_ オフロスキ―というホルスタイン牛の文様に似たピンクの着ぐるみつなぎを着た、少し年を取ったおにいさんがテレビに登場すると、子どもは狂喜しながら飛び跳ねて、両手を水平に前方に向かって突き出し、片足を水平に後方に蹴り上げるポーズを取る。パタリロ音頭みたいだ。オフロスキ―が大好きなのだ。夕方6時のNHKのニュースが始まると、子どもはまた満面の笑みを浮かべて、画面に駆け寄りなにやら話しかける。このアナウンサーが大好きなのだ。顔の見えない夫からの電話でも、わたしが某国語を話し出すと、きゃっきゃとわたしの周りをまとわりつく。
好きだなあと思う人の好みもはっきりとしていて、おいしいおかずが出てきたら、もっと食べさせてと主張もできる。親の欲目だけではないとは思うのだけど、普通に育っているんじゃないかなと見えるのだ。しかし耳が聞こえていない可能性がありますから、一応、疑ってくださいといわれ、発達障害があるかもしれないことを告げられた。なので、立川市のお母さんの気持ちが少しわかるような気がする。あくまでも「気がする」だけなんだけど、そりゃあやっぱりショックを受けるだろうし、不憫でならないだろうと、同情する。
一休さんも病院で、発達障害に関して自宅でできるチェック項目の冊子を渡されている。実際、目の前にいる毎日一緒に生活している子どもの様子と、検査の数値から導き出される子どものハンディキャップの可能性が、どうしたって結びつかないのだから、受け入れろといわれてもなかなかはいそうですかとはならないものだ。だからわたしも、あちらこちらで情報を探し求めた。たまたま軽度の難聴の友だちがいたから、相談して詳しいことを教えてもらえたから、過度に心配しすぎることはなかったけれど。友だちがいろいろと教えてくれたり、大丈夫だよと言ってくれなかったら、自分を責めたり子どもが不憫でならないと思ったりした可能性はあっただろうと思う。あのお母さんにも、もっと気楽に子どものことを相談できたり、病気について教えてくれるような人がいたらよかったのだけど。もしいたのだとしても、そう簡単に心の内を吐き出せるものでもなかったりするのだけども。
病院は、発達障害だと子どもを診断したと同時に、専門の相談員なり窓口やらをすぐに紹介して、まずは親の心配や負担を軽くするようなケアを取るようになっているとよいんだけど。一休さんは大学病院にかかっているけれど、そういうケアはなかった。ただし、生まれてすぐに運ばれたほうの大学病院は、NICUで過ごすことになった新生児の両親向けの相談室やら保護者サークルの案内チラシを渡してくれたものだった。相談する間もなく、子どもが退院できたのだったが、そういう情報ひとつで、救われることはあると思う。
亡くなった男の子の冥福を祈る。