_ tDiaryはメンテナンス中?だとかで、一回アップロードして公開してしまうと、修正ができなくなってしまっている模様。昨日の日記は、そういうわけで、文章の推敲ができなくて、いつにましてへたくそ文章のお手本になっています。恥ずかしいのでわたしもなんとかしたいのですが、どうにもできないようです。メンテナンスが完全に終了するまでの辛抱のようです。
_ また子どもと一緒に豆を莢から取りだして、今回は豆ごはんを炊いた。今回は、昆布、酒、みりん、砂糖、塩を入れるというレシピ。いつもは、みりん、砂糖は入れない。ごはんがふっくらとやわらかく炊けたのがうれしい。
_ ずっと未開封にしていた先輩からのメール二通は、先週末、ひっそりと読んでみた。なんのことはない(期待していたような厳しいことばとか叱責はなく)当たり障りのない返信で、そりゃそうやなあと、なにか過剰に反応(というか期待)していた自分がやっぱりただの自意識過剰さんだったということで、解決しました。めでたし、めでたし。というか、そりゃそうとしか書けへんわなあ。。という感じでした。ああ、こりゃこりゃ、です。
_ 図書館にて。子どもが保育園に行っている間に銀行、郵便局、図書館へ。頭を使わずに読めるものがいいなと思って、桐野夏生「東京島」、堀江敏幸「本の音」、俵万智「かーかん、はあい」(正・続)。「東京島」は、、、珍しく中途半端な気がした。もっと厚い記述に仕上げることもできただろうにそうしなかったのは、とても表層的なところだけを書くことで、逆にリアリティを出そうとしたのかな、という一般的な感想しか思いつかないんだけど、想像力はかき立てられた。15少年漂流記にしろ、ロビンソン・クルーソーにしろ(スイスのロビンソンも含めて)、最初からある程度、ものがある状態で漂着するというのは、出来事の悲壮さの割合を大幅に緩和するような気もする。だから、生存本能に従って、ありったけの英知と知見を振り絞って、逆境を乗り越えていこうというエネルギーも沸いてくるのだろう。そういう、ストーリーとは関係のないことを考えながら読み終えたので、よけいに「出来事」の表面だけを斜め読みした感がぬぐえない。すみません。