_ 土曜日の事務所は、冷房も切られていて、ちょっと暑い。。
夕べは、三四郎大学ご卒業の、絵に描いたように感じがよくて、溢れる知性がまぶしすぎるくらいにさわやかな女性と食事をともにした。一緒にいると、まるでマリア様か三蔵法師とご一緒しているように、幸せな気分になる。責任のある仕事があって、結婚していて、なにもかも充ち満ちていて、もうなんの不満もなく、不満があっても笑ってすませる余裕があり、何事にも動じず、スマート(内面・外観ともに)で、身のこなしが軽く、ああ、こんな人が世の中にはいるのだということを知ることができたのは、幸せなことだった。爪のあかなんてないだろうが、こんな風になりたいと強く思った。まずは模倣からか。
_ 朝、早々とシティ・チェックインしておいたので、ちょっと余裕ができた。前にフランス語で出版された学術書が、英語版を経て、某国語版に翻訳された。これを買ってみたのだけど、うーん、むずかしいところだ。英語版を翻訳した人は、ちゃんとした本職の研究者の人だったのだが、某国版に訳した人は、こちらのNGOの人たち。翻訳という作業を、技術的な部分だけでとらえたら、そりゃあ、人海戦術でばばーっとするのが一番よいとは思う。しかし、テクニカルタームとか、すごいことになっているからなあ。でもこれもまたひとつの研究成果のローカルへの還元だと思えば、たぶん、意義はあると思う。
_ わたし自身の去就については、すでに何度も書いたとおり、もうここで打ち止め状態に陥っていて、日曜研究者になることが決定している。それで全然いいと思っているし、わたし自身が強くそれを望んでいて、ことあるごとにアナウンスしてきたので、もう反対する人も今はいない。納得したとかそういう次元ではなく、こういう人なんだ、と思われた感が強い。でもそれもわたしが望んだことであるので、悔いはない。ただ博論を出版する前に、ほぼおなじ歴史的文献を使っていながら、西欧の研究者の人に先を越されて出版されてしまったことがちょっと残念だったかな。この資料、特定の出自の人しか持っていないものだったので、見つけたときは、うはうはしたものであるが、解読に時間がかかり過ぎちゃって、先を越された。でも日本人でこの資料を持っているのはわたしだけなので、ちゃんと整理した暁には凸凹大附属図書館に寄贈しておこうと思う。それくらいわりと意味のある資料みたいです、西洋での扱いを見ていると。
_ 今日の午後、某国へ出国して、明日、別の某国。ここで某先生最終講義用のきれいなお洋服を買えたらいいな、と思っている。買えなかったら、悲惨な服を着ていくよりほかなし。
いろいろと行事とか、研究小屋の引っ越しとか目白押しで、4月からの講義の準備が全然できていない。インフルエンザもまだ快癒しておらず、なんかもう日頃のおこないの悪い人は、ほんとにたいへんだなと思う。禅寺とかに入った方がええのだろうか。出家したら、もうすこし、よい人間になれるだろうか。わからない。すべてなにもかも、わたしにはわからない。