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  1. ぜぶら (12-20)
lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

24-02-2007 / Saturday [長年日記]

_ 2月8日に重要な会議があった。この会議はわたしがいないと話にならないということで、メンバーは少数だったけど、わたしは真っ青な顔色で出席した。このとき熱が38℃。発熱している場合、38〜39℃の間が一番、身体的に辛いらしい。40℃を超えると、もう半分、彼岸をのぞき込んでいるから、辛いとか痛いとかあまり感じず、早く楽になりたいという思考が働く。小一時間で打ち合わせが終わって、会議に出ていなかった別の友人にあったら、なんかシリアスな顔しているけど、大丈夫?と相次いで聞かれた。

それでも帰りにスーパーに寄って、ジュースのパックと果物、調理しなくてよいようにパンとかクッキーを買って、マッシュルームが安かったので一パック、そしてタクシーで帰宅。まったく食欲どころか飲みたいという気持ちもなかったけど、水分だけは補給と思い、ジャスミン茶をたくさん作って、リンゴジュースで割って飲んだ。糖分とらないといけないからねえ。で、落ちついたら、なんだか突如、マッシュルームが食べたくなった。蒸すとか焼くでよかったとおもうのだけど、なぜかきのこ天麩羅幻想にとりつかれ、ふらつきながら小麦粉を用意して、マッシュルームを5ミリくらいにカットして、次から次へと揚げていった。6つほど揚げたところでストップして、塩を振りかけて食べる。夢のようにおいしい。キノコに味はないのだから、小麦粉の味のはずなんだけど。そして普段、ほぼまったく揚げ物をたべないのに、なぜかこのときだけ、揚げ物食べないと、というお告げがあったようだった。

ベッドに就いたときの体温は39.5℃。それから30分おきに検温すると、3回目の検温で40.5℃。これが一晩続いたら、明日は救急車を呼ぼうと思って、買っておいた粉末のポカリスウェットを溶いて枕元において、がぶ飲みする。で、次の朝、熱は8℃台で安定している。夜中に目を覚ますことなく熟睡できたのが僥倖だったのか、あまり体力を消耗せずにいたみたい。それで9日だけ丸一日休んで、10日はデート。11日に日付が変わるころに深夜興業の演劇を見に行って12日はダウン。13日も終日ダウン。14日デート。。。。

と、なぜ自分が倒れたのかという原因を客観的に見ると、十分に休んでいないということにつきるのかなあと。16日には重要な発表があったので、その前は半徹夜、16日、友だちが泊まりに来てくれたので、次の日の用意をしながら、やはり半徹。17日、日本の友だちに頼まれた買い物をしたり、自分の買い物をしたりで、早起きして、午後はずっと食事の準備。その後、某所で痛飲して、死ぬ思いで飛行機に乗ったりしたので、帰国してからずっと寝ていましたです。。自己管理出来なさすぎ。そういうのを注意してくれる人の必要性をつくづく感じたことでしたな。


22-02-2007 / Thursday [長年日記]

_ 帰る2日前の夜に、我が家でお別れ会を開く。20人ほどが来てくださっただろうか。家の前はバイクの駐車場のような相を呈しておりました。。

今回の滞在中にマスターしたいくつかの郷土料理の他、皆がお酒やお菓子、果物をたくさん持ってきてくれて、宗教的な理由で飲めない人たちも、みんな楽しんでくれた。わたしはお客さんが来てから作る揚げ物とか、お皿を洗うのに忙殺されて、少しずつしか皆さんとお話できなかったのだけど、来てくださったみなさんは、みな、わたしのことを信用してくれて、一緒に何かを始めようとしてくれる人ばかり。遠くから応援してくれる人もいれば、一緒に現場を歩いてくれる人もいる。そういう人たちと、にぎやかに楽しい時間を過ごせて、楽しく帰ることができたのか、今回の3ヶ月間の滞在がとてもとても、うまくいったことの説明になるかなあと思いました。

かれもきてくれた。でも湿っぽく別れると、みながへんに思うだろうからと、握手しかしなかったけど、ほとんど抱き合っているのとおなじでしたな、あれは(笑)。へへっ。

次の日は一日かけて、荷物の整理とか。家中を大掃除して、ヨガ。帰る日は、最後まで大家さんがほんとに帰るのか、ほんとに帰るのか、家に○×がいないのは、さみしいよ、と言ってくれる。

でもまたぜったいに来るからねと言って、タクシーに乗った。大家さんは76歳。また絶対に会えると思っています。

_ さていつものように中継点にて、プチ同窓会。また飲む。今回は旧正月ということで、友だちの家で宴会。コーラワインという、フランス人が聞いたら卒倒するだろう飲み物を、大体、グラスに5杯飲んで、わたしはすぐに寝てしまいました。小さい子どもたちが、Antie, you must go back! Go out from my house! と絶叫。すみません、おとなとして失格です。で、また友だちが見合い相手を調達してくれる。さる中欧某国在住の大学教授、ただちにSkypeで話せといわれるが、完全に酔っぱらっていて、もう何をいっているのかわからなかったので、「第一印象が肝心だからなあ」という友人の義母の一言で、今回は見送りとなりました。

夜中にホテルにたどり着いて、ゆっくりとパッキング。いろいろな思い出に囲まれつつ、朝4時に起きて、無事に帰って来ました。

さて。


21-02-2007 / Wednesday [長年日記]

_ もう一週間前のこと。あわてて家に帰ってずっと待っていたのに、なかなか迎えに来てくれない。ちなみに当地では、かならず、男性が女性の家や下宿に迎えに来るのだ。どんな車に乗っているのかとか、どんな高級なバイクなのかとか、女性の家族はもとより、近所も目を光らせているので、なかなか緊張する一瞬。もうすでにうちには2回も迎えに来てくれている。ということは、もうデートのお相手としてばっちしな展開を歩んでいるということ。

が。結局、30分後に「今日は○×で待ちあわせだったじゃん」とかいいつつも、来てくれました。はは、わたしが間違っていたのだった。バイクの後ろに乗っかって、田園地帯をひた走った。緑が目にしみる。稲穂の匂い。風。揺れる椰子葉。しばらく空想に耽っていたら、「起きてるかい?」と。ぼっとしていたよ、いつもみたいに、などと普通の会話。楽しかった。別に何があるというわけではないのだけど、楽しかった。日没前には家まで送ってくれた。寄らないの?というと、ああ、もう遅いからねと。

夜、電話があって、事務的なことだったので、ささっと電話を切ろうとしたら、ねえねえ、おやすみ、I Love You、だって。そんな一日でした。幸せだ。


14-02-2007 / Wednesday [長年日記]

_ おひさしぶりです。

ログインの仕方を忘れてしまっていたりしました(笑)。そんなわけで、がんばってチョコレートを渡してみたりなんかしてしまいました。そんな風習はもとより、ここにはありませんので、な、なんだこいつはいきなりチョコレートなんてもってきやがってとおもわれるかなと思ったけど、そこは外国人相手の語学教師(ええ、またその話なのです)ですから、日本人の奇天烈な風習を知っていた模様で、喜んで受け取ってもらえました。そして、「じゃ、今度レストランでごちそうしてくれる?」と言ったのは、わたしではなく彼のほうでした。一緒に行ってくれるのなら、いくらでもごちそうする!

という調子で、某国語+現在住んでいる某国某地方の地方語の学習も順調に進んでいます。こんなに早く上達できたのも、ここの先生たちの教え方が素晴らしいからだと思う。自分でもびっくりするくらい。昔、日仏に通い詰めてフランス語をやっていたときとおなじくらい、毎日、目に見えて上達が感じられるのって、すごくうれしい。

メールへのお返事がとどこおっていて、すみません。来週、帰国するので、それまでごめんなさい!今日のところは、実はこれからデートなので、大急ぎで家に帰って水浴びして支度をします。まあ、どんな結果になるかわかんないですけども、ようはわたしがそれでハッピーなのであれば、それでよいかと。どっちもいい年のおとなですしね。ではではー。


23-01-2007 / Tuesday [長年日記]

_ 謹賀新年。明けましておめでとうございます(笑)。

ちょうど一ヶ月前に日記を書いて以来、インターネットが使える場所にいたのは、全部で4時間くらいじゃないかと思います。来月末で早々と仕事を辞めることになっているので、その関係書類とかいろいろ書かないといけないのだけど、なにしろ通信環境が悪いので、なんとなくだんだんとめんどくさくなってきていました。相変わらず、ヨガは続けていて、これで大体2ヶ月くらいになりますが、体重は5キロ落ちましたよ!ぱつんぱつんだったズボンとかも、ゆるゆるになりました。ひじょうにうれしい。まあ単に、食生活がよろしくないということでもあるのかもしれないけど、病気もせずに、肩こりもすっかりなくなりました。なにもかも快適。

日常をしっかりと生きること、毎日自分の足下をしっかりと確認しながらいきているんだなーと思いつつ、帰国した後に押し寄せてくるであろう、もろもろのたいへんなことをしばし、忘れています。

食生活がよろしくないと書いたけど、基本的に自炊で、オーガニックなものを中心に、ときどき、ジャンクな揚げ物類を食べたりもしています。ときどき、学校の友達を家に招いて、ホームパーティーもしています。もちろん自分が作った料理でもてなすわけですが、みなわたしが料理をするような人間とは思っていないらしく、掃除も洗濯もなにもかも自分でしているというと、むしろ、こいつはけちなのか、という感じで驚かれている風情もあります。でもまあ、なんでもよいのですがね。。ちなみに、学生から誰から、洗濯は洗濯屋さんに頼むのが普通だし、家の掃除は週二回、掃除の人を頼むのが普通らしい。学生でも、、そうなのだそうだ。確かにケチにみえますな(笑)。

今回は街に住んでいるので、バーゲンなんかにもよく足を運んで、安くてかわいく見える服を物色しています。しかし、もう年齢と釣り合わないような服を着る勇気はありませんので、必然、地味な服ばかり買う羽目になってきました。せめて肌着はきれいなものをと思って、なかなか趣味の好いブラジャーを買ったら、あまりにも繊細なデザイン過ぎて、大きいからではなく、もはや重力に従うより他なくなった体には、過酷であったのでしょう。数回の使用後、あっけなく繊細に壊れてしまいました。月日の移り変わりをいろいろなところで感じています。


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