_ 旧知の人と会うので、手土産を買いに街へ。2つある王宮のうちの小さいほうの前庭で、なにやらお祭りらしきものが開かれていた。こういう情報は、全然、普通には伝わってこないのである。うちは地方紙じゃなくて全国紙を読んでいるということもよくないのかと思うのだけど、とにかくこういう「何月何日に、どこそこでなにやらがあるでえー」という情報は、ピンからキリまでなにもかも口コミなのである。口コミネットワークに入っていないと、徹底的に情報は入ってこない。はい、端的に言って、寂しいことです。ちょっと気落ちしておみやげを買って、ああ、こんなお祭り、踊り好きの子どもはきっと見たかっただろうなあ、、、なんて思ったりしたのであった。
ちょっと訳ありの学生の、指導教官でもなんでもないのだが、心の指導教官になっている。学生は、本来の指導教官のところよりも足繁く、わたしのところに来る。で、一度来たら、2時間くらい話していく。それは全然、構わないのだが、本来の指導教官がどう思っているかを考えると、どうすべきかと考えないわけに行かなくなってくるほどによく来る。この学生は、とにかく並み居る教員よりも遥かに日本語がうまい。うまいとか下手とかそういうレベルを越えて、日本語を理解している。作文など、今時の日本人大学生などとは比べ物にならないほど、うまい。修辞の技術も、普通のレベルを越えている。こういう天才がまれにいるんだよなあと、時々、同僚の先生たちに、この学生のずば抜けた才能について語り合いたいと思って話を振るのだが、これがまた、みな徹底的に無視をするのである。その気持はわからないでもない。先生たちにすればさぞかし面白くないことだろう。でも、こういう人が将来的に学科に来てくれれば、それはそれは素晴らしいことになると思うのだけど、この国では突出した才能は、徹底的に妬まれるところなのである。だから、外交官にでもなればと、いつも話している。わざわざ虎穴に入って、潰される必要はないものなあ。なんとかしてあげたいけど、これだけできるから留学する必要もないなどと言われたりするのも、気の毒な限りである。うまくいかないものなのだなあ。。