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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

27-03-2006 / Monday [長年日記]

_ ハノイが恋しくなっている。それまで、わたしが一番好きな街は、フライブルクだったのだが、今はハノイ。ドイツ人の旅人とたくさんあったのは偶然だと思うが。北の方にある西湖に向かって、緩やかに傾斜している旧市街は、歩いていてこれほど楽しい場所はなかった。目に映るものすべて新鮮で、懐かしい。通りごとにおなじ商売を営む店が並んでいる。その合間に古い寺院が挟まっている。古い商店の奥に燻る漢方の匂いは、フレンチ・コロニアルな建築のそこここにも、うっすらと漂っているように見えるのだが、それがとてもよい感じ。暗い一階の土間に差し込む黄色い明かり。朝の冷たい空気の中を道案内のように漂ってくる暖かい食べ物の匂い。光と匂いが混然としているのに、それがちっとも不快ではない。

コンデンスミルクの沈殿した熱い珈琲を、黄色い電球の下で飲んでから、朝が始まる。汗をかきながらブンやフォーなどの麺類を掻きこんだ。ある朝は、皆が白い息を吐きながら、舌をやけどしそうに熱い粥を食べているのに出くわした。すでに何度か通った牛肉のフォー屋で朝ご飯を食べたばかりであったが、ここへお座りと手招きされ、人民服のようなものを着たおじさんのとなりに腰を下ろす。すぐに差し出された粥に、五香粉を振りかけて食べた。おいしくて、なにもことばに出せないが、粥をよそってくれた人に笑いかけたら、それで十分だったようだ。何を食べようかと迷っていたある朝は、角を曲がると、そこに天秤棒をおろして、熱々のおこわをハスの葉に包んで、次々と売りさばく行商人と出会った。人垣ができている。わたしの入る余地はなさそうに見えたが、おばさんが<あなたはどれをたべたいの?>と聞いてくれたように思った。うっすらとオレンジ色に染められた糯米を指さした。ハスの葉の香が立ち上る。指で丸めたオレンジの塊は、ほんのりと甘く、おいしかった。ニンジン?おいしい、おいしいと声に出しながら、わたしもこちらの人と同じように、しばらくは道端にしゃがみこんでほおばった。

旧市街をぐっと南に下がってホアンキエム湖が見えてくると、交通量はさらに増える。しかし、水辺には不思議な静けさが漂う。いたるところに深く枝を垂れ、水面に濃い影を落とす柳が見える。まるで、緑の黒髪を垂らして水面を鏡のようにのぞき込む女の姿のようだ。カンフーシューズの足をゆっくりと持ち上げてはおろす太極拳の老女。非の打ち所のない帽子とスーツの老人が、ベンチに腰を掛け、フランス語の本を読んでいる。道端に点在する熱いお茶を売る露店に並べられた、風呂の椅子のように小さな椅子に腰掛けると、こちらがベトナム語を知らなくても、どんどんと話しかけてくれる。指さし会話で、食べたいものを食べ、ひたすら歩く。ハノイから海岸沿いに、ぐっとホーチミンまで歩いたが、ハノイの印象がわたしには強くて、気がつけば彼の地の思い出に浸るばかりだった。ホーチミンの安宿は、向かいの家との距離がほんの3メートルほどのごみごみとしたところにあった。裏通りの、ふつうの家が建ち並ぶ安宿街だったが、ときおり路地から聞こえてくるこどもたちのベトナム語が、タイル張りの部屋に飛び込んできて、小さな木霊のように天井をしばらく駆け回り、消えていった。暑い昼間には、水シャワーを浴びたあと、体に布を巻いただけで、しばらくベッドに横になる。いつの間にか眠ってしまい、夕方の熱気の中で目を覚ませば、また別の木霊がやってきていて、ここがハノイだかホーチミンだかわからなくなってしまう。ほんとうに自分は旅をしてここまで来たのか、最初からここにいたのか。

ぼんやりした頭で夕方の散歩に出る。排気ガスでしろく煙った交差点の露店で、珈琲を飲む。アイスコーヒーを飲み干して、残された氷越しに尋常ではない量の車とバイクの波をみていると、おばあさんがぬるいハス茶のポットを持ってきてくれる。これをグラスに注ぎ、コーヒーミルク味のお茶を飲むのだが、その組み合わせをごく自然に受け入れるわたしがいる。もう何年も、そうやってコーヒーを楽しんできたかのように。

そんな旅のことが懐かしく思い出され、旅の手帳を読み返してみた。また行きたいと思う旅ができたことの幸せ。


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