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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

25-05-2004 / Tuesday

_ つるつるっと、お蕎麦、食べたいな。

_ もうほんとに今日は素晴らしいお天気。こんな日は山登りだ。夕方、ちょっと登りに行こうと思っています(笑)。西日を浴びに行ってもいいくらいだ。山が萌えている。

_ スガシカオが歌っていた「黄金の月」という歌が好きなんだって、前にも書いたことがあるような気がするのだけど、やっぱり好きな歌。今日みたいな色のお月さんを見ると、必ず、思い出す。

_ 『富士日記』(武田百合子)にも登場するT先生を、バスの中で偶然、お見かけしたことがあった。(間違いないよね…)と、吊革伝いに少し前方に移動して、お顔を確認したときに気付いたのは、先生が読んでいらした本。『アリスのティーパーティー』(河出文庫)だった。先生は書店のカバーをつけていらっしゃらなかったので、お行儀が悪いと思いつつ、書名をのぞき見してしまったのである。いろんな記憶の連鎖と偶然の重なりで、そんな昔のことを思い出した。その後、「武田百合子さんて、どんな方でしたか」という質問をずっとしまい込んだまま、今日まできてしまったな、なんてことも思い出した。中学校に入学して、初めての英語の授業は、アリスだったなー、ということも思い出す。


25-05-2011 / Wednesday

_ 某日。サラ・ウォーターズ、エアーズ家の没落(上・下)、創元推理文庫。狂気に陥った人間と正気の人の対比に力点が置かれているわけではないし、明らかに存在するという前提に立った上での「館」そのものの邪悪さといったものは、キングの「シャイニング」ほどに背筋を凍らせるような怖さを感じさせることはない。シャイニングの場合、わたしは背表紙の文字に目を遣ることもできなかったくらいだった。しかしだからといって、怖くないというわけではない。むしろ解説の解釈とは違うのだけど、この館の邪悪さを「誘発」というか眠りを覚ましたのは、メイドのベティではなくて、信頼ならない語り手である田舎医師なのではないかと思った。10歳の時、ガーデンパーティーの時、誰もが少し気分を高揚させていたあの午後に、10歳の少年だった医師は、越えてはならなかったはずのカーテンの向こう側に足を踏み入れ、石膏細工の装飾のドングリをもぎ取ってしまった。この館との関わりが、それから30年後に医師として足を踏み入れた領主館で、ベティの診察をきっかけに始まってしまう。なぜこの医師は、それほどまでにこの館に執着するのか。エアーズ家の誰よりも、この家を賛美し正気の人びとの健全なる精神を蝕んでいく館の不穏さ、邪悪さを直視しなかったのか。きっと、30年前に館に魅入られた少年の再訪を、館はずっと待っていたのではなかっただろうか。一気に読んでしまったけれど、カタルシスがなかったのは、この医師が一時的には愛する人を亡くしたりして傷ついたとはいえ、館に対する執着を未だに持ち続けているからなのだろう。その、館と彼だけが理解し合っている狂気の表現が、イギリスの小説らしく上品に抑えられていたからなのかもしれない。そういう意味では、シャイニングよりも怖いというべきか。

_ 某日。サラ・ウォーターズ、エアーズ家の没落(上・下)、創元推理文庫。狂気に陥った人間と正気の人の対比に力点が置かれているわけではないし、明らかに存在するという前提に立った上での「館」そのものの邪悪さといったものは、キングの「シャイニング」ほどに背筋を凍らせるような怖さを感じさせることはない。シャイニングの場合、わたしは背表紙の文字に目を遣ることもできなかったくらいだった。しかしだからといって、怖くないというわけではない。むしろ解説の解釈とは違うのだけど、この館の邪悪さを「誘発」というか眠りを覚ましたのは、メイドのベティではなくて、信頼ならない語り手である田舎医師なのではないかと思った。10歳の時、ガーデンパーティーの時、誰もが少し気分を高揚させていたあの午後に、10歳の少年だった医師は、越えてはならなかったはずのカーテンの向こう側に足を踏み入れ、石膏細工の装飾のドングリをもぎ取ってしまった。この館との関わりが、それから30年後に医師として足を踏み入れた領主館で、ベティの診察をきっかけに始まってしまう。なぜこの医師は、それほどまでにこの館に執着するのか。エアーズ家の誰よりも、この家を賛美し正気の人びとの健全なる精神を蝕んでいく館の不穏さ、邪悪さを直視しなかったのか。きっと、30年前に館に魅入られた少年の再訪を、館はずっと待っていたのではなかっただろうか。一気に読んでしまったけれど、カタルシスがなかったのは、この医師が一時的には愛する人を亡くしたりして傷ついたとはいえ、館に対する執着を未だに持ち続けているからなのだろう。その、館と彼だけが理解し合っている狂気の表現が、イギリスの小説らしく上品に抑えられていたからなのかもしれない。そういう意味では、シャイニングよりも怖いというべきか。The Littel Starangerという原題を「誰」に解釈するかで、恐怖の度合いが変わるかも知れない。そういう意味で、解説の解釈とわたしの感想は異なる。


25-05-2012 / Friday

_ 例によって、朝、子どもを保育園に送っていったあと、残りのコーヒーを飲みながら新聞読んで、予約本を取りに雨の中、傘を差して返却本の重さをずっしりと肩に食い込ませて、図書館へ。月に一度のケーキの日なので、子どものケーキを帰りに買い、日付の過ぎたうどんであんかけを作り、ぼんやりまたいつものようにYouTubeで時間を潰していた。押尾コータロー、谷村新司、坂崎幸之助が歌う「遠くで汽笛を聞きながら」を聞きながら、不覚にも落涙。ーー俺を見捨てた人を恨んで生きるよりーーむなしい涙の捨て場所をーー探してみたい、遠くで汽笛を聞きながらーーなにもいいことがなかったこの街でーー。わたしの汽車がいつ来るのかわからないし、切符をどこで探せばよいのかわからないけれど。そのときまで、がんばってみること。


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