_ ウィルスメールがよく来る。対策は練れども練れども…。
_ 職場関連でも、メールのやりとりの誤読合戦が続いたので戦列を離れると、また呼び戻される。ついていないときは、ほんとうについていない。こだわるべきポイントを間違っているのではないだろうか、もちろん双方が、ということ。
_ ずっと昔から探していたCDを見つける。狂喜乱舞というのはこういうことなのでしょうか。なぜみつからなかったかというと、それは私がそのミュージシャンの名前のスペリングを間違っていたからだった。いやなことが続いた昨日と今日。やっと、ちょっと気持ちが晴れた。山あり、谷あり、ということなのだろうか。
_ お稽古最終日で、途中から場所を近所のレストラン・バーに移す。先生は昨日は明け方までパーティーだったとかでお疲れの様子だったが、「また会おう!」と和やかに別れた。タクシーで駅まで走り、駅からタクシーで。いい友だちがたくさんできて、それがとても楽しかった。またみんなで会いたいな(これ、月曜日の話)。
_ 最終講義の準備で花屋とかレストランとかで、小僧も走り回るのであった。値切るの、やっぱり上手い。交渉事だけはできる。ほめられる。いや、褒め称えられる。あんまりうれしいわけではないけど、他にいいところがないから、うれしい。
いまだドイツ・ブームは冷めやらず、『アウステルリッツ』なんて、買っちゃった。一緒に買ったのが、『噂の真相 休刊号』で、バランスを取ったというのか。そのうち『舞姫』も読んだりするんじゃなかろうかとさえ思う。森林太郎の墓参りにも行ったことあったっけ。あ、そういや下地はあって、一昨年、夢中で読んでいたマンガは『モンスター』だった。これは舞台がドイツだった。
_ 今日の夕方の空はとっても素敵な色でした。ふわっとした夕焼け色というのか。だからというわけではないのですが、近沢レースとかナラ・カミとかローラとか覗いて帰ってきた。幸福感一杯です。きれいなものとかかわいいものを見ているとなぜこんなにしあわせになるのでしょうか。そういや、うさぎ型小物入れとかうさぎの刺繍入りバッグとかを売っているお店に入った瞬間、もう我を忘れてアリスの気分になったものでした。うさぎって、やっぱりかわいい(クマも蝸牛も好きなんだけど)。結局買ったのはひどく現実的に、近沢レースで「ちり紙入れ」。お母ちゃんの分も買った。地下でチーズ(ゴーダとレッドチェダー)を買う。とかいいつつ、電車の中で『噂の真相』を読んで帰ってきた。さらに現実的。帰ってすぐ、鼻うがい。またさらに現実的。
_ 学長表敬訪問の日だった。30分くらいで助手の人と慌ててスライドショーを作って、こちらのプロジェクトの説明をした。末永い協力関係を確認しあう(のがMOUというらしいですな)。でも「お金がないと話にならんので、がんばって科研費を取ってくれ」とも言われる。まさに現金な話だなと思いつつ、記念写真を無事に撮影して任務完了した。
巡業からの帰り道、車の冷房にやられて、のどが痛む。
銀行に行くのがめんどくさかったので、今回はずっと近所の換金屋で両替をしていたら、随分とやっぱりレートが悪かったみたい。
「ジェンダー」に関して博論を書いている人の研究報告会に出席してみたのだけど、「女とはだれか」ということを考えたことのない人だったらしい。世の中には結婚した女と男しかいないのだ、という論調の報告。結婚しているとか、離婚したとか、若いのか年寄りなのか、貴族階級なのか奴隷階級なのかとか、某国に住んでいたら自動的に組み込まなければならない情報が一切、無視されていた。きけば本人は植民地エリートの両親のもと、首都で育った人で、地方語は話せないらしい。それだけで、その人の研究を判断するのはこれもまた間違いであるのだが、それでもなんかある意味、典型的なインテリゲンチャやなあと思わずにいられず。女の役割:生産(出産が含まれるかどうかも言及なし)、家事、近所づきあい、だそうだ。これが三本柱となって、話が進んだ。コメントを出すべきかどうか迷ったけど、ブレイクのときにちょっと触れることにした。この人、とてもよい人だけに、コメントするのがむずかしい。よい人だったら、だめな研究をしても許されるのかというとそうではないし、だからこそ、なんかコメントしたくなるのだけど、実は去年、彼女の報告を聞いたときは、わたしは結構、鋭くいろいろと指摘したことが、なんとなくトラウマになっている。なぜかわたしのトラウマ。それで遠慮しちゃったのだけど、こういう遠慮がだめなんだろうな。だって、コメントが全然反映されていないということは、ゆうてもあかんということやん…とか、煩悶しているうちに、ブレイクタイムも終わり、機を逸した。だめ。
_ 現実的な視点に立てば、短期的なスパンでこれだけの人数を収容できる規模の仮設住宅を建設することはほぼ不可能だろう。原発のこともあるからなおのことである。物資を陸送するライフラインの確保すら難しい状況では、絶対に必要な、ある程度長期的に入院治療する必要がある人を収容するための病院すらバラックでしか準備できないのではないかと思う。
学校統廃合で使われなくなった建物を最大限利用するのも有効。こんなとき諸外国でよく取られるのがリロケーション政策だ。コミュニティを丸ごと、別の場所に再定住させることで、もちろん問題もある。複数のコミュニティが共存することで統率が取れなくなったり、過剰に帰属意識を持ちすぎたり、あるいはどうしてもなじめなかったり。でもこの問題は、それこそ様々な形での外部支援者からのコミットメント次第で、専門家による助言が足りなくても、ある程度は回避できる。内田先生もすでにお書きのように、文科省ベースで、学校単位で一定の仮コミュニティを学校施設に受け入れるということも現実的な方法かなと思う。
「不謹慎」ということばもあちらこちらでみるのだけど、わたしの考えは、過度に今回の巨大災害で、被災地の外にいる人がショックを受けすぎるのはどうかということ。前回の日記にも書いたけれど、あくまでも自分の日常生活の延長線上で、今回の被災を考える「余力」を持っていないと、結局、なにもしてあげられなくなるからだ。現実的に、必要な支援を考えることができなくなってしまうから。なにが不謹慎でなにがそうでないかということは、明らかに明白な意図を持った悪意をのぞけば、ほぼすべて主観の問題である。それとどう折り合うかは個人の考え方の範囲で決めることだし、外部者同士でやれそれは不謹慎や否やとやりとりするのはナンセンス。。
なんてことを今、わたしが書けるのも、上に書いた「してはいけない」をすべて自分が経験したからである。「東北」地域で、被災に遭わなかった場所はまだまだたくさんある。直接の被災地とはならなかった場所であっても、きっと今後しばらくは、観光旅行者の数値も右肩下がりを続けるだろう。でもだからこそ、なにも起きなかった「東北」の観光地を旅行するのだ。災害ツーリズムは、実は現実的に、東南アジアなどの被災地を経済的にも救済している側面がある。災害まんじゅうみたいなものやTシャツ、被災時の様子をDVDにまとめたものを売る被災者もいたりするくらいだ。なにも今、避難所になっている体育館や公民館を見物に行こうというのではない。非被災地が、経済被災地になることを未然に防ぐこともまた、ボランティア活動とおなじくらいに有効であるということだ。といったことを考えていくうちに、被災地の外にいる人間は過度にショックを受けているわけにはいかないということになってくる。被災地を後方支援するという目立たない活動は、これから大体10年くらいの時間枠で重要な意味を持ち続けるのではないかと思っている。
→いや、10年どころではないだろうなあ。復興以前の状況に戻すことを考えるのではなく、文字通り、一人一人の被災者がポスト震災の生活を立て直せるように、復興とか再生といった既存の枠組みに収まらないパラダイム転換が必要かも知れない。だけど人的支援は、できるだけマニュアルでこつこつと。「災害ユートピア」に書かれていることでもあるが、トラウマ・ヒーリングとかカウンセリングは、今はそれほど必要ではない人のほうが多いと思う。なんといっても、まだ一週間過ぎていないのだから。すぐに癒せる悲しみではないのだから。
_ 2歳二ヶ月を過ぎて、とんとスムーズに食事をしなくなった子ども。あれこれ試行錯誤を重ねるうちに、大好きなぬいぐるみさんに一匙あげてからだと、彼女も一緒に食べることがわかった。なので、都合ふたりの小さい人を並んで椅子に腰掛けさせて、ご飯を食べている。ぬいぐるみさんのほうが時に食欲があることもあるけれど、子どもも少しは楽しく食べてくれるようになった。もっと小さいときの方が積極的に、なんでも食べていたのは、まだいろいろな食材や味を知らなかったからなのだろうか。今はそれなりに好みができてきたから、あーんとする前に、味や食感に想像が付くようになったのだろうか。できるだけ楽しくおいしく食べるようにしているのだけど、わたしももっと工夫しないと。
_ 久しぶりに友だちとランチ。地元では比較的新しいお店だけど、薄くてぱりぱりとしたピザのお店。手作りのトマトソースがほんとうにおいしい。短い時間だったけど、とてもい気分転換になった。このお店はまたぜひいつか行きたい。空間が広くて、風が吹き抜けるので、とても快適。今回は食べなかったのだけど、このお店の定番マルゲリータは、自家製無農薬のバジルとトマトがざくざくとトッピングされているのだとか。子どもがトマト好きなので、もっと大きくなったら一緒に行こう。このお店のトマトソースは甘くて酸っぱくて、でもまるでさらさらとしたトマトジュースのようなさわやかさで、濃厚とはほど遠いのにしっかりとトマトを食べた気分になるのである。きっと粗めにざくっと刻んだトマトがふんだんに使われているからなのだろう。とてもおいしい。
その後、ほんの30分ほどだけコーヒーを飲みに行ったお店は、とある演劇人で、わたしがとても好きな俳優さんが「プロデュース」しているお店。運良く、この俳優さんが、看板女優の方と一緒にお店で、なにかの打ち合わせ中であった。遠目にちらちらと見ながら、久しぶりの短い自由時間を楽しんで、大慌てで帰宅。こういう時間、もっと上手に作りたい。