_ 衣替え。
_ 年を経るごとに頑なになる人がいるよね…と、昔、私の顔を凝視しながらいう友だちがいた。それでも好きな友だちだった。久方ぶりにあってみると、そつのなさを今でも維持していることにむしろ感心した。私はとうの昔にいろんなこだわりを捨ててしまっている。「すてき」「素敵」「ステキ」の使い分けに関する独自論展開とか、「かれ」「カレシ」とか。文学少女気取りだったので、うるさいことを言っていたような気がする。結婚している友だちも来ていたが、その彼女が友だちの配偶者のことを「ご主人様」と呼んでいることの違和感とか、話したいことはたくさんあったような気がするが、言えば「それがどうした」と言われることも想像できたので、ふむふむと聞いていただけ。時間が流れて、距離ができたんだなということを確認するために会うことは悪いことじゃない。それで会わなくなるということでもない。
私ができるだけ姿勢正しく歩こうといつも心がけるのは、彼女からいつも「歩くときはあごを引いて、お臍を中心に力を入れて、おしりを引き締めて」と言われ続けていたからだ。昨日会った彼女の歩き方は、昔の私の歩き方に似ているような気がしないでもなかった。私は「ズボンばっかり履いてないでスカートを穿くように」と言われ続けていたので、この数年はスカートばかりはいている。言われてすぐにそうなったわけではないが、いつも心の何処かで引っかかっていたのだろう。年も取って、いろんな方向をきちんと目を開けて見ることができるようになると、スカートはそんなに寒くないこと、ヒールのある靴をたまに履くと、背筋がすっと伸びることなどを発見してからは、いろんな洋服を楽しむようになった気がする。社交的な性格になったかといえば、それはまだまだ改善の余地があることかもしれないけど、私はもうこれでもいいなあ、と思っている。高校を卒業して何年も経つと、結構いろいろなことが変化する。
結婚した友だちがすっかり家庭人となって配偶者や子どもたちについて語るのを聞くのも、嫌いじゃない。人は本質的に「家庭的」であるのか、あるいは結婚が人を「家庭的」にするのかを考えるのも、面白いなと思っている。もし自分に子どもがいたら行きたい場所は野山の他には美術館。ベルリンの絵画館で、ちびっ子が胸の前にだっこ紐みたいなもので前向きに抱えられて、お母さんと一緒に絵画鑑賞しているのを二組、見たからだ。ちびっ子にはなにがなんだかわからないかもしれないし、面白い絵の前ではきゃっきゃと笑うかも知れない。怖い絵の前では泣くかも知れない。あのだっこ紐は美術館謹製なのだろうか。意味もなく、欲しい。