_ 一時保育に行く度に、ほんとになにかしら毎回、病気をもらってかえってくる一休さん。。先週は流行風邪をもらってきたらしく、土曜日になってからずっと鼻水が止まらなくなっていた。となると心配しなければならないのが中耳炎。朝、寒風吹きすさぶ中、今日は珍しく乳母車でかかりつけ病院へ。予想どおり、両耳の鼓膜が腫れているとのこと。耳の掃除、鼻水の吸引、そして今日は扁桃腺が腫れていたため塗り薬をつけてもらった。こうやって免疫をひとつずつつけているのだよという考え方もあるけれど、確かにかわいそうだ。。
_ 『想い出のキャサリン・マンスフィールド』『ものいうウサギとヒキガエル』。図書館で借りてきた本。この頃、伝記本が読みたくてたまらくなっている。小学生の頃から偉人伝や伝記は大の苦手であったから、なんだか不思議な気分になる。いろいろな生き方があるということを納得したいということなのかもしれないけれど。ともすれば、死にたくなる気持ちを必死で抑えて毎日暮らしている。死の瞬間、なにを考えるだろうか。死んだあと、後悔しちゃったりなんかすることもあるんだろうか。。そんなことを考えながら、繰り返し繰り返し、死にたいと思うのならばそれはなぜなのかを自問自答している。今までの生き方は全部間違っているから、それがこの頃よく思う理由である。なんて無駄な間違った生き方をしてきたんだろう。。そう考えるのであれば、逆に、だから今日からがんばって違う生き方をしてみようかと、ちっちゃく、まだ思えるのである。その小さな灯火を毎日両手で囲って、明日につなげるような、ぎりぎりの崖っぷちにいるような気がしている。必死に自分に課しているのは、発作的に、衝動的にならないことだ。死んでしまったあとに後悔しまくりで、おばけになって子どもの前に出てきて怖がらせたりしないようにしなくては。公募も研究助成も、ずっと落ちっぱなし。もう悔しいとも思わなくなってきた。間違った人生を歩んできた罰として受け止めているところがある。でもどこかで変わらなければ。どう変わればよいのかわかるところまで、自分のちっちゃな灯台守をして、毎日暮らしていくだけだ。