_ うわ。ニコンのフィルムカメラ部門がかなり縮小されるんだ。しらんかった。コニカのフィルムもなくなるんだね。。ニコンの一眼レフをいつか持ちたい、持ちたいと思いつつ、ずっとキャノンのEOSを使ってきた。このキャノンで撮影するとき、コニカのフィルムが一番きれいに撮れた。屋外という限定をつければ、圧倒的にコダックがきれいだったのだけど、コニカは人物がきれいに撮れる。だから、かなり愛用していた。
デジタルカメラは確かに便利だとは思う。しかしですね、プリントしたときのきれいさは、絶対的にフィルムが勝っている。それに画素数がどうだ、加工が便利、取り込みが簡単とかいったところで、所詮、バッテリーの充電が可能なところでしか使えないのだから。そんなふうに思っていたわたしが、実は今回、一眼レフを持って行かなかった。ずっとデジタルカメラで撮っていた。ときどき、全天候型の小型フィルムカメラで撮影したのだけれど、今年はそれだって、5本しか使っていない。前回、夏に行ったときは32本、現像したのに、なぜ今回は一眼レフを持って行かなかったのかといえば、重たかったからである。わたしもそんなふうに思うようになったのだ。。デジタルカメラの写真は、パソコンなどで見ると、確かにきれいに撮れるなあと感心することも多い。しかしそのきれいさがあまり好きになれない人もまた多いのではないかと思う。フィルムは、36枚撮りで32本とっても、ナイスショットはせいぜい1割くらいしかない。現像費用とかのコスト面を考えると、確かにデジタルの方がよいのかもしれないけれど、なんかやっぱり好きじゃないんだな。理由はうまく説明できない。そもそも、デジタルカメラの撮影モードも、マニュアル設定にしていて、毎回、ファインダーを覗いてから、調整していた。ファインダーなんて、別にのぞく必要はないのだと思うけれど。便利だし、軽いから、普通に凸凹にいるときは、鞄にいつも入れているけれど、なんなのだろう、この気持ち。マニュアルの車に乗りたがる気持ちとおなじなのだろうな。
_ 終日、寝転がって読書。
_ 寒いのか暑いのか、まだよく感覚が戻らないです。個人的には、寒い季節に暑い国に行く方が、断然、体がしんどい。体中が膨張する感じになるし、発汗コントロールができないからか、とにかく怠くなる。新陳代謝もおかしくなるのだろう。わたしはとにかく髪の毛がどんどんと抜ける。ブラシを入れるのが恐ろしくなるほどに抜ける。歩いても抜ける。下を向いても抜ける。とにかく本当に、頭髪が薄くなるのが怖くなる。大体、1週間とか慣れるまでにかかるだろうか。
半年以上、カットをしていないこともあって、またこれからはしばらく、伸ばす予定でもあるので、帰国前にヘアースパに行った。きれいにシャンプーしてもらったあと、いろいろなハーブのクリームを使って、頭と毛髪のマッサージをしてもらうのである。大体、30分くらい。痛いのですが、坊主頭の男の客もたくさん来るくらいに、気持ちいいのですな。普通にあんまに行った方がよさそうなのになどと、思ったりするのだけど、ハーバルマッサジクリームって、実際の効果がどれくらいあるのかさておき、やはり香りがとてもよくて、本当に寝てしまうくらいに穏やかな気分になる。その後は、やはりハーブのオイルを使って、首と肩と腕を揉んでもらった。その後、もう一度シャンプー。最後はブローをしてくれる。これが30分くらいかかった。店員さん曰く、長い上に、量が多すぎるとのこと。最後は自棄になっていたのか、ドライヤーを髪に密着させて、必死に乾かしてくれた。そのおかげで、今、ヘアースパに行った意味がないほどに、毛先が傷んでいる。でも薄毛になったんじゃないかという心配は、もうなくなった。
_ 帰ってきた。
おとといは暴風雨のため、国際線に乗り継ぎできず、寂れたリゾート地のホテルに監禁された。暴風雨なのでどこにも行けず、NHKが観られたので、ホリエモン事件のことをようやく掴めたり。自分の独り言以外の日本語を聞くのが、なんとなく気恥ずかしかった。実際には三四郎大学の人と話すこともあったし、いろいろなNGOとか国際機関の人と日本語とか英語ではなす事もあったのだけど、NHKの人の日本語とか英語は、なんとなく安心感がありますね。気のせいかもしれないけれど。言っていることが全部わかるって、なんとすばらしいのだと思った。国際線に乗り継げなかった外国人5人のうち、某国語が話せるのはわたしだけだった。英語でやりとりすればいいじゃんかと思われるかもしれないけれど、どっこい、こちらの人と英語で話すのは、かなり危険である。2メートル近い大男と大女の欧州人に「おまえが交渉しろ」と迫られ、また「通訳しろ」とひじょうににこやかに脅され、東洋人は東洋人同士・・・のような感じで、相当のホテルに泊めてもらい、代替便の調整を直ちにおこなってくれと交渉した。自分の外国語能力の限界を知る。ネゴシエート用の語彙が少ない。せっぱ詰まりながら、帰国便の搭乗予約が白紙にされてしまっていた自分の帰国便をまず復活させてから、欧州人の方々の便の予約復活交渉をした。しかし大体、こういうの遅延した便の航空会社の職員がやるものなのに。着いたのが午後9時で、全部終わったのが午後11時半。よしよしという感じでホテルの部屋に入ったらなんとものすごいスウィートルームを割り振ってもらっていた。お湯の張れるお風呂がある!きゃー、と小さく叫びながら大急ぎでお湯を入れて、泡風呂にしてお湯に浸かれば、天井からごきかぶりさんが降ってきた。かなり絶叫する。別にそんなに嫌いじゃないのだけど、ちょっと不意をつかれたのであった。
その他いろいろ。
朝方帰国して、一服してからすぐに大学。夕方まで報告と詰め。大ボスのあまりの七色変化に思わず、注進申し上げてしまった。こういうのが自分を追い込む。くたくたになって仕事場を引き上げて、まずは2ヶ月間の留守の間の出版事情を知るべく本屋へ急行。そして、ブックファーストの閉店することを知る。もう感傷的なことはなにも書くまい。最初はきらいな本屋であったが、いつのまにかひいきの本屋になっていた。もうあと数日なんだね。映画館も閉館なんだね。この映画館でデートした人とは全部、別れている。鬼門が減るとみるのかなんというのか。。潜在的なアルバイト先のひとつが消えるという心許なさとか、そんなのにうちひしがれて街をあるけば、角のパン屋も閉店している。世の中の変化の速度についていけない。
帰国便の乗り継ぎ時間が数十時間あったので、元留学生でプチ同窓会。しゃべりにしゃべった。それでみんなでラオスに旅行することが決まった。。なぜラオスなのか?誰も覚えていない。なぜならばそこには40度のアルコールがあり、しゃべりにしゃべったあとには空瓶が転がっていたのである。わたしはそのままイミグレションを通り抜け、一人は子どもを迎えに保育園に向かい、一人はお葬式に出かけた。すべては謎。われわれは一体、なにを話していたのだろうか。スケジュール帳には、ただラオスとだけある。みんなもういい年なんだけど、すぐに学生に戻れるところが、なんだか楽しかったのだろうな。よい気持ちで飛行機に乗ったものの、あまりの気持ち悪さにほとんど眠れなかった。こうして旅は終わりました。
_ 娘さんたちを街に呼んで、お別れ会をする。たまたまレストランでついていたテレビのドラマの主人公が、みんなが好きな俳優だったので、村で誰が一番かっこいいか談義になった。
意外なことに、全員が渋好みで、われわれの集落から一番遠い集落の長をしている某さんが一番人気であった。30代後半、すでに孫がいる。その人品の穏やかさ等々、やはり人々から尊敬を集めるだけあって、生業活動でも大成功を収めている。二番手も意見がおなじであった。そして、三番手で意見が分かれた。私が三番手を報告するや否や、娘さん某嬢が、「なるほどー、ということはあんたはあの運転手もすきなはずね」という。大当たり賞である。永遠の友だち氏については、頭のよさを強調したが、実は外見が好きなだけだということが危うくも露見したということ。えへへーと笑っておき、あまり表に出さないようにしなくちゃ、と思いました。
まあいろいろとあるんですが、今回は前半はとにかく会計問題で、何度も日本に電話をかけたり、ファックスを送ったり、一体全体、何をしてるんだと暗く落ち込む日々が続いた。しかし、年末からは少しずつ持ち直し、同行者が帰国してからは、もう完璧に復調できた。今回は、今まで行ったことがなかった地方を重点的に回った。それでひとつ思いついたテーマがある。これがどういうふうに扱えるのか、帰ってからの作業。モチベーションをどういうふうに持続させるか、毎回本当に悩むところなのだけど、今回は、気の合う運転手と一緒に、野次喜多道中をできたのがよかったのかと思う…と、またその話になりそうなので、ここでおわり。
もう帰国なので、虫下しを飲む。
_ 大雨の暴風雨の中、深夜に地方から戻る。ただ畑と田んぼを見に行ったようなものだけど、ものすごくよい旅だった。ここで調査してみようかと真剣に考える。
私がいつも使っている言葉の、すさまじく乱暴かつ下品であることに、いまさらながら気づいたのは、こういう地方に行ったときの、村の人の私への接し方の丁寧さに心が洗われるような思いがするからだろうか。外国人だからとか、学校の先生だからとかそんなのではなく、よく知らない旅の人に会ったときの接し方なのだろう。試みに連れて行った同じ村の娘さんたちの、いい意味での下町加減が、目に付いて、これも驚いた。私は話している相手の方言にすぐにつられるので、すぐに言い回しを覚えられたのだけど、娘さんたちは、そんな私を見て、けたけた笑う。吉本新喜劇をみているおばちゃんのように、がはがはと笑う娘さんたち。ことばを作るのはいったい、どんな要素なのだろうか。私ももうちょっと、こちらの国営放送のアナウンサーの使うことばを意識したほうがよいかもしれない。
ところで。今回のドライバーは、いつもの人とは違った。いつものドライバーは「永遠の友だち」という名前の人で、正直に打ち明けると私はこの人がものすごく好きになっている。なにがよいかというと、何人外国人を乗せたとかいう自慢を一切しない、運転がうまい、歴史をよく知っている、話がおもしろい、機知に富んでいる、という私にとってのあらまほしき美徳を全部を備えている。そして、こういった情報を持っているのに、おしつけがましくない。そこがものすごくよいなあと思っている。そしてまた、人の心を読むのにも長けている。昨日のドライバーは、これまで何人外国人を乗せたかという一覧表を持っており、別荘地に土地があるからちょっと見に行こう、こういう事業は日本では受けないだろうか、今度くるときも必ず俺を使えとか、そんなのばかりで、歴史とかぜんぜん知らなかった。複数の地方語を使いこなしてはいたが、私が村の人に質問すると、その人が答える前にドライバー氏が先に応えるという、典型的に私に嫌われるタイプの人だった。「永遠の友だち」氏は、筋骨隆々で、落ち着いていてかつ挑戦者であり、今だけでなく、先のことが読める。小学校しか出ていない。それでもその歴史とか土地に関する理解力の深さには本当に毎回驚かされる。知識の量ならば、私のほうが上かもしれない。なにしろ本をよんでいるのだから。しかし、それらのばらばらの知識が、どういう関連性を持っているかについて、こちらの地元の人の理解力は、そういう本を書く人の理解力を完全に凌駕する構築力を持っている(変な日本語やねえ)。これがものすごくおもしろい。歴史的に間違っているような事実でも、こちらの人の言説で組みなおすと、とたんにわたしの目の前で、明確な輪郭をともなって再構成されてくるのである。こういうやりとりのできるドライバーならば、誰しも自分の助手にしたいと思うのは当然である。そういう薀蓄はさておき、人柄がものすごく気に入っている。
そして、私と恋に落ちるような野暮はしないだろう。だから私も遠慮なく、実らぬ恋を楽しんでいるのだろう。ま、場所が場所だし、土地柄、未婚の男女が仲良く手をつないだりしたら、双方、打ち首の国である。その危険を冒すほどには、私も「永遠の友だち」氏も愚かではないのだろう。そのものわかりの良さが、なんとも哀しいのではあるが。
_ 燃料用の薪が足りない、と書いたけれど、下宿先の家業のひとつは化石燃料問屋である。。木を切るのは、こちらの人もいい気がしないらしく、薪が足りない、というのは一番よく使われる理由である。大体、うちの家でさえ、薪を使うのはプロパンガスが切れたときだけである。他の家は、灯油を使っている。プロパンガスがある家は、少しずつ増えてきたとはいえ、確かに灯油とか薪が一番よく使われている。これはものすごくよく使い分けられている。野菜や肉・魚の煮炊き等々、お菓子つくりなどには灯油、炊飯には薪、魚を焼くにはヤシ殻が使われる。香りがぜんぜん違う。
今日は雨が降り出す前にと、朝から市中を散策。大体、毎回、来るたびに、博物館展示に変化があるかどうかを確かめるために、一日かけてみて回るのだけど、今日は、ますます文化事業が衰退しているという事実を確認して終わった。旧宗主国がどこだったかということが、現在の文化事業のあり方に影響しているのだろうな。植民地遺制の研究をちゃんと読み比べてみたほうがよさそう。言語政策というのはどのレベルまで、現在のエリート層に影響しているんだろうか。
実は木を買った日、くさくさして昼寝でもしようと部屋に入った瞬間、ほんとうにさわやかで冷たい風が、さあーっと、部屋に吹き込んできた。こういう風が吹くとき、こちらの人は、なにかの知らせだと、よく言う。雨が降る直前で、湿度は200%な状況だったから、あれ、なんだろうと思った。一眠りして、まだ降りつづける雨の中を、傘をさして、いつも立ち寄る家に向かった。その家のお母さんが、「某さんのおかあさんが、今日の午後1時ごろ、亡くなったよ」という。亡くなった場所は、お悔やみにもいけないくらいに遠い場所。いまどきは、どんな田舎の人でも携帯電話を持っていて、ショートメッセージが届いたのだという。それがちょうどわたしが昼寝をしようとしたときだった。このお母さんの話を、その前日にしたばかりだった。植民地時代にエリート官僚の家に生まれた某さんのおかあさんは、完璧なトリリンガル教育を受けて育った。もう相当なお年だったけれど、私と話すときは、英語を使うことを好んだ。英語で話すときは主に、村の人の悪口であったのだが。。それはさておき、その人から植民地学校の話をもっときいておかないといけないなと思ったばかりだった。もうちょっと早く、いろいろなことに気がついていればよかったのだけど。。
それで博物館に行ったときに私が一番幻滅したことは、古いレンガの積み方を確認しようと敷地内の塀際に近寄ったら、ずらーりと人の排泄物が並んでいたこと。これで法外な外国人入場料を取られていたら、憤慨の度合いも高まったであろうが、今日は現地人に間違われたので、8円くらいしか払っていなかった。なので、とりあえず、むっとしておくだけで我慢した。