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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

03-10-2003 / Friday

_ 久々に風邪を引く。原因は自明で、一昨日、研究室で昼寝をしたことにありますな。目覚めたあと、ずっと悪寒がしていたのを、部屋に隙間風が入ってくるからだということで理解していたのが、間違いで、さっさと帰ればよかったのです。

来週まで家で書類書きを続けるとして、月曜日の書類読み合わせ会が終わったら、生地屋へ行って、なにか目張りの布になるような厚手のカーテン地を探したいです。今のカーテンは夏物の薄地だし、窓枠が××颪でがたがたとなる季節が近づいているわけです。気をつけないと冬中、寒風吹きすさぶ中で仕事をすることになりそう。あと、小型の足下ヒーターみたいなのも、早急に探さないといけません。冬はあの部屋、寒いだろうな。そういえば、お座布団もない。

_ 『農学大事典』と『有用植物事典』を読みたいのだけど、研究室においていて読めない。。。あれはCD-ROMとかにならへんのかいな。押し花を作るのにはもっともふさわしい二冊であるが、こういうとき、不便だなと思う。

_ すすまへん。

うーんと、大学サイトからダウンロードするページには、ちゃんと「一太郎」対応ファイルがあるのに、なぜかそれをダウンロードできない。クリックすると、信じられない文字化けサイトが出るだけで、ダウンロードマネージャーも動かないのです。。。どういうことか。あとフォントって、8ptよりちっちゃくならないのかなあ。苦労しますね、不器用人なので。

_ あー。なんか頭が痛くなってきますな。計算ができへん。そろばん一級なんて、このご時世に何の役にも立たないと云うことが、えらく身にしみる。


03-10-2006 / Tuesday

_ 蘊蓄を語るのが好きな人とか子ども自慢の長い人につきあう度量がない。自慢することがほとんどないからなのだろうか。純粋にそうなのだとしたら、興味深く、なるほどー、とか真剣に聞いてしまうのが本当なのだろうか。だとしたら、わたしは自慢したくて仕方がないのに自慢することがなくて、嫉妬しているだけのつまらんやつか。

_ 某さんの研究上の不満をまたきかされる羽目となり、頭が痛む。なぜという問いかけは、わたしではなく、村なり役場の人にしないと。わたしは百科事典ではない。知らないことがまだまだたくさんあるから調査に来るのであって、全部しっていたら、来ないよ。知らないから教えてもらうのだから。それと、なぜという問いかけと、自分の不満を混同してはだめだ。そこのところに気がついて欲しいのだけど、それはその人が自分でわからないことには意味のないことだ。わたしは不親切で不寛容な人間だから、ええ加減にせいと活を入れることもしないし、なるほど、ふんふんと静かに賢そうに偉そうに聞くしかしない。うんと年上の人にどんなふうに上手に伝えることができるか、わたしはまだわからないのだ。わからないということを自分でわかっているので、日々、考えてしまう。無駄なこと考えていると思いつつ、頭の中が透明にきれいに晴れる日を待っている感じ。


03-10-2008 / Friday

_ 通信状況がよいので、Google Erath最新版とプラネタリウムソフトをダウンロード。。したのだけど、なぜか上手く乗らず。。

_ この日記を休んでいた間、マニュアル日記を書いていたかというと、それもまったく書いていなかった。今までの人生の後半半分は、いつもなにかしら書いていたのだから、もしわたしが長生きして後に、このころは何をしていたのかなと思い出すことがあったとしても、ほとんどなにも覚えていないことになるだろうか。ひとつひとつは濃厚な思い出であっても、連続になれば、それはまた淡々とした日々の連なりとおなじことで、部分だけしか思い出せなくなるだろう。

ところで濃厚な思い出の多くは、ケンカであった(笑)。意思疎通することのむずかしさ、どの場合もわたしと相手の間にはかならず電話が挟まれており、声はすぐ近くに聞こえるけれども、実態が掴めず、こちらの意図はすべて三回転半くらいひねりが入れられてしまう。いろいろな人と言い合いをした。こちらの人は、長年の友情なども、いとも簡単に捨ててしまうことがある。もともと近づきになるのに、時間と相当の努力を要する社会だから、その喪失感は大きい。素通りするだけであれば、こちらの人びとの笑顔とか親切さというのは、日本人は持たなくなったにもかかわらず、なにかしら琴線に触れるものであるから、いつまでも印象に刻まれる。それでついつい、深みにはまってしまったのだろうか。自分のことではあるけれど、なにかとおいところで起きている出来事のようにも見える。

今は、でも、毎日、穏やかに三歩下がって、それまでよりも遠くをみるようになった。


03-10-2011 / Monday

_ ついに子どもに自分の風邪をうつしてしまい、土曜日の夜頃から青い鼻が出始めて、耳を触るようになった。中耳炎。今回は気をつけて、早めに薬も飲んだし、ずっとマスクもしていたのだけど、これだけ密着して生活していたらもうどうしようもないか、、と反省しつつあきらめて、病院に連れて行く。びっくりするくらい空気が冷たくなっている。どういうことなのか、先週から外出の度に、生まれたてのようにみえる新鮮な黄緑色の胴体をしたカマキリとよく遭遇する。今日も乳母車を押すアスファルトの前に、突然、風に乗ってなのか、ふわりと小さなカマキリが舞い降りてきた。こんな道路の真ん中ではかわいそうだねと言って、指でそっと背中を押すと、誰かが糸を引いているのかと思うくらいのスピードで、垣根に向かって走るように飛んでいった。来週の月曜日は、氏子神社で御稚児行列がある。その次の週は灯籠祭。秋がどんどんと深まって、もう冬支度のことを考えなければならなくなってきた。一年が過ぎるのは本当に早いものだなあ。

図書館で借りてきた「飛ぶ教室」は、わたしが持っていたものと翻訳者が違うからか、なんとなく違和感がぬぐえず。ヨナタン(ヨーニー)・トロッツは、ジョーニー・トロッツ、禁煙先生は、禁煙さん。印刷された文字を読む度に、脳内ではヨーニー、禁煙先生と自動翻訳が逐次おこなわれるので、なんだか頭が痛くなって、すぐに眠くなってしまう。ぽつぽつとしか読めないのだけど、初めて読んだ日の興奮を思い起こしながら、ページを繰っている。


03-10-2015 / Saturday

_ 10月になった。今学期は学生の数がとても多くて、8月の終わりからずっとてんてこ舞いをしている。小学校準備学校に入学した子どもの学校が弁当持参ということもあって、毎朝3時半起きである。バスが7時前に迎えに来るから、それまでになにもかも身支度も整えておかなければならないのだが、肝心の子どもがぎりぎりの6時にしか起きないという体たらくの上、寝起きがすこぶる悪いのである。毎朝、金切声をあげる子どもとわたしとで、その時間帯の数時間だけで、一日が終わった気がするほどである。

子どもの学校は、いいのか悪いのか全然わからない。今のところ、判断を保留している。世間的には「とてもいい学校」とされているようだが、ガイコクジンのわたしにとってはまるっきり理解できないふしぎなシステムがあったり、子どもたちへの連絡は基本的にPTAのクラス長のおかあさんからWhats appとかいう賢い電話のアプリケーションで伝えられることになっていたりするのである。賢い電話を持っていないわたしは当然のごとく、すべての情報網からとりこぼされていて、そのことがわかるのに1か月かかったのだ。普通、どうもこの子の家には連絡がいってないんとちゃうか・・・とか、想像がつくんじゃなかろうかと思うのだ。しかし、そういうふうには考えられないようで、「ええ、賢い電話を持っていない人がいるの?!」という方向に、物事は流れるのである。この件については、幸いなことに、賢い電話を持たない主義の人は大学に勤める人に多いことが認知されている状況がこちらの社会にはある(日本もかな)。それでなんとか別ルート、すなわちガラケーのテキストメールで連絡してくれるように手配してもらえたのだった。まあほかにもいろいろあるんだけど、またそのうちに。

先日、インターネット会社の連絡で、新しい4GLTEのWi-Fiモデムを、今使っているモデムと引き換えに通常価格の半額で交換するというお知らせが来た。それでそのプロモーションの最終日に展示所へ行って、交換をしてもらった。嘘のように早くなった。もうずっとインターネットから遠ざかっていたのだけど、さすがにこれだけ早いとなると、ストレスもかからないから、気軽になんでも調べられるようになった。家で授業の準備もできる。こういう経験をすると、賢い電話を持たない生活と、持った生活の違いというのも、なんとなく想像できなくもないのだけど

まだもう少し、時代に逆らっておこうと思う。とくに理由はないのだけど。昨日から、友だちに借りた『遠い太鼓』(村上春樹)を読んでいるので、余計にそんなふうに思っている。とにかく、このエッセーが書かれた1986年からの3年間て、まだインターネットも黎明期も黎明期、日本ではほとんどまだ誰も知らないという時代で、イタリアでは白黒テレビの新品が売られていた時代だったのである。たかだか30年あまりで、有線電話すらもう持たない世帯が出てくるなんて、どこの誰が想像できただろうか。今から30年後、どんな世の中になっているのだろうか。


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