_ わ〜い♪当たった。
_ 言語以外の伝達手段について考えることが多い。どんなときにかというと、今日みたいに英語版のOS、英語版のOfficeを使って、パワーポイントのファイルの作り方とか、ワードの編集の仕方とか、エクセルの処理とか、を、英語で説明しなければならないとき。日本語だと、無意識のうちに日本語から想像するイメージを頼りに、その言葉の定義がわかっていようがいよまいが、直感的にあれこれ試行錯誤を繰り返して、なんとかなってしまう。言語を言語として理解しているのか、あるいは記号として理解しているのかよくわからないけど、まあ、なんとかなるわけだ。
ところが、英語のメニューをみて直感が働くのは、ごくごく一部の自分がすでに意味を知っている単語に関するものだけで、日本語環境だと当たり前に処理できることが、全然、想像も付かないことがあったりする。ソフトのインターフェイスは、もっともっともっと、直感的であって欲しいなと思うこの頃だ。
母語が異なれば、いろいろな形や色から認識される意味も自ずとことなるわけで、やっぱり直感的過ぎるのも限界があるのかもしれないけど。しかし、日本語環境で、カタカナ表記でマスターとあるものを、自動的に頭の中では、「背景とかフォントの色を変えたりできるところ」と勝手に翻訳していたのはどういう理由なのだろうか。それはマスターということばが明らかな外国語かつどちらかというとなじみが薄い(毎回、喫茶店のマスターみたいな単語、とちらりと思い返す行為と伴う)から、自動的に翻訳してしまうのだろうか。正確には解釈ということになるのかもしれないけど、今日はそのマスターがちっとも思い出せなくて、火を噴きそうになったわけである。
_ やっぱり、電子辞書、買おうかなあ。今日までやったら、安売りなのですよね。