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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

11-03-2016 / Friday [長年日記]

_ 5年前の今頃、子どもを母に預けて家で科研の報告書を書いていた。ふと気が付くと、台所で鍋や食器がカタカタと音を立てているのに気が付いた。それで今更ながらに家じゅうの物音に耳を傾けてみて、ああ、これは何か普通ではないことが起きているのかもと思い、テレビをつけた。ほぼ同時だったのかどうなのか、とにかくもう尋常ではない様子であることがわかった。と同時に、乳母車に乗って散歩に出かけた母と子どものことを考えたのだった。今すぐに探しに行くべきか否か。そうこうしているうちにテレビでは、恐ろしいほどの津波の様子が映し出されていた。5年という年月が長いのか短いのかなんともわからない。

当地と日本の災害復興の速さを比較する研究をしたいという院生と話をする機会があった。目に見えるものごとと、目には見えないものごとをどうやって「見る」のかと尋ねたところ、とにかく日本の復興は速くて素晴らしいという。わたしにはわからない。なにをもって復興を遂げたというのか、なにをもって立ち直ったというべきなのか。それは人それぞれでもあり、簡単には説明できないことのように思える。わたしにはなにもわからないのだが、ひとつだけはっきりとわかっていることは、答えを求めるのに急ぎすぎてはいけないということだ。時間をかければわかるということでもないけれど、簡単に結論付けてしまうこともまた探そうとしている答えから遠いものであるのかもしれない。今から5年後、どのような世界になっているだろうか。それを確かめることがまだできるのかどうか。わたしはあまり楽観的に考えられない。そのことがなんとも言えず、不安な気持ちをあおるのである。


06-03-2016 / Sunday [長年日記]

_ 昨日は子どもの学芸会。昨年は、舞台の中央部で、石仏の役をしているのかなと思うくらい微動だにしなかった子ども。今度の学芸会の備品の準備などで「今年は動くかな」なんて先生たちとも苦笑しあっていたのだった。子どもは今、小学校準備学校に入学したわけで、昨年まで通っていた保育園は中途退園した。小学校準備学校が昼過ぎに終わると、夕方まで元の保育園の学童保育部門で預かってもらっている。保育園にはいろいろなアフタースクールプログラムというのがあって、踊りはそのひとつ。子どもは昨年のリベンジをという意味では決してないのだが、去年のサマープログラムから踊りのクラスを取っている。踊りには2クラスある。ひとつは英国ロイヤルバレエ団卒業?という触れ込みの先生が教えているバレエで、もうひとつが子どもが登録している伝統舞踊である。バレエは子どもが40名近くいるのに対し、伝統舞踊は4名です。子どもは週に一回、これも当地の王室舞踊団卒業という触れ込みの先生について習っているのである。

さて昨日は、オープニングの歓迎ダンスを踊った子ども。髪が短いので、踊りの先生にぶつぶつと文句を言われつつ、着付けや化粧をしてもらって、えらく別嬪さんになっていた。いよいよ緞帳が上がると、にぎにぎしい音楽とともに舞台に出てきた子ども。とても楽しそうに踊っている。微妙にほかの三人と動作が違うような気がしたりすることもあったけど、何より一番大事なのは、子どもが楽しそうだったということ。この式典の開幕によく踊られるメニューに限らず、当地の踊りでは口を開けて歯を見せて笑ったり、笑顔を見せたりするのはご法度である。子どもはそれでもうれしさとか楽しさがこらえきれなかったようで、ときどき満面の笑顔を見せていた。こちらはそれだけで、思わず目頭が熱くなった。本当に大きくなった。背もぐっと伸びて、こちらに来て1㎝伸びた165センチのわたしの胸元に迫る高さである。いろいろと共感するところが大きいのか、ドラえもんが大好き。スパルタ式勉強の当地の環境にあって、苦労しているところもあるのだが、明るくて元気な子どもに育ってくれているのが本当にありがたい。もっとのびのびとさせてあげたいなあと、こちらの希望はそれだけだ。踊りが上手になってもならなくても、何か楽しいと思えることがひとつあれば、案外なんでも乗り越えられるものだ…と思っているので、子どもには、踊りでもほかのなんでもいいから、何か一つでもふたつでも、楽しいことを見つけてほしいと思っている。


28-02-2016 / Sunday [長年日記]

_ 先日、わたしの研究分野では超有名な某大学名誉教授の先生の講演があった。わたしも凸凹大学に所属していた当時、国際シンポジウムで何度もお目にかかったことがあった。今回、こちらでは初めてお会いする機会となった。世界的に有名な先生だから、さぞかし学部中の先生がいらっしゃるのだと思っていたら、どうやら学部生や大学院生が中心で、教員はほとんどいなかった。この講演会の話題は、先生のご専門の話ではなかった。人文学系学問の未来について語るというものだったから、広く日本語教育も含めた語学系の学科の先生もいらっしゃると思っていたのだった。それに、単に人文学系学問の未来について希望的観測を語るのではなく、なぜこの分野の学問が必要なのかという点やこの文学部がかつてトップクラスの研究をしていたのが長期的凋落傾向にあることについての理由などについて、グローバルな視点から語るというものであった。わたしはたいへん興味深く聞いた。ところがあとから同僚の先生たちに聞くと、英語だったから途中で抜けたわよ、ということだったのだ。日ごろは、もっと日本語で書かれた論文や資料を読んだほうがいいですよなどというと、わたしは日本語を読むより英語を読むほうが楽だから…なんて言って逃げてしまっていたのに!何たる二枚舌か…なんてことは野暮なのでもちろん言わずにいたわけです。

それにしても、このメインスピーカーの講演が終わって15分のブレイクを経て第二部の講演が始まったとき、聴衆が3割くらいにガクッと減ったということのスピーカーに対する非礼をだれもなんとも思わなかったのだろうか。またこの第二部の話題が終わって質疑応答が始まったとき、最初の質問者が「本日の講演内容とは少し関係なくて申し訳ありませんが、我が国のゴミ問題についてどう思いますか」と、自信たっぷりの英語で話した大学院生の頓珍漢ぶりがまたスバラシくて(第二部の話題はカルチュラル・スタディだぜ!)、さすがのモデレーターもフォローしきれず、その質問がなかったものとして司会を進めるしかなかった。

この国の人たちは、客観的に見るとみなコメディアンである(@ネルソン・デミル)。しかし、当事者としてかかわると、笑って済ませることなど到底できない鉄壁のナイーブさがある。わたしは第二部の話題提供者に深く深く同情と哀悼の意を表した。この方も、超有名な大学の先生なんですが、第一部のスピーカーの対バンを張らされることになったのは、本当に不幸なことだったと思う。というか、この講演会、なぜ二人もスピーカーが必要だったのか。それが一番の謎。


21-02-2016 / Sunday [長年日記]

_ ネルソン・デミルの『王者のゲーム』を図書交換会で入手したのがおよそ一年前のこと。先日、ホテルに泊まりに行くときに、思い出して持って行った。プールサイドで読み始めたら、もうやめられなくて、結局、夜通し、さらには泳ぐのも忘れて読み耽ったのだった。ときどき子どもがいることを思い出して、なんとか自制心を絞り出したものの、なんともなんとも。やめられない小説というに久しぶりに出会った。ただ、すごくよくできた小説とはあまり思わない。というのは少し都合がよすぎる点が散見されるため。例えば、小説の結末部分。運よく主人公とヒロインが敵の魔手から逃れることができた点。本当に都合がよい。それといかにも、いかにもな、才色兼備、射撃万能の会計士かつ弁護士である女FBI捜査官の人物造型とか。ケイ・スカーペッタみたいな人物というのは、アメリカでは普通にいるということなのだろうか。

そういった些末な、何も持たない一読者の平凡な日常からは到底想像し得ない人物が活躍する小説となると、プールサイドで非日常的な怠惰な時間を過ごしながら読むにふさわしかろうと思うのも当然だろう。現代の西部劇を読んでいるような躍動感があった。面白かったんだけど、ごにゃごにゃと思うのはなんでだろうか。続きももちろん読みたいです。続きを書くために、犯人を生かしたのだろうから。


14-02-2016 / Sunday [長年日記]

_ やはり今年も旧正月当日は大雨だった。それから金曜日の午前中まで、午後から夜半にかけては毎日ずっと雨。旧正月当日の天気は一週間続くと言われるのだが、本当にそのとおりだった。なので、チャイナタウンの催しものを見に行く気力もなく、残念無念。グレゴリオ暦の正月もどさくさに紛れてまったくお祝いの気分もなにもなかったうえ、旧正月もこのようなことで、年中行事の履行率ゼロを更新中である。バレンタインデーとやらも、日本以外の国では別に?という雰囲気。次はイースターまでなんにもない。

こちらに来てしばらくは、カレーを作る時は、あれこれとスパイスを自己流に調合して、ドライカレーをよく作っていた。今でも作るのだけど、最近はもっぱら日本風のカレーを作っている。といっても、ルーはないので基本は自己流のスパイス調合で、小麦粉とバターでしっかりと野菜を炒めてとろみがでるようにしている。野菜といっても定番のじゃがいも、にんじん、玉ねぎではなく、よく白菜かキャベツ、豆腐、肉類のひき肉あるいはツナ缶、ナス、で作る。白菜とかキャベツのカレーは意外にもとてもおいしい。こういう野菜を入れるので、ドライカレーよりもドロッとした日本風カレーのほうがおいしいのである。パンもよく焼いている。といってもフライパンで焼くのである。おいしい。ときどき、中にカレーを入れたりなんかもしている。外ではほとんど食べなくなった。お昼に大学のカンティーンで食べるくらいで、ほとんど自炊。しかし本当は自炊のほうがお金もかかるし、ガス代なんかもかかっているんだよな。。外食がおいしい地区もあるので、そういうところに住んでいれば、もっと違う食生活になっているんだろうな。でもまあいいや。

もらいものの『赤毛のアン』何度目かもうわからない再読。やっぱり大好きだ。


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