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  1. ね (01-13)
  2. ニゲラ嬢 (01-11)
  3. ラギ (01-11)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

11-01-2005 / Tuesday

_ とまっている観光旅館(という名前のホテル)では、朝ご飯の選択肢が4つある。私は今も昔も、トーストとオムレツ。それ以外のものがまずいのではない。トーストにバターを塗って、半分に切ったオムレツを挟む。トーストの残りの半分に、チョコレートスプレーをばら撒いて、トーストを折りたたんで食べる…というのが、やめられないのである。オムレツにはコショウと塩を振る。その対岸にはチョコレートスプレー。一見まずい。しかし、ある朝、ふと思いついて試してみたこのメニューは、劇的に私の日常生活を変えた。二枚のトーストを食べる間にコーヒーを二杯飲み、食後のフルーツと一緒に三杯目のコーヒーを飲む。大概、藤沢周平を読みながら、コーヒーを飲み終える。と、カップを置くや否や、おなかがぐるぐると鳴り出し、お手洗いに直行するのである。食べたら出す。往々にして、旅行中は不規則になり勝ちである生体反応が、この朝食メニューに固定するようになってから、一度足りとも、その効果を発揮しないことはなかった。おそらくは私の中の何かが、条件反射しているのだろう。気楽にすごしているようで、実はストレスフルな毎日なのかもしれない。街に出てきたときの健康管理対策として、この朝食メニューが存在する。

いやしかし、おいしいんですよ!限りなく、ジャンキーな味がして、なぜこんなにまずいものを好んで食べるのか自分でもわからないんだけど。。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ ラギ [あけましておめでとうございます。まずは平穏に新年を迎えられたとのこと、なによりです。「観光旅館」かあ(笑)。朝食、3..]

_  [旅の宿、観光旅館、どれがふさわしいかイマイチ不明ですが(笑)。 4種類になりかつ食後にフルーツが二切れつきます。 み..]


11-01-2010 / Monday

_ いつも鴨川で水鳥を数えながら、今日はとりさんがいてますねえー、などと話していたからか、生まれてきた人は水鳥のように手足をばたつかせていて、それはそれは元気な人であった。カルガモさんは生まれた翌日に、初期嘔吐と発熱があって大学病院のNICUへ運ばれていった。でもその判断は間違いだか一時的なものであったようで、「なんでこの子がここへ来たのかぼくらもわかりません」という診断で、「あえて病名をつけるとしたら、一時的に元気がなかった、でしょうか」としかいいようがなかったらしい。このあたり、既述の昨今の病院の責任問題回避と関連があるよう。

とにもかくにも、元気がありすぎて、調子が悪かったり病気だったりする他のNICUのちびっこの邪魔にならないように、出入り口のそばに配置されたカルガモさんは、いつ行っても微動だにせず寝ているか、薄い眉の生えているあたりだけを白くさせて、顔全体を真っ赤にさせて強烈に泣いて「もっとミルクをちょうだい!」と主張しているかのどちらかであった。すぐに母子は離されてしまって、心配していたのだけど、小さな瓶の中の小鬼のごとく、喜怒哀楽のわかりやすいカルガモさんは、看護師さんたちにもかわいがってもらっていて、初めての授乳のときも、どこで学習していたのか、まよわずがぶりとかぶりついてきた。父親にも母親にも似ていない、自分にだけ似ているカルガモさんは、明日、退院の予定。おなかを切った次の日からカルガモさんの病院に足を運んでいたわたしは退院が3日伸びた。

そんなわけで、無事にミジンコさんはカルガモさんになって生まれてきました!

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ ラギ [どこに祝電を、とおもいつつまずはこちらに。 まずはおめでとうございます。 「いろいろありつつも元気でマイペース」、母..]

_ ニゲラ嬢 [おめでとうございます。 カルガモさん、いっぱい飲んで元気に大きくなってください]

_  [pyonpyon21さん、あけましておめでとうございます。ありがとうございます〜。カルガモさんもまた「軽鴨日記」とか..]


11-01-2012 / Wednesday

_ 髪をカットするときに、これくらい切ってくださーい、などといって、親指を人差し指でチョキあるいはピースサインを出すことが、あったりしませんか?某国で髪をカットするとき、5センチとか10センチなどと言っても絶対にそのとおりにならないということがわかっていたので、ボディランゲージで示したつもりだったのです。そしたら、髪の長さが「これくらい」になるまで切られてしまいました。肩胛骨あたりまであった長さの髪が、一気に、逆モヒカン風にシャカシャカと切られ、ええー!あ゛〜!とかいう間もなく、鮮やかな手つきでばっさりと切られたのが12月1日のこと。うっそー、という絶句すらできないくらい、呆然として、カット料金およそ100円を払い、こんな安いところで切るからや〜という後悔とか反省もできないほどのショックを受けて、ロボットのようにぎくしゃくしながら、とにかくよろよろと家に帰った。そして合わせ鏡で全体をチェックしたときの衝撃は、忘れることができません。まるでマレット(ベティ・サイズモアで、アーロン・エッカートがしていた髪型、この子のお父さんお母さんは昔ちょっとヤンキーやったんかなあ、、なんて思ってしまうようなちょっといちびりな子どもの髪型、そう、全体は短いのに、襟足だけビミョーに長いというあの髪型)になっていました。

一度タンスの奥にしまい込んだ手鏡をもう一度勇気を出して取り出して、入念にチェックしてみれば、つむじの部分が一番短く刈り込まれています。絶句どころか、もうわらうしかありません!わたしは財布を掴んで、ちょっと大きなスーパーに行き、まずはジェルとかムースとかを買わねばと思ったのですが、なんとこの国には女性用の整髪剤というのが、存在しないのでした。男物のチックみたいな、MG5みたいな、なんかへんな臭そうなものしかありません。どうしよう、、いっそ剃髪してしまうかムスリムの被り物を被るかどうするかというたいへんな二者択一を迫られました。で、友だちにSMSを送って相談。「カット失敗、どうしよう〜」「子ども用ピン留めをたくさんつけてごまかせ!」。親子でピン留めたくさん付けたらごまかせるかな、なんてわらにすがる思いで、なんかいろいろ購入。で、微妙な感じの頭に落ち着いたところで、子どもを保育園に迎えに行く時間が来ました。いつもは挨拶する警備員さん、受付の女性、用務員さん、、だれもがわたしの頭のことについては絶対にコメントしてはいかん!という暗黙の了解事項を事前打ち合わせもなしに共有したのでしょうか、だれも挨拶もしてくれませんでした。子どもの先生も!子どもだけが、実に純真に無邪気に、あれー、なんかへん?という顔つきでかけよってきましたが、子どもなので、そんな細かい違いは気にせず、二カニカと笑っています。。まあそんな頭で、年末まで過ごし、のんきに河童国で友だちと会ったりしたのですが、この友だちが開口一番「あなたはその髪型をしていると、とっても日本人に見えるわね!」というなんと解釈してよいのかわからんコメントをくれました。アメリカ人って髪型の変化とか洋服の着こなしとかに絶対なにかコメントしないといけないと思ってるのかも知れませんが、もうその頃にはわたしも自分の変な髪型を受け入れていたので、へへ、そう?などといって、ふたりで大繁華街のユニクロへ行き(子どもも一緒でした)、冬服を持ってくるのを忘れたわたしはヒートテックのパッチを買い、これからハノイに行く友だちはフリースジャケットを買いました。そして、日本に帰国したわけですが、母は「あんた、なんやの、その髪型、、、」と、開口一番。「ひどいわね−、もうちょっとなんとかならんかったのん?」。夫でさえ、「お、新しい髪型か」としか言わないでくれたのに。とにかく。翌日、まだ開店前のジャスコに自転車で乗り付け、目に付いたニット帽を一万円札で購入して、すぐにその場で装着。ああー、これで新年が迎えられる−、と思ったわたしでした。なのですが、ここに来て、17年ぶりに出頭してきた御仁が被っておられるニット帽が、わたしのとはもちろん違うのですが、どうも自分はいかにも変装しているように見えるかも知れない、、という恐怖を呼び起こしたのでした。ああー、どうしよう、、ベレー帽を被ってかわいこぶりっこしないといけないなー。。育毛剤でも振りかけようか、、というマンガにもならないような煩悩を抱えて新年が始まりました。嗚呼。


11-01-2021 / Monday

_ 寒中お見舞い申し上げます。

もう11日になっていた。今年のおせちは結婚して以来初めてのことだが、全部自分で作った。黒豆を一番最初に作ったからというのもあるが、いちばんよくできた。あとはお煮しめとごまめ、酢れんこん、なますを作った。お餅は近所の街のそば屋兼餅屋のようなところで買った。まずまずおいしかった。お餅はまだ残っている。

_ 家ではずっと某国から持ち帰ってきた万能テレビ箱でいろいろな番組を見続けた。映画もみたりした。子どもは大流行のアニメ映画が怖くてみられない。我が家では6日にドラえもんを見に行った。人も少なく、リラックスして見た。

_ 元日は子どもと出かけて、図書館前広場で縄跳びやボール投げをして、初詣へ。わたし大吉、子ども二回続けて末吉ののち大吉。おせちは結局、お正月の間はずっと食べ続けた。子どもの学校は8日からだったので、それに合わせてわたしも出勤。しかし、濃厚接触者が数名出たとのことで、職場はすぐリモート授業に切替となった。

_ いつどこで誰が感染してもおかしくないんだけど、自分はまだかかっていないから、ちょっとドキドキはしている。でもどこかで、根拠のない自信のようなものがあり、対策を取りつつも、なんとかこのままいけたらなと思っている。家は朝も午後も、一時間程度、すべての開口部を開けて換気をしている。寒さが堪える。

_ 休み中に読んだ本では、数十年ぶりに読んだ「二年間の休暇」が圧倒的に面白かった。おとなになってから読んでみると、子どものときとはまた別の感想を持つものだ。松本侑子訳の「赤毛のアン」も読んだ。発売されたときに読んだことがあったけど、今、読んでみると、これも淡々としていていい訳だなと思った。淡々とした饒舌。でも、アンの饒舌っぷりが生き生きしているのは村岡訳かなとも思ったり。躍動感と子どもらしさが全面に出ているような気がするのだ。

_ とにかく今年も病気をせずに元気にいきたい。


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