_ 『余白の愛』、読了。これはとてもよかった。いわば『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』だ。しんしんと、読後感に浸ることができる。『ホテル・アイリス』は、感想が少し難しい。もし初めて小川洋子を読む人がこの小説を選んだならば、「ああ、小川洋子ってこんな人なんだな」と思われてしまうことがあるかもしれない。多少、小川洋子を読んだことのある人ならば、「今回は少し冒険をしたのかもしれない」と思うかもしれない。ただし両者とも、器官としての身体に関する言及は依然としてある。
_ 橋の上から川を眺めると、水の色がもう秋色になっていた。来年はもうこの景色を見ることもないのだねと思うと、漫然と橋を往来してきた日々がもったいなくなってきた。川の水はいつもと同じに見えていつも違う。いつか別の川の水を眺めるようになることもあるかもしれない。川のある街に住みたいなあと思う。
_ なんでフランツ・カフカなのかは、われながら不明。
_ 帰り、『余白の愛』『ホテル・アイリス』『刺繍する少女』(全部、小川洋子)。
ようするに官能的なんだろうな。アダルト・ビデオにはなりえないけど、日活映画にはなるというひじょうに高度な官能なのではないかと思う。で問題は、何故今、私的小川洋子ブームが訪れているのか、である。何故に、官能などと口走ったりするのだろうか。それはひとえに、秋だから、ということにしておこう。そして、「薬指の標本」はフランスで映画化されたそうだ。日本でも公開されるだろうから、ぜひ観に行きたい。音楽で言えば、おとなしいケイト・ブッシュ、という感じだ。もう少し低音の。あるいは大貫妙子。
_ 子どもを持つ親が、他人の子どもを殺すということ。生き残った子どもたちにどのような影響を与えるのだろうか。たまらないなあ。
こんなに早く刑が執行されるとは思わなかった。思う壷としかいいようがないように思う。謝罪のことばを待っていた遺族にとっても、無念さが募る一方のような気がする。殺してしまえばそれで終わる、死んでしまえばそれで終わる、と考えているのかもしれないが、罰するということは、それでは終わらないということを教えるためのものでないといけないのではないか。
_ 自分の中では密かに小川洋子がブームになっている。立て続けに2冊。中でも、『薬指の標本』がとてもよかった。中編が2本、所収されているが、どちらも素晴らしかった。
思うに、この人は女・村上春樹ではなかろうかと。そんなむちゃくちゃな…という設定、話の流れが、この人の手にかかるとそれはそうとしかなりようのない事実として納得させられてしまうのである。村上春樹といっても、その初期の頃、である。せいぜい、ダンスまでの村上春樹。
医大病院で秘書をしていたことがあるという経験が、あちらこちらにちりばめられていて、ものすごく「ボディ・コンシャス」な小説が多いような気がする。肉体としての身体というよりも、物質としての身体、「精神的に存在する」身体、というかんじで。
小川洋子のあとにフランツ・カフカを読むといいのかもしれないなと思った。読書の秋は、残暑厳しい中で密かに進行中。ほかにやらんならんことがあるっちゅうことは、この際、適度にごまかす。
_ 今日の「英語でしゃべらないと」(NHK)にはなんと、あのポール・ウェラーが出る。ポール・ウェラーだ。画面で見るだけなのだが、緊張する。ポール・ウェラー。
_ 『猫の客』平出隆(河出書房新社)。
自分のねこは飼っていないけど、餌付け猫の友だちがいたり、遊びにくる猫をかわいがっている人にはたまらない本。むかし某国で餌付け猫にしていたきなこを思い出した。おなかが減ると私の部屋まで階段を上がってやってくるくらいだったのに、あんまり抱かせてくれなかった。そしていつの間にか静かに消えてしまったねこ。
ねこをめぐる近所の人びととのつきあいやなくなってしまった庭園の風景などが、幻灯機を回すように浮かび上がってくる。ねこが来ないのをどうしたのかと思いつつ、新しい小鰺を用意しながら待っている夫婦が切ない。
_ ジュンパ・ラヒリのことをもう少しだけ書いておこう。
何かものすごいことが起こるわけではなく、どちらかというと目には見えないけど、大きな自然の流れ、敢えて書くと「運命」のようなものが足下の地中深いところにどっしりと流れているのかもしれないなあと思った。それは「運命」には逆らえないということではない。その流れはちょっと踏み外した程度では、決して「踏み外した」などとはいえない程に深く、幅があるのである。向こう岸などあるかどうかわからないくらいに幅広いのである。だからそんな川が流れているなど思うことなどないのである。しかし、なぜか川は静かに流れている。そして人は、その流れに時には流されているように見えて、案外、自分でも足をばたつかせてみたり、流れを横切ろうとしてみたりする、そんな感じがする。要するに、とても当たり前のことを、ひじょうに丁寧に書いている小説だと思うのだ。
私もどちらかといえば自分の名前が嫌いなので(両親の期待を背負っているわけではないのだが、他人からみればそう見える名前、しかし実は名付けの由来は私の誕生日にある、しかしそんなん、いちいち説明してられへんわな)、ゴーゴリ・ガングリーという名の主人公が、ニコライ・ゴーゴリーにちなんだ名前について、実際の自分とはなんの関連性も相似点もないにもかかわらず、「こんな人生を過ごした人と同じ名前なんて」と思う気持ちはよくわかる。
あと、一人称の小説に読み飽きた人は、とても満足すると思う。よくもまあこれだけいろいろな視点から書いていながら、ひとつにまとめられたものだとひじょうに感心した。とても完成度の高い小説だ。
_ 『アフターダーク』を読んだ後に、『その名にちなんで』(ジュンパ・ラヒリ)を読了。これはすごい小説、ジュンパ・ラヒリ。どちらかというと淡々と話は進むのだけど、登場人物がだれもひじょうにしっかりと書き込まれているので、読んでいる途中で頭の中にずっと場面が再現されていくような上質の小説だった。何処かへ移り住むことは、長い間、私の関心でもあり憧れでもある。いつかどこか別の場所に移り住むことがあるとして、その時、自分はどんなふうに自分の生まれ育ってきた環境を思うのだろうか。それは日本としてなのか、自分の住んできた街としてなのか、家族というものなのかわからない。自分だったらどうだろうかということを考えながら、一気に読み終えた。
中身には言及しないけど、村上春樹はビジュアルに思いつく材料がたくさんたくさん出てくる。ガラスを一枚隔てた向こうの出来事という感覚は、確かに映画の脚本のような文体が成功しているからこそ得られるものなのかもしれない。そういう意味では、よく出来た小説かもしれない。しかしどことなく、どんどんと村上春樹の小説がおもしろくなくなってきたような気持ちがする。これはあくまでも、自分内の感想なので、ひょっとすると素晴らしい小説なのかもしれないけども、そんなことを思いました。
次はシルヴィア・プラスの『ベル・ジャー』。
_ 3年経った。
私は3年前の昨日、帰国した。
_ 昨日、ちょっと久々にホームページビルダーを開けてみたら、見慣れない画面で、戸惑った。をを、そういえば、春先に新しいバーションをインストールしたんだっけと思い出す。そういうわけで、そろそろ衣替えでもしようかなと思ったりした。
_ 昨日、お昼ご飯を食べに行くときに、ドラム缶くん(仮称)がいつもうろうろしているあたりの電信柱に、「のらねこにエサをあげないでください」という立派な貼り紙がしてあった。そのあたりでのらねこといえば、ドラム缶くん(仮称)しかいないので、彼のことなのだろう。飲食街がほそぼそとあるあたりなので、かれはそこで大きくなったのかも知れない。はじめてドラム缶くん(仮称)を見たとき、フィラリアに罹った犬かなと思ったのだけど、ねこもフィラリアになるのだろうか。近くの教会の人がときどき構っているみたいなので、大丈夫だとは思うのだけど、貼り紙が出現した理由を考えると、いろいろあるのかもしれない。
_ 『ゴスフォード・パーク』は実はもう何度も繰り返し見た。気になるのは髪型、ツイードの服。『ビクトリア朝のキッチン』という本を読み終えたところなので、もう一度、本を片手にDVDを観よう。
_ 雪見 [小川洋子、読んだことないです。 寝袋さんのお勧めの3冊と、読む順番をぜひ おしえてください。]
_ ね [そうですねえ。1.薬指の標本、2.余白の愛、が私の好みです。 その後に平出隆の「猫の客」を読むというのが、秋の読書の..]
_ 雪見 [ありがとございます! すぐには読めないけど忘れないようにメモしました。 いつか読むぞ。]