_ 中欧某国から一時帰国中の悪友に資格試験関連の図書資料等々を一式謹呈するとか、某大学のえらい先生になった先輩にちょっと前までわたしが専門としていた事柄についてのレクチャーをするとか(大学の市民講座で話すことになったらしい)、恩師の古希のお祝いで教え子がたくさん集まるとかで、この一か月ちょっとの間に山ほどたくさんの知人にあう機会があった。それなりに楽しかったり盛り上がったりしたのだけど、一番盛り上がったのは、やはり悪友と先輩だったような気がする。そこのふたつの邂逅の間に、資格試験勉強時代のクラスメートとの再会もあったりで、わたしにしてはひじょうに多くの友人たちとの再会があった。その度に毎回思ったのは、自分がいかにつまらない人だったかということと、それでもカメの歩みではあるけれど、少しずつよい人間になる方向に進んでいるのかも知れないなあということであった。寿命が来るまでに、もう少しよい人間になっていれば、地獄に落ちてからの艱難辛苦もなんとか乗り切れるのかもしれないと思ったりしている。や、乗り切るとかそういう問題ではないのが地獄というところの恐ろしさだとはわかっているのですが(笑)。子どもは今、論語を勉強しています(笑)。というのは、中国の人と話をしているときに、意味がわからないからこそ、小さいときから「音」として、論語(その人の場合は四書五経全部なんですが)を勉強するのがよいといわれたからだった。で、ともあり、えんぽーよりきたる、またたのしからずや、を一所懸命、お風呂のときに一緒に暗唱している。子どもは疲れてお風呂から出たくなると、ともあり、えんぽーよりきたる、また明日!と行って、さあーっと疾風のように湯船から上がっていく。やはりこの子はわたしの子どものようです(笑)。好きなように自由に生きてもらいたいんだけど、その前に、もうちょっとだけ、論語をインプットしてみたいような気がしています。わたしのように地獄に落ちないように。。
「ともあり、えんぽーよりきたる、また明日!」可愛すぎ(笑)
聞いてみたい!!
ほんとに(笑)。ちびっこがかわいい声でむずかしいことをいう声に癒やされています。