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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

01-10-2005 / Saturday [長年日記]

_ 今回、途中で、訳あって、西洋人が多く泊まるホテルに泊まることがあった。西洋人の女性の中にはまさに貴婦人然とした人もいて、この暑い中、れっきとした純白の白麻のスーツと帽子で、ポール・ボウルズの小説の登場人物も真っ青な正統派オリエンタル・トラベラー・ルックに身を包んでいたりする。一方、新大陸系の婦人の中には、いくらウェスタン・スタイルのホテルだとはいえ、そんな湯上がりもしくは入浴中にかかってきた電話を取るためにちょっとタオルを巻きました、という出で立ちでよいのだろうかと思わせる装いで、朝食ラウンジに現れる人もいたりする。そして日本人であるところの私は貴重品バックをもちろん斜めがけし、一瞬たりとも身から離さず、前屈みになってかちかちとカトラリーを鳴らしながら食べている人が他にいないかと忙しなくあちこちに目を走らせながら、テーブルに着いていたいと思うのだが、ま、なくなったらそのときはやむなし、と思いながら、部屋の鍵と文庫本だけ持ってテーブルに着いたら、東洋人と西洋人へのサービスの違いって、すごいね。これがもっと由緒正しい、名門ラッフルズ・ホテルとかだったら、違うのだろう。ヨーロッパ等々へ行ったとき、私自身は東洋人に対する差別をほとんど感じることはなかった。本当の東洋人差別は、東洋の中にあるのだと思うわけである。今回もラッフルズへは行かなかった。これは新婚旅行でいきたい(=死ぬまで行かない)。

_ デスクトップは無反応。。データの取り出し、どうしたらええのだ。

_ 新加波が好きな理由は、街中に緑が多いからかなと思う。Fine好きな国として知られているけれども、小さなゴミが落ちていることもあるし、信号無視する人も多い。赤信号でむりやり直進したり、右折する車もあったりして、やっぱり人間なんだなと思ったりもする。タクシーの運転手は総じてジェントルマンで、空港へ行くときなどは、今、どこそこの道が混んでいるから、少しだけ遠回りになるけれど別の道を走ったほうがよいとおもう、どうしますか?なんてことをかならず尋ねてくれる。ホーカーでは、絶対に中国語で話しかけられるけれど、わからないので、無理矢理、英語で通す。中国系だからといって、みなが英語を話すわけではない。

あと、インド系の男女は本当にかっこいい。社会的階級とかによって、もちろん、着衣や持ち物に経済的あるいはその他の影響による差違が見られるけれども、背が高くてぱりっとした男の人、スタイル抜群でまさに彫刻のような顔立ちの美女を見るのも楽しい。インド・パキスタン系の美男美女は壮絶にきれいな人がたまにいて、地下鉄の中は人間観察には一番楽しい場所かもしれない。iPodを持っている人もたくさんいたけれど、mp4というマッチ箱並みに小さいもので音楽を聴いている人もたくさんいた。日本はもういろいろな意味で、アジアでは遅れを取っているのではなかろうか。

一番の目抜き通りのオーチャードは、交通量も多ければ、歩いている人の数も尋常ではない。それでも緑が多いから、疲れたらベンチに腰掛けて、ジュースを飲んだりできる。こういうところも好きなのだけど、ちょっと裏手の筋に入ったりしたところにある茶賓室が好きだ。中ぶりのグラスにたっぷりのミルクティー。グラスの底にはコンデンスミルクが沈んでいる。これが大好きで、日に何度も飲む。肉まんやカヤという甘いペーストを塗った薄くてかりっとしたトーストを食べながら午後遅い時間になると、みんながおしゃべりを楽しむ。その時間がとても好きだ。オーチャードやブギスのおしゃれカフェの半分くらいの値段でのんびり、休める。ぼーっとして一日を過ごして、さて帰国。荷物の半分くらいは図書や文献で、それはもう早々と郵便局から送ってしまった。それでも今回の荷物の重さは信じられないくらいすさまじく、チャージを取られなかったのは、スーツケースの風袋があらかじめ差し引きされているからなのだろうか。重かった。

ボーディングの6時間前にチェックインしたのに、もう通路側の席はなくて、個人客がまず先に座らされる32Eを割り振られる。アップグレードしてくれとごねてみるも、今日はとにかくそんな人ばかりでビジネスクラスもフルブッキングとのこと。来るのが遅いと言われる。32Eという席は、入り口から入って二列目の真ん中。一番前の席は、ふつう、赤ちゃん連れとか最後にチェックインする人に割り振られるので、中途半端に最初のほうにチェックインすると、ここに座らされるのである。。今回は、連休があったりとかで、見事、私と隣の女性以外は、全員、なんらかの団体旅行者であった。日本時間の深夜2時に離陸、直後に軽食、その後機内販売。朝6時前には起こされ、朝食。寝かせてくれない。荷物が多い上、服装が小汚いので税関では私だけ、毎回、トランクを開けさせられる。慣れたけど。

旅行者の服装は千差万別であるが、総じてみな、きれいだ。旅行と日常と非日常の間には、今、どれくらい溝があるのだろうか。ハレとケに、敏感でいたいと思うのは、ただのノスタルジー主義者なのかもしれない。

ウェイティングホールで聞こえてくる日本語の意味不明さ、文法的崩壊の度合いもまたすさまじい。日本語なのか外国語なのかわからない言語を話しているようで、辛うじて、私の母語のようだとわかる瞬間は、「やばいよね」「まじでー」などということばが聞こえてくるときだった。言語はかならず変化していくものであるし、不変であると思いこむのは誤りであるとはわかっている。しかし、それではなぜ私自身が使っている日本語という言語は、いつまでたっても外部の影響を受けずに、ひたすらかわっていなさそうに見えるのだろう。人間が変化を受け入れるのを拒んでいるからなのだろうか。大学言語を話す人間だからなのだろうか。センテンスで会話をする人が減ってきているということなのだろうか。カズオ・イシグロを読みながら、ベンチで横になっていた。


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