_ あっという間に五月も半ばになってしまっている。この間にまあ相変わらずいろいろとあった。まず英語学校はもう止めてしまった。話すことがメインのクラスとはいえ、コースの半分くらいが英語劇で、しかもそれを映画のように撮影して、教会の行事で発表するということを聞かされて、急速に学習意欲が萎えてしまったのだ。英語劇がきらいなのではなくて、その準備のためにみんなで集まったりとかそういうのが、事実上、わたしには無理だからである。それでもクラスが好きだったら、無理して時間を作ったのかもしれないけれど、そういうふうに思えなかったのは、やっぱりプレイスメントがちょっとまちがっていたからなのかなとも思う。まあこれはわたしが言うべきことじゃないんだけど。とにかくモチベーションが全然、上がらなかったのだ。その理由は例えば、先生が宿題を出したことを忘れていて、ほぼ毎回、宿題の答え合わせだとか回収して採点とかそういうのがなかったこととか。一緒に受講した友達は、一人はすぐに脱落、もう一人は健康上の理由で脱落せざるをえなくなっていた。それぞれにわたしと似たり寄ったりの理由である。なかなかうまくいかないものである。
そのほかのイベントは、またひとつ年を取ったこととか、あやうく滞在ビザの更新を忘れかけていたこととか、新しく下の階に引っ越してきた夫婦がふたりしてまるで機関車のごとく煙草をすう人々であらゆる家の隙間からたばこ燻蒸のように煙が入ってきてたいへんな目にあったこととか、初めて子どもをバイクの後ろに乗せて、新しいダンスの教室の見学に行ったこととか、そのときに命綱ならぬ腰布で子どもに命綱を巻いたのだが、それがあまりにもぎゅっとわたしの背中にくっつけて結んだものだから、子どもの頭がぐっと上向きに反り返る状態になって、窒息しかけていることをま~たく知らないでバイクを走らせていて、あとで横に並んだ別のバイクの人に注意されてこととか、それを知って心臓が止まりかけたこととか、まあそんなこんながありました。なんかほんとうにたいへんでした。でもまあいつものようになんとかした。
大好きな5月だけど、誕生月は実はそんなにいいことが起きるものでもないとかいう話もあって、こんなものかなとは思う。
あとは何冊かまたもらった本を読んだ。読んだあとにきわめて不快な気分になる本が2冊あった。こういうのを最近はいやミスと言ったりするんだっけと思ったんだけど、登場人物に誰一人感情移入できる人がいない小説って、なんともいえないものである。家においておくのも不吉な気分がする。
というわけで、全体的にぱっとしない毎日を過ごしていました。相変わらずのことなんですが(笑)。
もっと親日的で、食べ物がおいしい国に引っ越しをしたいものです。この国は、研究者としていたときのほうがもっと好きだったような気がする。それはつまり、この国の本質に絶対に迫ることができないからだったということが、今ではわかる。その表層的な事実だけで、あれこれ知ったようなことを話していたことはウソではないと思う。だって、もしそれがウソだとしたら、これまでの研究の蓄積はすべて虚構になってしまうから。その虚構も含めたものがこの国の「本質」なのだろう。本音と建て前は、日本の専売特許ではないのだろう。そんなことをずっと考えていた5月前半だった。