

お茶くらい飲んだっていいとは思うのだけど、堂々と朝ご飯を食べられると、まあいろいろと思うところがある。お化粧をする女学生もいるし、携帯電話をする人もいるし、寝る人、私語に勤しむ人もいるし、いろいろだ。しかし、「お茶くらい飲んだっていいじゃないですか。のどが渇いたら集中できない」と言われると、のどを嗄らして一人でしゃべり続けなければいけない側はどうなるのだろうか。

いろんな考え方があるし、時代も変わってきているから、やみくもに「よくない」「失礼だ」と思うのではない。ただ、私自身は、これからもそういうことはしないだろうなと思う。研究会のとき、用意されているお茶とペットボトルのお茶にどんな差があるのかというと、説明できたとしても、主観的なものにしかならないような気がする。だから、飲みたい人は飲めばいいと思うんだけど、やっぱりご飯食べたり、お化粧したりするのは、ものすごく違和感を感じる。

ときどき、電車の中で、女子高校生が着替えをする現場に遭遇することもあるけど、もう驚かなくなった。耐性が着いたんだな。

本日のツッコミ(全10件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ ラギ [あのう。この件、意見がかわされているようですね。後学のために、いろいろなお考えをおしえていただければ嬉しいです。]

_ 雪見 [いやぁ、今の大学ってたいへんなんですねぇ。 異文化というか、異星人みたい。 わたしは部外者でよかったぁ、、、なんて思..]

_  [違う星の人だと思うと、寛容な気持ちになれたりして(笑)。 駅弁はいいけど、地下鉄の中でフライドチキンを食べるのはだめ..]


15-07-2006 / Saturday

_ 中東のバリ、ベイルート。かつてそのように呼ばれていた街。レバノンをほぼすべて歩いたことがあるからこそ、思うことなのだけど、ようやく立ち直りかけてきた国に対して、イスラエルは何を思って攻撃をしかけているのか。イスラームもキリスト教徒も、ひじょうに友好的というわけではないかもしれないが、一定の安定を保って、暮らしていたように見えた。それなのに市民を巻き込むなんて。レバノン、シリア、ヨルダンが比較的安定してきたから、辛うじて均衡が取れていたものが、今、崩れだした。ラクダに乗っている暇ではないのに。この人が外国ではしゃぐ度に、国際情勢が動いていることが思い知らされるような気がする。

_ 珍しく、青垣屋で。ちょっとおいしいお酒を飲んでしまい、またしても途中からお座布団を敷き詰めて寝る。ちなみにここは大人のお店なので、こういう客は歓迎されない。。とかいいつつ、いつも寝ているような気がする。

_ 早起きして、いろいろ。駅まで自転車を取りに行き、そのまま近所のジャスコへ。ワコールとかトリンプとかが二割引となっている。こんなときにしか買えない高い物を買う。食品売り場で、夕食の材料を買って、サイクリングしながら帰宅。真っ先に水浴びをしてから洗濯。お昼ご飯の準備をしようと思ったら、眠くて眠くて。。なので寝る。そして起きたら夕方。夕立が降りそうで降らない。いっそ、めざめなかったほうがよかったような蒸し暑さだ。あと一こまだけ、女子大のほうの講義が残っている。

_ 久々に工学部の人とと話す。自然科学系の人の話はひじょうに明快でよい。しかもなぜにこんなにさわやかなんだ。

昔、某学部の建物の中で、某先生の部屋を初めて訪れるのにあたり、複雑怪奇な構造の建物の中で、迷子になったことがあった。それで、たまたま通りがかった部屋の中から出てきた若い男の人に、某先生の部屋はどうすればいけるのかを尋ねた。すると、「いや、ぼくは今日できっかり9年と8ヶ月ほどこの部屋にいますが、この部屋から直接、某先生の部屋に行ったことはありません。しかし、その部屋がどこにあるかはよく知っています。恐らく、この廊下をまっすぐ進み、別の棟に移動した最初の扉を入った左側にあるでしょう。ただし、それはわたしの記憶の中の地理的配置であって、現実に本当にそこにあるかどうかはわかりません。あなたはわたしの説明を信じるもよし、信じないもよし。ただし信じない場合は、永遠に某先生のお部屋へたどり着けない可能性もあるわけです。。」と言われた。演劇の台詞練習を聞かされているかと思うくらい、立て板に水な口調だった。おかげで某先生の部屋には行けたが、この廊下を通るのがちょっと怖くもなった。あの人、今もあの部屋にいそうな気がするにゃ。


15-07-2009 / Wednesday

_ 日本の産婦人科、とくに産科がなかなかたいへんなことになっているというのを聞いたのは、伯母からだった。2年前にいとこが、わたしなどよりもはるかに超高齢出産した経験から出たことばである。曰く、都心部でも産科の先生がたいへん少なくなっているため、予約を取るのがたいへんだということ。出産難民ということばもまた、昨今はしばしば耳にする。

家から歩いていける総合病院の産婦人科で検診を受けたいと思った。さまざまな種類の熱帯病の既往歴があるのと、高齢出産になるわけで、いざというというときにあちらこちらにたらい回しされない環境がよいと思ったからだ。てくてくと出かけたところ、昨今は総合病院ではいきなり診察してもらえないということがわかった。総合病院に患者が集中するのを防ぐため?なのか、まずは登録医診療所からの紹介状がないとだめらしい。一旦、指定された個人診療所ないしは病院で初診を受け、しかるべきのちに紹介状を書いてもらってから初めて総合病院へ来てくださいとのこと。ただし、抜け道がふたつある。ひとつは、毎回、決められた加算料金を支払うことを厭わないで、「ここで掛からせてください」とお願いすること。もうひとつは、救急車で運ばれてくること、あるいは急患で駆け込むこと。

実は、この総合病院に決める前に、いくつか近所の産婦人科を調べたのだが、なんと産科はもうやめました、というところがたくさんあった。ホームページなどを作っている有名産婦人科は、これはこれでまた予約が取りにくかったり、わたしのようにまだ日本で生むか外国で生むか考え中という人はあまり歓迎されないという話もきいた。

某国で食中毒にかかり七転八倒しながら、この地域では最大の病院に駆け込んだときのこと。「うちは交通事故以外は、ERの受付はしておりません」といわれ、38度の熱を出しながら、受付と大喧嘩した過去をもつわたしは、もう日本の病院のこういう対応に別に驚きもせず、加算料金払いますから、予約を入れてくださいとお願いした。すると、産婦人科は7月31日まで予約でいっぱいとな。

とりあえず、予約はいれた。妊娠は病気ではないとはいえ、これだけの先進国(としておきましょう)で、今、病院に掛かるのも一苦労というのはどいうことなのだろうかと考える。受付の人は、「調子が悪くなったら、いつでも『急患』で来てくださいね」と言う。急患であれば、なんとか押し込んで、診察を受けることができるということなのだろう。

産婦人科医はたいへん激務であり、医療過誤などがあれば訴訟問題となるリスクが高いため、なり手が減少しているとのこと。

お医者さんや看護師さんたちの労働環境の改善、妊娠中の女性とその家族をめぐるさまざまな環境の向上など、複合的に存在するいろいろな問題を吟味していくと、日本で生むより某国で生むほうが安全なのかなと考え始めている。一方で、「ひよこクラブ」とか「たまごクラブ」とかの雑誌を眺めてみると、出産ビジネス業界の躍進振りもまた顕著である模様。なんだかほんとにいろいろ、いろいろなんだなーと思うこの頃です。


15-07-2010 / Thursday

_ 7月ももう折り返し地点。一昨日、近くの大木の木下で、蝉の抜け殻をみた。もう蝉の大騒音が聞こえてくる季節だ。こどもの頃、近所の野原を駆け回るのが好きだったので、よく虫取りをして遊んだ。その割にはカエルが苦手。トンボとバッタを捕まえるのが上手かった。トンボはつかまえて、ススキの柔らかい茎を引っこ抜いたもので、胴体をしばって振り回して遊ぶという、風大左右衛門みたいなことをするのが好きだったが、ときどき強く縛りすぎて、胴体が切れてしまうこともあった。夏休みと言えば昆虫採集と押し花だったのだが、頭をもっと使って工夫するようなこどもだったら、今、これほどいろいろなことに苦労しなかったんじゃないかなと思ったりしている。わたしはこれまでの生涯で、考えるという作業について、あまりにも手を抜きすぎていたんじゃなかろうかと思う。ずっと自分の思うまま、やりたいことだけをやってきた。でももっと頭を使って、我慢して、みんなと仲良くしていれば、違う人生もあったのかもしれない。思ったところでもうやり直せない。こうして、人はこどもに自分にできなかったことをやらせようという期待をかけるのかもしれない。一休さんになにかをおしつけようというのではない。わたしがやらなかったこと、選ばなかったもう一方を、彼女が選んでくれるのであれば、大応援する。そうすればわたしは二倍楽しい。選ばなかった場合でも、適切な助言がきっとできると思う。わたしが失敗したことなのだから。いつまでもちっちゃな赤ちゃんでいて欲しいという勝手な希望もあるし、早く大きくなって、一緒にあちらこちら歩き回りたいという希望もある。大きくなった頃、まだわたしが徘徊老人になっていなければだけれども。


«前の日(07-14) 最新 次の日(07-16)» 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|