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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

05-07-2004 / Monday

_ 朝ごはん食べたのが午前5時、お昼ごはんが午後2時。そりゃ、おなかが減って、一歩も歩けなくもなるわな。というわけで、極めて中途半端にハーゲンダッツで、アイス食べて帰って来ました。やっぱりクッキーアンドクリームって、おいしい。

_ もうわけのわからん雑用の波に洗われ。行き着く先はいずこ?

「常識」って、誰にでも備わっているわけじゃないんだなああぁ、なんてことを今さらながらに考えたりしてみました。そして、自分には常識がある!なんてことも思いこみに過ぎないということを、肝に銘ずる。

_ だからというわけではないが、意味もなく売れ残りのバーゲン服を買いました。まあ、実用的だからいいんだ(リネンシャツ×2)。

_ 朝から、気持ちの悪いほどに蒸し暑い。。

学校へ行くの、やだなあ。


05-07-2006 / Wednesday

_ 百年ぶりくらいで、南部生協でお昼ご飯。食後、猛烈に眠くなる。薬でも飲まされたかー、と思うくらい。実は、かれこれ8年ほど前のある日、某国のディスコティークで、一服盛られたことがありました。幸いなことに、飲み物を飲んですぐに帰宅の途に着いたので、ホテルに帰ってから救急車を呼ぶ羽目にはなっただけで、恐ろしい目には遭わずにすんだ。なんだか懐かしいような歴史だ。ところで、ディスコティークといっても、現在のクラブとやらの原型とかそんなのではなくてですね、民族的伝統踊り系ディスコ。温泉なんかにある宴会場系ディスコである。ここでみんな踊る。二列になって、男女が向かい合わせになって踊るのである。身体接触は禁じられているので、チークダンスふうなのも一切なし。みんな一人で糸巻き巻きふうな振り付けで踊り狂う。大勢で踊るのだが、かぎりなく一人の世界であり、もじどおりのフォークロアダンスだ。これが踊れんずばして何をかを語らんやというわけで、某国歴が長いのに踊れない人はもぐりとされている。そういうわけで、わたしももぐりなのである。こんな演歌な踊りは踊られないのです。もちろんポップな踊りもまた、踊られない。それなのに毒を盛られてしまったので、踊りなんてきらいになったのである。


05-07-2007 / Thursday

_ 行きつけの蕎麦屋へ。昼間の蕎麦屋は和む。実は、ひとりで入ったのは初めて。いつも例外なく、誰かと一緒だったからなのか、お品書きを持ってきてくれたおばちゃんが、こんにちはと、声を掛けてくれた。このお店は吉本新喜劇に出てきそうな風情のお店なので、一人で入るのは勇気がいる(なにかギャグを言わないといけないのではないかとか、だれかのギャグに対して、きちんと反応=椅子から落ちるとかしないといけないという圧迫感)ように思っていたのだが、なんのことはない、近所のおばちゃん連中が、密談をしにくる類のお店。付近の不動産やかなにかの制服・眼鏡・ヘップ履き女子もスポーツ新聞などを読みながら、カレーうどんを食べていたりする。わたしはざるそばを頼む。おいしい。のんびりと笑っていいともなどをみながら、相席の曰くありげな夫婦連れが前に座ったのをしおに、お勘定をして店を出た。

郵便局で未来少年コナン切手を買おうとして、大きな財布を忘れたことを気づく。蕎麦屋の勘定は、小銭財布でしたので、全然、気がつかなかったのだ。こんなときのためのへそくりを、いつもキーケースにしまっている。一万円札だけど、まあええわと思って探したら、これも忘れていた。しょぼしょぼと歩いて帰る。

研究会で失敗。今更おそいが、死にたくなる。


05-07-2009 / Sunday

_ 午前6時発の飛行機にのるためには午前4時半には空港に行かないといけない。なのに、起きたら午前4時32分。タクシーがもう来ている。こんなこと初めてのこと。あわてて顔を洗って化粧品やらをかばんに詰めて、出発。なんとか間に合う。午前6時ちょうどになんと飛行機は滑走路へ。なんだか珍しいこともあるのだな、、、と思っていたら、突然、飛行機が止まる。「当機は、機体不良のため出発を取りやめます」とな。。とにかく全員下ろされる。で、「首都から整備員を呼びますので、出発は午後2時ごろになります」とのアナウンス。何名かの外国人はブーイングを出す。で、近くのホテルへ連れて行かれる。食事を済ませ、ひと眠りしようとしたら、突然、飛行機がなおったから出発しますー、という連絡。あれ、整備員が首都から来る時間なんてなかったはず。。大丈夫なんかいな。ホテルから空港までのバスの中で、職員に聞いたところ、「ほんとは本部の整備員じゃないと修理できないと思っていたのですが、偶然、マニュアルを発見したので現地整備員で試してみたところ、うまくいったのです」と。。そんな怖い飛行機に揺られて、某本拠地へ。町の様子がいろいろと変わっている。概してきれいになっている。ゴミが少なくなっている。バイクや車にはねられたネズミの死骸がぐっと減っている。少し遅い昼食を食べに旧市街地へ。表通りを行き交う車やバイク、人々の顔を見ながら、物思いにふけっていると、汗をかきかき某先生が入ってきた。せんせ、せんせー!をを、あんた、いつからここへ?最後にお会いしたのがいつかはもう忘れてしまったのだけど、お互い、某本拠地オタクなので、最新情報を交換しあう。午後3時半にお会いして、それから喫茶店、晩御飯と梯子して、ホテルに戻ったのが午後11時であった。濃密な日々の始まりにふさわしい第一目であった。

二日目。某所で某御一行とお会いすることになっていたので、GPSを頼りに移動。をを、あそこに人影が!非常に危険な場所で、無理矢理、無事にみなさんと再会。20分ほどで辞し、わたしたちは目的地へ。久しぶりの帰還。結婚をはさんでもなんと約一年ぶり。わたしが帰ってきたというニュースは、ミジンコさんのニュースとともにあっという間に村中を駆け回ったようで、この日の午後、ものは試しと新しくできた診療所で診察を受けてみようと出かけたらば、診療所の人々もなぜかもうみな何もかも知っていた。決して、外来のニュースに疎遠な土地ではないはずなのだが、インターネットよりもなによりも、口コミが一番早い情報伝達手段なのだよなと確認。久しぶりにふるさとのお料理をたくさん食べさせてもらって、たいへん感激する。何を食べてもおいしい。三日目も、四日目も、いろいろな人々と再会、喜びの饗宴、歩いて歩いていろいろ調べて、ご飯食べて寝る、というスケジュール。とにかく楽しかった。

五日目。本拠地を辞し、街へ戻る。大学で懐かしい人々と再会。この一年間に出版された辞書やら教科書やらを買い集め、少しお土産も買って今日は休憩。

最終日。懐かしい友人を誘って日本食レストラン。和食弁当を注文したのだけど、茶碗蒸しとお刺身の食感が似ているんだそうで、みな、食べられないという。やむなく、わたしの天ぷらとやら卵とじとトレード。わたしは大盛り刺身・茶碗蒸し弁当を三人前食べたような気がする。ぎりぎりまで、いろいろな人にあって、空港。疲れすぎて、飛行機の中では爆睡。夕闇の今の本拠地の上を、飛行機はぐるっと旋回して、ようやく着陸。無事に如月さんに再会して、今日中にあいさつやお土産をわたしにいかないといけないところを大急ぎで回る。のんびり晩御飯。

最終日の翌日。朝からまた用事をばばーっとこなして、ちょっとクリティカルな状況にあった某件を、大急ぎで片づけた。辞めて心はすきっとしたかな。如月さんにお願いして、チケットのシティチェックイン。午前中だけで、うまい具合に用事はすべて完了。ついでに銀行口座も空っぽになっているのを確認(苦)。のんびりと、石窯焼きのピッツァでお昼ごはんとして、夕方、空港へ。飛行機を二回乗り継いで、ようやく帰国。バスと電車乗り継いで帰宅。それからまる二日間、眠りこけた。怒涛の帰国直前日記でした。


05-07-2011 / Tuesday

_ 「うたえほん」(つちだよしはる・え、グランまま社)というシリーズの絵本がある。誰もが知っている童謡やわらべ歌などの歌詞がすべてと、メロディーの音譜がセットになっている。柔らかい挿絵がついていて、とても感じがよい絵本。小さい本だけど、結構よいお値段がするので、図書館で借りてみて、子どもが好きそうだったら、マーケットプレイスで探してみようと思っていた。と、子どもはこの本に夢中になっている。おかげでこちらは、寝る前に、本に乗っているすべての曲を歌わされる始末で、子守歌を歌いながら自分が疲れて眠くなってしまったりしている。三巻まで出ているけれど、一巻の最初の曲は「ゆりかごのうた」。この歌は胎教としてもずっと聴いていたし、子どもが生まれてからも、一日に一回は歌ってきたものだ。今ではこの歌を歌うと自ら寝床に入ってくれるほどに調教されているといっても過言ではない。小さな卓上ピアノで弾きながら歌っている。

大人がいろいろな評判などを読んだり聞いたりして選ぶ本にはもちろんあたりはずれもあるけれど、図書館で適当に選んだ本で、大人がみるとなんとなくしょぼいような内容に思えたり、ほんとに単純で、落ちも何にもないなんどと思ってしまうような本でも、子どもが狂ったように夢中になることがある。犬のコロちゃんのシリーズはまさしくそれで、わたしはあんまり好きになれないのだけど、子どもはこのシンプルなシリーズがものすごく好きみたいだ。有名なノンタンのシリーズの対極にあるような本で、教訓もなにもない。多少擬人化されてはいるけれど、四つ足歩行している犬のコロちゃんの絵本は、しかけ絵本になっていることもあって、子どもは夢中になるようだ。この系譜に連なるような感じの絵本に、スモールさんのシリーズがある。その中に、農場で働くスモールさんが、ウシの世話をしたり、ブタやニワトリ、アヒルなどの家禽類に餌をやったり、トラクターに乗って畑を耕したりして、農場の仕事を紹介する本がある。この本は、日本での出版は1975年のことで、2005年には改訂版が発行されている。改訂版と初版の大きな違いは、フルカラー印刷かモノクロ基調に緑色だけが使われている印刷かの違い。図書館で借りてきたものは初版だったので、とてもシンプルな内容に単純な色彩がマッチしていて、とても味わい深い雰囲気を醸し出している。子どもはこの本が大好きのようだった。図書館に返却する日の朝まで、何度も何度も絵を眺めていた。今朝、図書館に行く準備をしていると、「うたえほん」をカバンにみつけた子どもが名残惜しげに取り出して、また読んでいた。そのことを目の端で確認していたはずなのに、いざ家を出るときにはすっかりと忘れてしまっていて、図書館のカウンターで、「まだ一冊お借りになっていますね」と言われたのだった。

図書館を出てから、電車に乗って児童館へ。小一時間遊んで、デパートで涼んでから、帰宅。一番日差しのきつい時間に駅からの道を歩いたから、わたしはもう完全に機能停止したのだけど、子どもはパワー全開で、ずっと走り回っていた。


05-07-2017 / Wednesday

_ 夜はできるだけ早く寝て、朝も早起きをして、ひたすらヨガ。忘我の境地に至るためにということなのだけど、いつも邪念が襲ってくる。まあ仕方がないんだけど。。昨日、『愚行録』を読み終えた。後味が悪いミステリーのことをイヤミスというらしいが、貫井徳郎の小説の多くは、そんな感じのものばかりのような気がする。だから湊かなえの登場で急にクローズアップされたイヤミスという言葉だけど、そういう小説は今までもたくさんあったのだと思う。決してイヤミスカテゴリーではないのだけど、多島斗志之の小説も、少し、そういうところがある。とくに海上タクシーのシリーズは、瀬戸内海の穏やかでさわやかなイメージとは正反対の、じっとりと湿り気を帯びた日の当たらない側の手触りとか空気感が行間から立ち上がり、本を読んでいる空間に立ちこめるような錯覚する覚えるほどだったと思う。作家自身の失踪ということも相まって、3D小説として、多島斗志之を位置づけています。。もう新しいのが読めないのはとても残念。まだどこかでお元気でいてくださったらよいのだけど。。そして今なぜか手元には、『ずっとお城に住んでいる』もあります。まだ読んでいない。読むのが怖いというのもある。『くじ』はそれほど怖いとか気持ちが悪いと思わなかった。事情があって最後まで読まないうちに、返さなくなてはならなくなった本が、『わたしたちが姉妹だった頃』。おもしろかった。こういう小説は、アメリカでしか生まれてこないだろうなあと思った。最後、三分の一、ぜひとも何とかして読みたい。切ない、と思った。最後、どうなるのかな。。

というわけで、少しだけど、新しい本も読んでいる。もっとざくざく読みたいのだけど、なにかに渇望している状況こそが、現状を変えようとする最大のエネルギーだと思ってですね(笑)、これでいいのです。この蟻地獄から早く脱出できるよう、ハードヨガライフと活字中毒を原動力として、なんとかがんばります。とかいいつつ、昨夜は、久々に中島敦の『山月記』を読んだ。わたしは虎になるほどに、自分に自信もなければ、逆に誇りもないわけだけど、ともすれば、現況に甘んじていてはいけないと気持ちを奮い立たせるときに、自信過剰とはいわないのだけど、それに近い気持ちになったりもする。そういうはだめだ、と頭ではわかっている。だから、ときどき『山月記』を読んで頭を冷やすのだ。


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