«前の日(06-19) 最新 次の日(06-21)» 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|06|07|11|
2021|01|

  1. ね (06-21)
  2. ムラサキ (06-21)
  3. ね (06-21)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

20-06-2003 / Friday

_ 台風のあとのとてもすがすがしいお天気。気持ちがよい。ところで、今は、窓の二枚のガラスのうち、網戸のある方にだけ、簾を掛けているのだけど、これを両方に書けるようにしようかなあと思案中。簾のない方は、カーテンを一応引いてあるのだけど、カーテンというものは、案外に暑苦しいもののようで。

ただ、すかすかの簾だと陽射しを遮るという役割についてはもうひとつ、効果的ではなかったりする。で、迷い中。今日は、大量の英文作文(仕事とはまったく関係ないところがミソ)に追われて、頭がぼうっとしている。でも、案外と辞書を引かないで書けるものなのだなあ。知っている範囲の単語を総動員しているだけなのだけど、すごく立派な仕事をしているような満足感があって、久々に落ち込みから脱却した。


20-06-2004 / Sunday

_ 先週読んでいた本の中に、「本当によく訓練された従僕はノックなどしたりしない」ということが書かれていた。ドアをノックして、「お食事の用意ができました」などとは言わないということなのだろうか。去年から断続的に、侍女とか従僕とか客間女中とかの出てくる本を読んでいるのだが、かれらがいったいどんなふうに仕事をしていたのか、とても知りたいこの頃です。『エマ』というマンガがあるようですが、これはジェーン・オースティンの『エマ』なのだろうか?

_ 学部生の頃、さぼられる講義はすべてさぼり、映画を観るかアルバイトばかりしていた。テスト勉強もほとんどしなかった。単位を落としたことはなかったが、成績はとても悪かった。その中で、唯一、全回出席した講義があった。専門科目ではあったが、直接の私の専攻に関係するものではなく、周辺領域の科目も選択しないといけなかったので、登録した講義であった。担当教官は客員教授で、のちにこの分野では先駆的な研究を切り開いた人だったことを知るようになるが、当時はそんなこと知るよしもなかった。

_ なにがそんなに私を引きつけたのか。今もわからない。その先生の講義を受講する機会があったことを人に話すだけで、それは貴重な経験でしたね、とうらやましがられる。当時、その先生はすでに退官されていたから、私の世代でおなじ経験をした人はほとんどいないと思う。そして私自身、とても自慢げにその経験を話していると思う。今や専攻を変えて、唯一、全回出席したその講義を専門分野として、学校で教えたりしているのである。その私が学生さんの出席を細かくチェックしているのが、なんとも矛盾しているのだけど、まあいろいろ考えてのことなので、許してくださいね(と、なぜかここで謝っています)。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_  [個人の名前で呼ばれないというのは、ちょっとびっくりですね。 ドアをノックする習慣って、いつ頃から「当たり前のように」..]

_ ムラサキ [『エマ』はオースティンのとは別物のマンガです。ご主人様がメイド・オブ・オールワークスのエマに惚れ込む話です。わりと面..]

_  [ムラサキさん、どうもありがとうございます♪ 『エマ』って、原作も読んでいないので、どんな話かそもそも知らなかったので..]


20-06-2007 / Wednesday

_ 某所でいろいろと話を聞き、そして大学へ大あわてで帰る。もう一体何年ぶりかわからないミナミ界隈。しかし少し離れると普通に住宅街があった。住吉の長屋。貴重な話。大学に戻るのに京阪特急に乗ってみる。沿線の風景が旅情を誘う。阪急とか国鉄とは全然ちがう。旅をしている気分になる。電車の中でテレビを放送していたり。乗り換えでおりた京橋駅。ジャージ・スタイルのアベック(カップルとかいう雰囲気ではないのだな、なぜか)が、抱き合っていたりするが、男、舎弟風でそり込みの頭髪、上下白で黒のラインのジャージ、片耳ピアス(舎弟的にはよいのだろうか)、女、サーファー風髪型、金髪、上下黒に金色のラインのジャージ。男の顔色は、肺病患者のごとき青白さ。見るものすべてが、どことなくアジア。おばちゃん集団などのけたたましいこと。ただの夫婦ものかもしれないけど、どことなくいかがわしい男女。普通のものが普通に見えない、なにか曰くありげにみえる不思議な世界。天王寺の駅の売店に山積みになっている赤福餅と、京都駅のみやげ物売り場の赤福餅とに、どんな違いがあるというのか。自分の目にかかるバイアスに驚きつつも、どこかガラス越しに見ているような距離感と。昼下がりの電車に乗る、悩ましい顔をした美男子の外回り営業社員が、これもまた舎弟の仮の姿風にみえるところなど、自分の発想が貧困過ぎるのか、シュールでディープな大阪のリアルなのか、日常の風景にいちいち目を見張りつつ出町柳で降りれば、ただの鴨川が見えた。


20-06-2011 / Monday

_ この日記、相変わらず、一旦更新すると、二度と修正できないままになっているので、ときどきとんでもない綴り方の時があって、ひとりであ゛〜と叫ぶことが多くなった。でも仕方がないので、ドンマイ。

_ 山の家の片付けへ。バスの時刻表が変更されているということを知らずにいて、えらい長い時間、ぼーっと待つ羽目になった。久々の山の上で一汗搔いたが、下界よりも涼しいのであっという間に時間が過ぎた。真っ直ぐ帰宅して家にたどり着いたら、自分では気づかなかったけれど、疲労困憊していたもようで、食べ損ねたお弁当を片付けたら、もう一瞬たりとも起きていられなくなった。それでも子どもをお風呂に入れないといけないので、一緒に泡で遊んだり、数え歌を歌ったりしているうちに、いつもの頭は覚醒しているのに体はもう燃料切れ状態になり貧血。絶好調の子どもをなだめすかせて着替えさせ、自分はお風呂上がりにカルピスもどきを一杯飲んでしばらく起きていたけれど、知らない間に寝てしまっていた。子どもはその間、一体、どうしていたのだろうか。。気がついたら、子どももわたしの隣で寝ていた。中途半端な時間に目が覚めてしまって、まずいことになった。。そうそう、今日の夕食、子どもは一体何を食べたのだろうか。ちょっと謎だけど、ジャガイモを食べていたような記憶がある(もちろん生ではありませんー)。

_ 思考停止状態が長く続いている。子どものことを考えたら早く動き出さないといけないはずなのだけど、まだ動き出せない。そういう甘いところが自分の一番だめなところ。子どもは一体、何歳くらいから、自分の親のことを記憶に刻むようになるのだろう。わたしの場合、明らかに弟が生まれる前後から、自分の記憶というものが始まっている。いつか書いたことがあるけれど、母が入院していたと思われる病院の廊下のベンチから落ちて、鼻血が出たこと、わたしが抱っこできるくらいに首も座ってちょっと大きくなった弟を膝に抱えた写真を撮ったこと(写真を見ることで、その記憶が再生産されたということでもあるのだろうとは思う)、いつもいつも弟一番の家族になって弟に意地悪をしたら、腕が脱臼してしまい、以後しばらく、脱臼癖がついてしまって、母にひどく叱られたこと、、。だから大体、三歳前後から、自分の人間としての記憶が始まったような気がしている。今なら子どもと離れるようなことになっても、子どもはわたしのことを覚えていないんじゃないか、そういう考えが頭に浮かんでは消えていく。そして、すぐに子どもの耳のことを考えて、一瞬たりともあれこれと考えたことを打ち消している。子どもは、わたしが子どもの頃に買ってもらった古いぬいぐるみと、大学院生の頃に買ったちょっと新しい古いぬいぐるみを喜んで、一緒に寝ている。ぬいぐるみと子どもの顔の大きさがほぼ同じで、三人キョウダイみたいにみえるのが、おかしくって。明日はもうちょっとがんばろう。


20-06-2012 / Wednesday

_ 「オリエント急行の殺人」再読。これが一番好きかもしれない。なぜならば、人間のドラマの要素が一番ダイナミックに扱われているためだと思う。またどんなに省略しようと脚色しようと揺るがない小説の骨格が見事に構築されているため、ドラマ化(映画化)されたものと小説との齟齬が極めて小さい。そのため、映画を先に見た読者は、単なるドラマのシナリオを再読するだけでない躍動感をさらに追体験できる。クリスティが劇作家としても見事な手腕をみせていたことを思えば、当然といえば当然のことなのかもしれない。視覚的なことこの上ない小説。少し都合がよすぎたり、うそーというしかない筋書きや、もっと説明してよ!という小さな破綻というか、小さな無理は確かにある。でも読んで楽しいという読書の最大の魅力が、この小説の全体にちりばめられている。つまりは、次にどうなるかを知りたいばかりにページをめくる手が止まらないということである。わたしは映画版に出演していたローレン・バコールが大好きなので、この映画がテレビで放送される度に、万難を排して観ることにしている。またそろそろ観たくなった。


«前の日(06-19) 最新 次の日(06-21)» 追記
2002|05|09|10|11|
2003|02|03|04|05|06|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|06|07|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|05|
2019|01|03|04|
2020|01|06|07|11|
2021|01|