_ よし、(10分の1)終わった。これで5割終了。さてー、がんばる。
_ それでですね、どうしたものかと腰に両手を当てて考えるのポーズを取ったらば、なんと両脇のボタンが外れていることに気がついた(弾け飛んだわけではない)。だからかー。ボタンを嵌めたら、ちゃんと普通の位置でズボンは止まった。今朝は、何を慌てていたのだろうか?
大手を振って本部に出向き、発言して帰ってきた。
_ うちのITさんが推奨するからなのだけど、私はふつうにいろいろなサイトを見るのにはネットスケープを、そして論文書くときにいろいろ参考になるところを見るのには、オペラを使っている。オペラのよいところは、コピーしたいところを選択すると「テキストコピーする?」ということを聞いてくれるところ。これは、文字装飾とかその他の属性をなくした状態でコピーできる機能で、そのままコピー&ペーストで、ワードに貼り付けたりできるのだ。文献リストを作るときにとても重宝する。またURLをアドレスバーにペーストすると、「Paste & Go?」と聞いてくれるところも好き。IEを使うのはUpdateの時だけ。
それがさー、今朝、ネットスケープを開けようとしたら、またしても真っ白になっていました。うーむ、この現象はいったいなんなのだろうか。
_ ええと。流行の腰骨ではくズボンをはいて来たのですが、はいているうちに生地が伸びたらしく、ものすごくズボンが下がってきた。男子高校生だったら、それでよいのかもしれないが、私は残念なことに大学で働いていたりする。どうやって、今から会議に出たものかとちょっと思案しています。
_ 巷のはやりで私もやらなければまずいことを書いておきたいような気がするのだが、それがわからへん(=整理できひん)故に、混沌としたまま次の(10分の1)の(2分の1)を終えてみました。10分の1作戦が終わったあとの予定って、いつもながらになし崩し的に年度末になだれ込むしか思いつかない。
夕方だけど、ちょっと寝る。
_ 初七日。
_ 数学。今日は(10分の1)×2進んだので、合計10分の4進んだ。ということは、まだ4割しか進んでいないということである。がんばろー。
_ 家にある本を、本当に全部読んでいたら、ものすごく賢くなっているはずなのになあと思いながら、部屋を片付ける。
さて。今日できることを、明日する方針の一環として、ちょっと昼寝をすることにしよう。なぜか眠い。
_ 『風博士』(ブラウザじゃなくて、バンド)が届いたので聴いてみる。歌っている人の声に耳が慣れていないのでまだなんともいえないけど、音がとてもきれい。寝てしまいそうになるくらいに、さわやかな音。退屈なのではなくて、静かな音なところがよい。
_ どうもこの頃、紅茶がおいしく淹れられない。このところ、ずっと同じ銘柄のダージリンを飲んでいるのだけど、味と香りに慣れてしまったのか、まったくマスカット・フレーバーどころか、紅茶的おいしさすら感じられない。舌がおかしいのかなと思って、アール・グレイを淹れたところ、これは普通にベルガモット味。夏場だし、水が悪いということにしておこう。
_ ノックが気になって、手持ちのDVDを早回しで観察してみた(暇なのか)。で、わかったのは、そんなシーンが1回しかみつからなかったこと。といってもその1回は、ブリジット・ジョーンズがダニエル・クリーバーのオフィスに入って行くところ。もっとも、透明壁のオフィスなのだから、ノックなどせずとも、ブリジットが来たということはもうわかっている。しかもブリジットは召使いではない。ということで、なにも発見はありませんでした。
基本的にバトラーは「個」を持たない存在なので、主人や客と同室に居て、空気のように主人たちの世話をしているのではないでしょうか。何がいいたいかと言うと、召使いたちは外にいるわけではないということ。常に扉の内側に何らかの召使いがいるのです。サーブされる側が完全にプライベートでいる(寝室などの)場合は、主人が呼び鈴等で召し使いたちを呼びつけるだけのこと。なのでノックの必要性がありません。主人達がパーラーなどで会話しているときに来客があった場合、客に顔をさらすことのできる立場の召使い(first footmanなど)が、いつでも主人の部屋に入れる立場の者(butlerなど)にネームカードを渡し、butlerはノックなどせずに何も言わずスッと部屋に入っていき、スッと主人の後ろに立ちます。すると主人が「何だ?」と聞き、butlerが用件を言う。そんな感じじゃないでしょうか。 少なくとも19世紀ものでノックの必要性があるシチュエーションが思いつきません。20世紀に入っても、たとえば寝袋さんがあげてらした、イシグロの「日の名残り」では、ホプキンスはノックなんてしていないような気がします。(単なる思い込みかもしれませんが。)P.G. Wodehouse の Jeeves and Wooster のテレビドラマシリーズ(スティーヴン・フライ&ヒュー・ローリー主演)には出てくるかもしれません。その疑問を、解決していただきました。 考えてみれば、源氏物語なんかでも、お付きの人びとは、主人や女主人の逢い引きにいなくてはならない存在ですねえ。「お時間です」と声を掛ける必要も出てくるし、主人と従者の関係には「恥ずかしい」とかそういう感情があっては成り立たないものかもしれないなと思いました。突然、部屋に入ったら、主人が裸で逆立ちをしていたりしても、驚かず冷静に、「寝袋さんがお見えです」と言わないといけないわけなのだなあ。「個」の意識の誕生と階級社会の衰退(安易に「階級社会」と使っています)とか「羞恥心」の芽生えとか、関係がありそうな気がしてきました。 雪見さんとムラサキさんが教えてくださった『ゴスフォードパーク』、生協に注文しました。もう生産中止になっているらしいのですが、あわよくばみつかるかもしれないなー、と思って。どうもありがとうございました♪日記めいたことを書くようになって以来、こんなにアカデミックなことを書いたのは、初めてのことのような気がしています。ちょっとは格調高くなったかな(笑)。
_ 小倉千加子の『「赤毛のアン」の秘密』(岩波書店)を読む。なぜか後味悪し。いろいろ思うところはあるのだが、文学って、そんなに「解釈」されねばならぬものかね?というのが、率直な感想。解釈というよりも、むしろ、分析か。いかに私が文学を理解していないかという証左となるかもしれないが、そんなことを思いました。そういう読み物がきらいだとか、存在をみとめないとかいうことではない。この本が、あまり私の趣味ではなかったということなだけである。しかも、そもそも、小倉千加子は文学としては、『赤毛のアン』を読んでいないということなのかもしれないし。
あといろいろ思うところがあるのだけど、小倉千加子がフェミニストだということを知っているので、そういう書き方になるよな…と思ったこととか。
_ 数週間ほど前に、とてもツボにはまる日記…?なのか日誌…?なのか、とにかくそのようなものを見つけてしまい、幸いなことに過去ログがたくさんではなかったので、全部読んでしまった。内容は。これが説明しづらいのだが、どうも私にはちんぷんかんぶんの事象に関する記録なのだと思われる。日本語で書かれているのだけど、半分以上、なんのことかさっぱりわからないのであるにもかかわらず、ツボにはまっているとはどういうことなのか。個人的には、文体に引かれているのだと思っている。なかなかに素敵な文体なのである。わかる人にはわかるように書かれているであろう、その文体から垣間見える書き手の人が、ものすごく魅力的なのである。という感想を持つためには、私の方でも相当に妄想を働かせて読んでいるということが言える。なにしろ、ところどころに書かれている感想や雑感めいたことしか、私にはわからないのだから。その辛うじてわかる部分が、強烈に私に訴えかけるのである。それなのに、書いている人に妙な愛情を覚えている今日このごろです。これって、まずいことなのだろうか?
しかしまず、なんのことについて書かれているのか、がんばって「分析」してみよう!
Before...
_ ね [ムラサキさん、どうもありがとうございました。女中さんというのは、おしゃべりな人にはつとまらない仕事なのでしょうね。見..]
_ 雪見 [召使はノックをしないという話を聞いて、わたしもやはりそれは 彼らが一人前の人間扱いじゃないからだなぁと思いました。 ..]
_ ね [召使いさんたちは、一人前の人間ではないのですねえ。。 「コンパニオン」が出てくる小説をなんか読んだことがあるような気..]