_ 他山の石というのか、人の振り見て我が振り直せというのか、そう思ってはき出される言葉を受け止めないととてもやっていけないなあという気がしたので、パートを休んで你好仕事に行って別の仕事を探しに行ってきた。ひとつ、これならできるかなあというのがあったので、その紹介状をもらって応募したけれど、どうなるかなあ。うまいこと、おばちゃんパートから抜け出せたらいいんだけど。やっぱり安易に家から近いからとかそういう理由で仕事を選んではいけないのだろう。それがわかっただけでも、よい経験だと思え。今回ダメでも、いつか必ず、ここから抜けだそう。
少し前に、某先輩と食事をしたときのこと。関西某所の大学で教える某先輩は、この頃、国内の地元でいろいろな社会調査を学生と一緒にしているとのこと。関西圏に生まれ育った人ならば、ほとんどの人が知っている場所がある。どちらかというと零細規模の工場が林立し、いささか物騒であると考えられている地区である。そこでの社会調査を企画して、学生を送り出しているという。世の中にはいろいろな背景を持った人がいて、大学に進学できるような君たちとは全然違う環境に生きている人もいるんだよということを考えてもらいたいのだという。と同時に、いろいろな事情があって、そういう生活をせざるを得ない人だっているということをどう考えるのか、社会の仕組みがどうなっているのか考えてもらいたんだと、いわばスタディ・ツアーのように思って、学生を送り出しているんだけど、心配で心配でならないこともあるという話を、牛肉ほお肉の赤ワイン煮を食べながらしていたのだった。や〜、そういうことやったら、わたしがいくらでも話しますよ!大学に進学してもうまく行かないという事例として!そして今や某国の人々よりもはるかに厳しい生活を実践している生きた事例として!というと、一瞬、はっとしたような顔をしたあと、そうやなあ、ある意味、あなたも国内スタディツアーの対象としてふさわしいのかもしれないねえと、ショックを受けたように返された。またよく考えずにぱっと思ったことを言ってしまった。言わなければよかったと後で思うことを、いまだにすぐに言ってしまうのは、今の職場に感化されたわけでもなんでもなく、根がそういうふうにできている(Ⓡ西村賢太)からなのだろう。で、あまり反省もせずこうして暮らしている。なんか、やっぱりここから抜け出すのは無理かも知れないと思えてきたです。。
少しだけよいこともあって、ボランティアで日本語で教えている学習者の人が、とても勉強熱心な人なのだけど、センセイは説明がとてもわかりやすいと言ってくれる。いつも言ってくれる。きっと、わたしが外国で外国語を勉強した経験を持つからなのだろう。何がわからないのか、どんなふうにわからないのか、自分が経験したことなので、よくわかるからなのだろう。うれしい。精進して経験を積んでいきたい。