_ 夏に日本と当地を行ったり来たりしているときに、『空飛ぶタイヤ』(池井戸潤)を読んだ。池井戸潤の小説のまるで中毒性のある食べ物のような魅力は知っていたので、できるだけ厚く、なかなか読み終わりそうにないものをと選んだ一冊だった。予想に違わない面白さだったけど、到着する前に読み切ってしまったのでちょっと残念。面白かった。貧乏性なので、できるだけ分厚い本を読みたいと思うのだけど、だからといって読むのが楽しい本ばかりというわけでもなかったりする。中には、半分まで行かないのに、もうええわーと、途中棄権したくなる本もある。でも池井戸潤は、今のところ、ハズレ無しなので、全部読んでしまわないように注意しながら、旅行本を毎回選んでいる。
今回、わたしは初めて自分のお金で湊かなえの小説を一冊買った。それまでは誰かが読み終わったものを借りたり譲ってもらったりして読んでいたので、おもしろくてもおもしろくなくても、格別なんの感慨ももたなかった。今回、初めて買った本は『豆の上で眠る』。おもしろいんだかそうでないんだか、読んだあとも微妙過ぎて、もやもやとしている。故に、イヤミスなのか。いや、そうではないと思うのだけど、次が知りたくてページを捲る@ジョン・アービングなわけです。その点ではページ・ターナーではあるのだけど、もやもやと残るのは、登場人物の人生がどこか置いてけぼりになってしまっているからなのかもしれない。主人公以外の他の人の人生、がである。誘拐された(のか神隠しにあったのか)姉がいなくなって、2年後に戻って来る。それだけで、大事件である。なのに、意図的に、周囲の人の疑問や違和感、対応等々が排除されているため、するっとその事実を読者も受入れてしまうような構造になっている。もちろん、主人公は大いに疑問に思って、それを追求しようとするのだけど、それがどうしようもなく中途半端に終わっている。いいんだろうか、これで。と思いつつ、最後まで読んで、もやもやとして、ああ、やっぱり他の人はどう思っていたんだろう、という部分の消化不良が解消されていないのがひっかかっているんだなと思っている。それで話は変わって、NHKの山ガール番組で、工藤夕貴と湊かなえが一緒に関東のどこかの山に登っているのを見た。湊さんは、どこにでもいそうな親しみやすく見える人で、知らなかったら小説家であるうえに、こんなに人をもやもやとさせるものを書いている人にはまったく見えなかった。ちょっとクセはありそうだけど、それはお互い様ということで(笑)。でも、楽しそうに山でえんやこら持ってきたフランスパンを食べているのを見ると、まあええかー、という気分になりました。おしまい。