_ なんと。本屋だけでなくて、市内の主な映画館も今年中に閉館らしいですね。。信じられない。古い話だけど、中学とか高校時代から親しんでいたルネサンスが閉館して、スペース・ベンケットがいつのまにかなくなって、コマ・ゴールド、コマ・シルバー、朝日シネマ、イタリア会館がなくなって以来、いつそうなってもおかしくはないなとは思ってきた。映画を観る場所もなくなっちゃうんだな。日本全国、均質空間に占領されてしまって、ちっちゃな地方都市が地方都市であるが所以も、もうどうでもよくなってしまうのだろうか。今はもういろいろなカフェやローカル・ラジオ局やレストランが入っている古びたビルに、まだ新聞社があったころ、私はOBを訪問に行ったことがあった。マスコミは全部、落ちてしまい、合格したのは大学院だけという笑い話をようやくはなせるようになった頃、新聞社もどこかへ移転してしまっていた。場所と人と記憶と。
_ 丸善。
帰国した日から、丸善に連日、足を運び、うだうだと徘徊してきた。夕方、寄ってみると、1階の檸檬特設コーナーに、人々が列をなしている。檸檬をすでに3冊(!)も買っている私は、もうそんなことはどうでもよくて、とりあえず、文庫階へ。文具階にも行きたかったのだけど、友だちと一緒だったので、センチメンタリズムに付き合わせるのは悪いと思い、友だちに「最後に丸善で買う一冊」として、小川洋子の一冊を強力に薦めて買わせた。自分は、丸善で買ったあれこれの本の事とか、文庫棚の前で待ち合わせて以来、疎遠になった友だちのこととかいろいろ短い間にあわただしく思い出していた。いつにない混雑。冷静に買うべき本を選んだつもりだったが、しっちゃかめっちゃか。
未亡人の一年(英語版で何度も読み返して、まだ読むのかいな)/忘れられた日本人(今、手元に2冊ある:旅本だからいいんだけど)/岩波の野上弥生子訳ギリシア・ローマ神話(北欧神話も入っているので買った)/エマ(オースティンのほう)/愛の続き(マキューアン)。
記念の原稿罫線入りメモ帳。記念撮影。一人だったら、カメラを取り出す勇気がなかったと思う。私が取り出したら、みんなも取り出したのがおもしろかった。用事を済ませたのが8時過ぎ。あと1時間、名残を惜しもうと思って、引き返してきたら、今日は7時で閉店だった。
さようなら、「檸檬」の丸善。
夕方、梶井基次郎が檸檬爆弾を買った果物屋の前を通ったのだけど、こちらはしんとしていた。
ソニープラザも今の場所では、今日で最後。朝日シネマはとうの昔に閉館。サンシャイン・カフェはすんごく今時の場所に移転(not so badな場所なのだけどね)。思いっきり、センチメンタルに浸りながら、帰ってきた。ヴァージン・メガ・ストアがなくなって以来、まともにCD屋をのぞかなくなったものなあー。本屋は生協とブックファーストと丸善の三本柱で来たので、あのときほど打撃を受けることはないだろうか。うーん、それにしても、なんでこんなことになるのだろう。うーん。
_ 昔からそうだったのだけど、日本から外国へ行くときは、まったくなんの問題もなくすっと現地の生活に入り込める。行き先がどこであれ、問題はなかった。ところが、日本へ帰ってくると、なかなかこちらの生活になじめない。ひとつには、旅の間の緊張と疲れが一気に表面化するからだろう。だから普通は、丸一日ゆっくりやすんでから、まずは身体的な疲れを取り除いて、それから徐々に生活環境になじんでいこうとする。それにかかる時間が異常に長いのだ。日本って、こんな感じだったっけ、前もこんな感じだったっけ、と思いながら過ごすからなのか、外国でみる新しいものやめずらしいものになじむ感覚とは根本的に違って、思い出したり、修正したりに時間がかかってしまう。帰国してすぐの日本の印象は、張り子の国。すくなくとも都会のありとあらゆるものが作り物に見える。郊外へ行く電車などに乗って山や川や田んぼをみるとはじめて、真実のものをみた気持ちになる。そこれで落ち着いて街に戻ると、もうなんの違和感も消えている。自分の知っている日常生活にすっと戻られる。それまでは、透明なフィルター一枚を通して世界をみている感じがする。不思議なことに、今もまだそんな感じがしている。現実に戻ることへの拒否反応みたいだ。