«前の日(01-28) 最新 次の日(01-30)» 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|

lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

29-01-2006 / Sunday

_ 朝、起きる。久しぶりにトースト。おいしい。おいしい。こないだ駅で買った文春の「わたしの書斎」、庄野潤三さんの山の上の家。思っていたとおりの部屋の感じ、家具で、よいなあと思う。木枠の窓というのが、なんともよい。

わたしは小さい頃、昔、農家だった家に住んでいた。御不浄に行く廊下のしんと冷え切っていたこととか、廊下に面した坪庭の茱萸の木と金木犀が足下に落とす陰の暗かったことなどとともに、木枠の窓がかたかたと鳴ったことを思い出す。廊下は黒光りして、弾力があった。父母の寝室の窓に面しては、大きな枇杷の木があった。その裏は竹藪で、風がないような日でも、ときどき思い出すように、葉が揺れる音が聞こえてきた。神棚に面した窓の枠も立て付けの悪い木枠だった。大きなおくどさんと冷たい水がわいてきた井戸のある古い台所。おくどさんはきれいな色タイルで飾られていたから、それほど古いものでもなかったのかもしれない。その奥にあった古い農具の物置と馬小屋などは、物置として使う空間になっていたが、秘密の遊び場でもあった。あのカビくさく、ほこりっぽく、土壁のにおいのする薄暗い空間のことを思い出す。夏は、庭に広げてもらったビニールのプールに、冷たい井戸水を汲んできたのを注ぎ、いつまでも遊んでいた。

古い木造家屋に一度住んでしまうと、あとに住んだ家はすべてなんとなく仮住まい感が漂うものとなり、今の家に住むようになってからはもう何十年になるのに、未だに昔の家の夢を見る。母が丹精込めた庭など、いまでも簡単にその配列を思い出す。古くて不便だった家のことをちょっと思い出した。


29-01-2011 / Saturday

_ オフロスキ―というホルスタイン牛の文様に似たピンクの着ぐるみつなぎを着た、少し年を取ったおにいさんがテレビに登場すると、子どもは狂喜しながら飛び跳ねて、両手を水平に前方に向かって突き出し、片足を水平に後方に蹴り上げるポーズを取る。パタリロ音頭みたいだ。オフロスキ―が大好きなのだ。夕方6時のNHKのニュースが始まると、子どもはまた満面の笑みを浮かべて、画面に駆け寄りなにやら話しかける。このアナウンサーが大好きなのだ。顔の見えない夫からの電話でも、わたしが某国語を話し出すと、きゃっきゃとわたしの周りをまとわりつく。

好きだなあと思う人の好みもはっきりとしていて、おいしいおかずが出てきたら、もっと食べさせてと主張もできる。親の欲目だけではないとは思うのだけど、普通に育っているんじゃないかなと見えるのだ。しかし耳が聞こえていない可能性がありますから、一応、疑ってくださいといわれ、発達障害があるかもしれないことを告げられた。なので、立川市のお母さんの気持ちが少しわかるような気がする。あくまでも「気がする」だけなんだけど、そりゃあやっぱりショックを受けるだろうし、不憫でならないだろうと、同情する。

一休さんも病院で、発達障害に関して自宅でできるチェック項目の冊子を渡されている。実際、目の前にいる毎日一緒に生活している子どもの様子と、検査の数値から導き出される子どものハンディキャップの可能性が、どうしたって結びつかないのだから、受け入れろといわれてもなかなかはいそうですかとはならないものだ。だからわたしも、あちらこちらで情報を探し求めた。たまたま軽度の難聴の友だちがいたから、相談して詳しいことを教えてもらえたから、過度に心配しすぎることはなかったけれど。友だちがいろいろと教えてくれたり、大丈夫だよと言ってくれなかったら、自分を責めたり子どもが不憫でならないと思ったりした可能性はあっただろうと思う。あのお母さんにも、もっと気楽に子どものことを相談できたり、病気について教えてくれるような人がいたらよかったのだけど。もしいたのだとしても、そう簡単に心の内を吐き出せるものでもなかったりするのだけども。

病院は、発達障害だと子どもを診断したと同時に、専門の相談員なり窓口やらをすぐに紹介して、まずは親の心配や負担を軽くするようなケアを取るようになっているとよいんだけど。一休さんは大学病院にかかっているけれど、そういうケアはなかった。ただし、生まれてすぐに運ばれたほうの大学病院は、NICUで過ごすことになった新生児の両親向けの相談室やら保護者サークルの案内チラシを渡してくれたものだった。相談する間もなく、子どもが退院できたのだったが、そういう情報ひとつで、救われることはあると思う。

亡くなった男の子の冥福を祈る。


29-01-2013 / Tuesday

_ むかしむかし、まだ飛行機の座席の後ろにパーソナル・モニターが付いていなかった頃。隣り合わせになった人は、すでに着席している人に、一声、挨拶をかけてから腰掛けていたような気がする。とてもおしゃべりの人が隣に座ったこともあったし、年齢が近い人だったりすると、乗換の空港で一緒に宿を取ったりすることもあった。だから宿まで自然に一緒にタクシーやバスに乗り、部屋に荷物を置いてからは、一緒に遅い夕食を食べるようなこともあった。懐かしい時代のことだ。飛行機の機内食も、今よりはもう少し、旅情に訴えかけてくるような、楽しいメニューだったような気がする。先日、最近、いつも乗っている某国の飛行機の朝食は、飛行機に乗ってどこか遠いところへ旅することがまだまだ胸が高鳴り、わくわくするものであったことが、もう前世紀のノスタルジーとなってしまったことを、しみじみと感じさせるものだった。塩っ気のまったくない白がゆには、漬け物も昆布もついていない。そこにバターとジャムの小さなパックがついたクロワッサンが付いていた。もう高いお金を出して、普通の飛行機に乗らなくてもいいのかもしれない。これだったら、LCCで十分だ。といってもLCCもチケット購入の時期を間違うと、普通の格安航空券と同じくらいの費用がかかったりする。旅に出かけることが、あまりにも当たり前になってしまって、その途中を楽しむということが、「旅」から外されてしまったのかもしれない。つまり、目的地に着けばそれでいいというような。。いや、無事に目的地に着くことは旅人にとっては、一番大事なことだ。だからそれはそれでよいのかもしれないけれど。


«前の日(01-28) 最新 次の日(01-30)» 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|