_ クレジットカードを事前更新するのを忘れていた。。かなりまずい。。
_ たまにmofaな人と会食することがあるのだが、どうすればあのような優雅な話し方とか物腰で人に接することができるのだろうかと、そのたびに感心する。といってもすべてのmofaな人が優雅なのでは当然ない。某国査証係の方と電話で話すと、ツンドラ並にしびれるギャグに対して、しかるべきタイミングで反応しないといけないという関門がある。最近、代理店の人に頼むようになったから解放されたけど、お役人さんもたいへんなのだろうな。査証出た。そういうわけで、今日から夏休みに入ります。みなさまも、よい夏休みをお過ごしくださいませ。
再見。冬の最初ごろにまた。
_ メールを読んで久々にむっとした。
_ 電子辞書の使い方、少し勉強する。今のところ、主として計算機として使っているのだけど、計算機としてはとても使いにくい。
_ 毎朝、自転車を玄関のところから門のところに出すときに、木のところから飛び出してくる蝉とぶつかる。蝉は体が固いので、当たるととても痛い。
自転車に乗っていると、ひじょうに頻繁に、虫とぶつかる。今まで一番痛かったかつ怖かったのは、アゲハチョウとぶつかったときだ。ひらひらと飛んでいるのだが、ああ見えて、とても力強いため、おそろしく痛かった。しかも黒い鱗粉のようなものが目の回りについて、あとからたいへんだった。昨日も、窓を閉めようとしたら、網戸に張り付いていた蝉が飛び立って、驚く。
_ 昨日の午後は、実は、打ち合わせ開始の時間が30分遅れた。というのも、みんなで衆院参院での郵政民営化が「否決」されるのを見よう会があったから。全員、否決されると思って見ていたのだが、まさか本当にそうなるの、という驚きも少しあった。個人的には、研究室のパソコンでテレビが観られるのかー!と、そちらのほうに(も)関心。
_ いくら寝ても寝たりない。
日本の携帯電話の番号は、親兄弟をいれても10本の指に足りる人にしか知らせていないので、電話がかかってくることは、ほぼない。わたしの友だちは、わたしが携帯嫌いだと知っているからだが、こっちのひとはもうそんなの関係なし。もう携帯生活まっしぐらである。かかってくるし、わたしも架ける。確かに便利だとは思うのだけど、いつもスイッチオンしていないと、あとでたいへんな目に遭うというのがいやだ。聞いたら、アジア圏では日本だけだそうですね、この携帯電話が使えないのって。日本て、今でも鎖国しているんだ。
こちらで調査をされている社会人学生さんの指導。結構、粘り強く付き合っていると思うけど、もう限界だ。外国生活に向いている人とそうでない人との決定的な違いは、それはもう、「まあええわ」と思えるかどうかだと思う。これは最初からそうである必要はなくて、やがてそうなるくらいの感じか。あと、ときどき、がーっと怒る自分をちゃんと認めることとか。溜め込んではだめだ。がーっと、正当な怒りを発することができるかどうかが、結構、大事なんではないかと思った。寛容というのと、怒るのとは別次元で考えないと。怒りを発することができない人ほど、他者に対して厳しいような気がしてしまったわたしです。自分もいいかげんだけど、他人もまたいいかげんだと思っているので、わたしは生きていけているのだろうか。
たくさんいろいろ持ってくるのを忘れてしまった。日本語の本、一冊も持ってくるのを忘れていて、そんでまた飛行機に乗り遅れ寸前だったので、本屋に寄る余裕もなかったものなあ。
冷たいコーラがおいしい。
_ 夏祭りの太鼓を遠くに聞きながら、我が家で今、ひそかに進行中の韓流ドラマ大会に参加。「ホ・ジュン」という15世紀くらいの宮廷医のお話。シナリオもとてもよくできていて、毎回、飽きさせない。ちゃんとコミック・リリーフが登場するところも、シリアスなドラマが過度に辛気臭くならなくて、たいへんよろしい。そしてこの主役のホ・ジュンをしている俳優が、たいへん好ましいのである。有名な人ではないと思うんだけど、実にさわやかな好感度の高い人で、せっせとDVDを借りてきては、母とふたりではまっている。彼が医術を修業している医院の大先生には、息子がいる。この息子役の俳優がまた実にバタ臭い顔をしている。若林豪にそっくりなのだ。上背もあり、そのいつも何かに悩んでいるような暗い表情や、どうしても父親を追い越せないでいる現況(優秀な成績だったのに、過去の因縁のせいで、科挙に失敗したばかり)、ただひたむきに人の命を助けるために必死に医術を学ぼうとする主人公とのあまりの鮮やかな対比など、日本のドラマでも観たことのあるような既視感さえ漂うが、面白い。このハンサムなのに、いつも暗い表情の大先生の長男の役名が、ユ・ドジという。ドジでのろまなカメというフレーズがいつも頭の片隅に横断幕を掲げて登場するたびに、いやいやこれは役名なんだといいきかせながら、休日ライフを楽しみました。韓国のドラマの現代ものは、まーったくなにひとつ観たことがないのだが、時代劇は結構、面白いと思います。といっても、チャングムと女人天下くらいしか知らないのだけれど。
_ 保育園の着替え等々に名前の刺繍やらアップリケをしていたら、一日が終わった。着替えの短パンに、はらぺこあおむしの刺繍をして、丸い胴体に名前を刺繍して、自己満足に浸る。青い縁取りの白い鳩のアップリケとか、4本取りフレンチノットをたくさん付けたリンゴの木とか、細部に凝った刺繍をしてひとり悦に入る午後。ところが、ロンパースの左ひざなんて、はいはいによる摩擦を一番受けるところだし、そもそもはいはいのポーズだとまったく見えない部位。襟元の白い鳩なんて、よだれかけ(今日的にはスタイとかビブというそうです)の下に隠れてしまう。夏物の簡単ワンピースを早く作ってあげたい。
_ ナガサキの日だ。
_ 100センチメートルの影と164センチメートルの影が並んで夕方の門前町をとおりぬけて、賑やかなスーパーのある広場に向かったのは、3歳6ヶ月検診の帰り道。子どもはちょうど100センチメートルだった。計測器を読み上げる保健師さんが、まるでビンゴゲームで当たったかのように甲高い声で、数字を告げると、記録する係の人が、100センチですかと重厚な声で復唱した。子どもは誇らしげでに頭をつんと上げて、さっさと自分の服を自分で着替えたのだった。スーパーでは店内にあるイートインコーナーのあるパンやさんにさっさと向かい、だれに教えてもらったのか、トレーとトングをつかんで、小さな四角に切ったミニサンドイッチのパックをあやふやな手付きで乗せている。そして「ママはこれ!」とメロンパンを掴んだ。テーブルにトレーを置いて、紙コップに水を汲みにいっている間に、器用にパックをあけてサンドイッチをもうほおばっている。一体、どこで、誰に教えてもらったのだ。小さな四角の一列を全部食べてしまった子どもは、スーパーの隣の公園に行こうと、もう立ち上がっている。パンダとトラの乗り物に交互に乗った後、滑り台を3回滑って、また動物の背に乗って満足したらしい。家に帰ると、さっさと服を全部脱いで、お風呂に入ってしまった。存分に水遊びをして歯磨きもしてしまったら、電池が切れたように寝てしまった。三歳六ヶ月というのはもうなんでもできるのである。子どもは翌朝5時に目を覚ますと、またすたすたと一日を始める態勢に入った。わたしの子ども…なのだろうか。えらいものである。
_ あと3週間で新学期が始まる。先月初めに、新学期に担当する教科を決める会議があった。わたしが担当することになったのは初級文法復習、中級作文、論文の書き方指導。ネイティブだけど、会話とか聴解とかは担当しない。まずわたし以外の先生が自分が担当する科目を選んで、わたしは残りを割り当てられた。そういう決め方で別に構わないのだけど、はっきり言って、ネイティブ講師を本当に必要としているのだろうかと、何百回目になるかわからないけれど、また思った。日本語教師としてはまだまだ初心者だから外されたということなのかもしれないけれど、担当教科の決め方だけでなく、いまだに待遇関連の諸問題が片付いていないという事態からしても、一体、何のために採用されたのだろうかと、つくづく不思議な気持になってきている。
そういうこともあって、相変わらず、ぱっとしない毎日である。だから先日は、子どもを連れて気分転換にホテルに泊まりに行った。プールのあるところだったので、毎日、たっぷりと朝食を取ってから、ずっと泳いでいた。一体、一日何時間泳いだろうか。ホテルの部屋はふつうのとてもシンプルな造りの、清潔な部屋だった。クーラーもセントラル・クーラー?なので、切るか入れるかしかないタイプ。バスタブだってないような部屋なのだけど、おそろしく寝心地のいい部屋だった。子どももわたしも、泊まっていた4日間、、昼寝もたっぷり3時間寝て、また夕方から夜まで泳いで、晩ご飯を食べてシャワーを浴びたら、翌朝、7時まで、一度も目を覚ますことなく、ぐっすりと眠った。水泳で疲れているということもあったかもしれないけれど、本当によく寝た。
今日は、お昼前から子どもと一緒に餃子を作った。こちらで人気のロシアのマンガで「マーシャとミーシャ(マーシャとくま)」がある。子どもは最初、保育園で見て、とてもおもしろかったそうで、買って買ってとうるさく言うので、海賊盤のDVDを買ってみた。すると、なるほど、子どもが好きな理由がわかった。登場人物で人間は、推定4歳くらいのマーシャのみ。それ以外の登場人物は全員動物である。で、セリフがあるのはマーシャのみ、動物さんたちは全員、ウーとかいううなり声かセリフなしのボディランゲージ。セリフや挿入歌は、米国版海賊盤では英語に翻訳されていて、ロシア語版海賊盤ではロシア語。子どもは、ロシア語版を繰り返し繰り返し見た結果、「ロシア語が話せるようになった」と、宣言するようになった。例えば、わたしが誰かと子どものことを話していて、「・・・それが、いまだに保育園では日本語でとおしているようです・・・」と、某国語で言うと、すかさず子どもは、「違うねん、○○ちゃんはロシア語やったら話せるねんで。みんながロシア語、できへんねん」と日本語でいうのである(つまり、某国語はわかっているわけです!)。で、餃子なのだが、マーシャのマンガの中で、くまの甥っ子のパンダが登場する(くまの甥がパンダという設定だそうです)。パンダくんも推定年齢3−4歳の子どもである。このパンダくんとマーシャとミーシャが、一緒に餃子を作るという話がある。子どもはこれを見て以来、自分も餃子を作りたいとずーっとうるさくうるさく言うのであった。それで今日、一緒に皮から作った。途中、マーシャが麺棒を華麗に操るシーンを自分もやりたいというのを、必死に制したり、疲れ果てた餃子作業であったが、とても楽しかった。子どもはお料理が大好きで、キュウリの浅漬けやらエビフライやら、なんでも自分で作る。これからは餃子もレパートリーに加わったので、わたしも大変なのですが、いろいろたくさん一緒に作ろうと思っている。
そういうわけなのだけど、このマーシャのマンガは、ものすごくよくできている。まず第一に、子どもがとても子どもらしく描かれている。もちろん、いたずらの数々は、あり得ない内容のものも多いのだが、子どもをとてもよく観察している人が制作しているようで、いたずらマーシャの動作やら仕草やらが本当の子どもがやりそうなことばかりなのである。一緒にこのマンガをみる大人は、現在進行形の育児の中で、いやー、これまったくウチの子と一緒やわ−!、と引き込まれてしまうのである。マーシャのかずかずの悪行を見守る、引退したサーカスのくまさんは、決して、子どもを頭ごなしに叱るのでなく、適当に同レベルで仕返しをしたりしながらも、基本的には温かく見守っている。くまは本当はおじさんくまなのだが、母親のようにやさしく(そしてちゃんとヒステリーを起こしながら)見守るのである。このくまさんは、料理がうまく掃除洗濯は完璧、ピアノもすごい、化学実験も得意、編み物や洋裁ももちろん、という人。で、きれいな女のくまさんがくると、突然、花束やチョコレートを用意してデートに誘うとか、そういうところもある。お父さんとお母さんの両方を兼ねているのだろう。
いろいろな登場動物がいるのだが、わたしが好きなのはパンダくんと、極めて人相の悪いオオカミさんたちである。オオカミさんは二人組で、丘の上に停めた壊れた救急車の中に住む、医師と看護師あるいはふたりとも看護師(か保健師かなにかそういう医療従事者)。基本的に動物たちは全員、マーシャに翻弄される役割なのだが、このオオカミさんたちも人相の悪さに似つかわしくなく、完璧に遊ばれている。・・・というように、わたしもすっかりとこのマンガを楽しんでいる。浮き世の憂さ晴らしにぴったりというわけではないのだけど、しばし、現実を忘れるのにはとても素晴らしいマンガである。ちなみに、Youtubeでほとんどすべての話を見ることができる。「マーシャとくま」で検索すると、出てきます。
Before...
_ michiru [はい、まだいます。電話してみてくださいな。]
_ ね [メールやっぱり送れないねえ。。なぜかわからないので、とりあえずファックスしておきました。後で電話します。]
_ ね [送れた。。いずれにしてもあとでまた。]