_ 朝、起きる。久しぶりにトースト。おいしい。おいしい。こないだ駅で買った文春の「わたしの書斎」、庄野潤三さんの山の上の家。思っていたとおりの部屋の感じ、家具で、よいなあと思う。木枠の窓というのが、なんともよい。
わたしは小さい頃、昔、農家だった家に住んでいた。御不浄に行く廊下のしんと冷え切っていたこととか、廊下に面した坪庭の茱萸の木と金木犀が足下に落とす陰の暗かったことなどとともに、木枠の窓がかたかたと鳴ったことを思い出す。廊下は黒光りして、弾力があった。父母の寝室の窓に面しては、大きな枇杷の木があった。その裏は竹藪で、風がないような日でも、ときどき思い出すように、葉が揺れる音が聞こえてきた。神棚に面した窓の枠も立て付けの悪い木枠だった。大きなおくどさんと冷たい水がわいてきた井戸のある古い台所。おくどさんはきれいな色タイルで飾られていたから、それほど古いものでもなかったのかもしれない。その奥にあった古い農具の物置と馬小屋などは、物置として使う空間になっていたが、秘密の遊び場でもあった。あのカビくさく、ほこりっぽく、土壁のにおいのする薄暗い空間のことを思い出す。夏は、庭に広げてもらったビニールのプールに、冷たい井戸水を汲んできたのを注ぎ、いつまでも遊んでいた。
古い木造家屋に一度住んでしまうと、あとに住んだ家はすべてなんとなく仮住まい感が漂うものとなり、今の家に住むようになってからはもう何十年になるのに、未だに昔の家の夢を見る。母が丹精込めた庭など、いまでも簡単にその配列を思い出す。古くて不便だった家のことをちょっと思い出した。