_ 種蒔く人となる。みなで一斉に斧を振って雑草や草本類を片付け、鍬を入れた。来週は、わたしが施主となって、定礎の石を置く。前夜には、儀礼。これで建築が始まる。先週は、バイクのスタンドで、左足の生爪をはがした。失神、悶絶、阿鼻叫喚。どれをとっても足りない痛さ。死んだ方がましちゃうかと思ったものの、まあこれで当分、バイクのスピードは出せないだろうし(左足で変速していくので)のろのろと道路の端っこを走るしかない。座っても痛い、立っても痛い、何をしても痛い。でも、まあ、なんとか。
_ バイク生活もすっかり板についてきたのだけど、すでに3回こけている。地元民でさえ震え上がるという難所の関所の県境で、坂道を上り初めて、順調に減速していたのに、40度くらいの坂道でこけた。あれあれ…という間にバイクが倒れ、下敷きになる前に車体から離れたものの、完全にこけてしまったバイクを起こすのがたいへんだった。あれ、一体、何キロくらいあるのだろうか。とにかく、人生で、あんな大きなものを自力で引き上げたことはなかったように思う。感じとしては、ピアノをひとりで押すか引くかするような。
3回目のときは、とにかく急斜面の中程で、実は引き返そうかと考えていたところで、油断が生じたのだろう。崖側に落ちなくてよかった。一生、発見されないであろう場所だったから。とにかく、ひとりしかいないのだから、ひとりで対処するしかない。ものすごい力を出してバイクを起こし、ねじれたミラーをみて、また冷や汗をかいて、乗らずに押して坂道を下りようとした。ところがバイクが動かん!アクセルをふかしてみても、ブン、と小さく唸るのだが、すぐに切れてしまう。焦って、だれかに電話しようと思ったのだが、そうそう、今日は小さなけんかをしたから、ひとりでこんな大冒険をするために、携帯電話をわざと家に置いて出てきたのであった。。なんてこと。。罰が当たった。
涙ぐみながら、冷静にバイクを点検してみたら、ギアがセカンドに入ったままだった。そりゃ、うごかんわな。一旦、バイクにまたがって、ニュートラルに入れ直してから、思い切って降下。死ぬかと思った。
いつもバイクで郊外の環状線を疾走しているとき、なにかの弾みで死んでもいいやと思いながら、走ってきた。予想しない場所でその一歩手前をのぞき込んだわけだけど、そのとき、もう少しだけまだ生きたいと思った。もうちょっとだけスピードを落として走らなければ。まだやることがあるんだなと思ったら、何ヶ月ぶりかで、ちょっと晴れ間が見えるような、そんな気持ちがした。
_ 手塚治虫に刺激されたわけではないが、2週間ほど前から、いつも使っているメモノートにスケッチを始めた。最初はボールペンで、次は少し細めの水性インクのペンで書き始め、クレヨンで薄く色を塗っている。こちらでは水彩色鉛筆を使うのが主流で、クレヨンは多くても12色しかない。クレパスの感じのほうが好きなのだが、下手なので、単調にべた塗りになりかねない。フォトジェニックな風景が多い街だから、幼児の書いた絵の域を出ないものでも、なんとなくそれふうに見える。そのときの自分が見たものという意味で、日記と組み合わせて書いている。これで絵手紙なんか書き出したら、中年のおばはん街道を歩みそうになるので、あくまでもおしゃれを目指してちちっと、ペンを走らせている。わりと楽しいです。
_ 手塚治虫のBuddhaを読んでいる。その人の未来を予言できるAssajiという子どもが登場する。だれかわたしの余命を予言してくれないだろうか。残りがあとどれくらいかを知れば、もっと積極的に生きようという気持ちになるのではないかと思うのだ。今と地獄と比べることができたなら、もしかしたらもっと落ち着くことができるのだろうか。
_ 秋から冬にかけての夕方、わたしの部屋がオレンジ色に染まる時間が好きだ。南側と西側の窓から差し込むオレンジ色の光に、どれだけ慰められ、うっとりとした時間をすごしてきただろうか。誕生日の頃は、夜になると、羽衣ジャスミンの香りが二階の部屋にまで忍び込んできた。うぐいすの鳴き声を温かな布団の中で聞きながら、いつまでも微睡んでいた春の朝。冬の朝、窓の外の冷たさは、光の色で推し量ったものだ。灰色の朝、グレーの朝、ねずみ色の朝。博論を書いていた年の秋から冬にかけての部屋。一日中、二胡や波多野睦美を聴きながら、オレンジの花の香りを混ぜ合わせた加湿器のコプコプという蒸気の音に包まれていた。家はどこにもいかないだろう。いつまでも、いつまでも、わたしの記憶の中にある。ありがとう、わたしの家。