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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

19-10-2009 / Monday [長年日記]

_ 山の上にいた間は、毎朝5時半に起きてお湯を沸かしてもらって行水をして、水田地帯を散歩するのを日課としていた。休耕田で牛の家族が草を食べているのを見るのが楽しみで、毎朝、坂を下りた。一時間ばかり、灌漑水路を辿って畦道を歩いて、ときどき急峻な岩肌をのぞかせる山を見上げたりしては、鳥や小動物の鳴き声に耳をすませた。早朝にも甘いコーヒーの花の香りはあたりに満ち満ちており、時々、花を摘んでは蜜を吸った。よく公園のツツジなんかの蜜を吸っては母に叱られたものだ。

最後の日の午前中は、家の裏の窪地の水田へ。盆地の向こう側は厳しい岩肌を見せる崖山である。そのふもとに小さな灌漑が切ってある。この灌漑水路は向こうに小さく見える滝が水源。村から滝へは歩いて15分くらいという。本当はこの滝も見たかったのだが、岩場をよじ登っていくらしい。また今度にする。白いウルチマイのほか、紅米も栽培しているここのご飯は、しっかりとした噛みごたえがあって、本当においしかった。高収穫品種のハイブリッド米はお米も痩せていて、経済的にはよろしいのかもしれないが、食べておいしいものではない。もちろん炊き方にもよるのだろうが。いろいろたくさん話を聞いたし、散歩もたくさんできたし、知りたかったことも知ることができたので、満足して帰路についた。途中、一か所だけ、どうしても寄りたかった開拓村へ。干からびた西部劇の村のような雰囲気で、人相の悪い保安官ならぬ痩せこけた赤い色の犬が吠えるでも威嚇するでもなく、あくまでも感じ悪く近寄ってきて、いきなりころりと足元に寝転がった。番犬としてのつとめを少しは果たしましたよ、というポーズなのか。

戻ってちょっと料金のことで運転手ともめて、あとの時間は知人に又貸しして帰る。疲れた。翌日は半日、横になって、午後になってから外出。小旅行の報告を友人にして情報交換。

その次の日からは海抜0メートル地帯へ向かう。打って変って、暑いこと、暑いこと。いろいろ話を聞いて寝て食べて、お墓の掃除などもしたりして、3日後に無事帰還。

最後はチャイナタウンでいろいろと人に会って話を聞いて、のんびり珈琲飲んだり月餅を食べたりしてなんとか情報収集して帰る。途中、お寺で何度も籤を引きなおす。というのは、籤を解釈してくれる人が「これはよくない」というので。最初の二回はともに65番で大凶。安産祈願をした人にとってはまったくよろしくない結果。ということで解釈のおじいさんの助言に従い、再度、三拝九礼して籤を引いたら大吉が出た。ええんかいな。

荷物まとめて空港へ向かうところ。明日から三日間、また大学でシンポジウム。少し風邪気味で、喉と鼻が猛烈に痛い。扁桃腺が腫れて鼻水が止まらない。疲れ果てたけど、ミジンコさんも喜んでいたと思うよと夫に話したら、「楽しんでいたのはあんただけやで」と冷たく言われた。そうかな。まあとにかくすんごい充実した小旅行でした。あとは書くだけ。それがむずかしくってねえ。。


18-10-2009 / Sunday [長年日記]

_ 久々の本拠地で充実した日々−いやー、ほんとに毎日、がんばったことでした—を過ごした。二回飛行機を乗り継いで到着してからは、しばらく大学の行事で街で過ごした。久しぶりに会う人もいて、楽しい時間を過ごす一方、やはり体が思い通りに動かず、すぐに疲れてしまい、ほとんどの時間を滞在先の部屋で過ごした。行事が終わってからは、ようやく今回の一番の目的であった山岳地帯へ出発。緩やかではあるがぼこぼこの道のルートを取らず、若干急ではあるが道は比較にならないくらい新しくてまっすぐな山道にルートを取った。途中休憩所でしっかりと昼食を取り、ようやく最後の山越え谷越え。この道も今は敷石が敷かれて、車で最終目的地まで入ることができた。もちろん日本の援助のおかげ。で、お世話になる家や村にあいさつ。標高千メートルを超えているので、とにかく涼しい風が吹く。もう夕方だったのだが、妊娠してから一挙に暑がりになったわたしには極楽であった。夕食は、山の自然をたくさん用意してくださった。おいしくて久しぶりに元気よく食べた。自家焙煎のコーヒーを食後にいただく。妊婦はあまりたくさんカフェインを摂取してはいけないなどと指導されるのだが、ここではどうですかと尋ねると、コーヒーが体に悪いなどというのは、間違ったコーヒーを飲んでいるひとの言葉だ、とのこと。ここのコーヒーのおいしいかったこと。わたしの好みの、酸味がほとんどない、しっかりとしたコーヒーの味のする飲み物だった。ところで昼間からずっと、村中のいたるところで甘くてしっとりした芳香が漂っていた。村の人に聞いてみると、なんとコーヒーの花の香りなのだとか。タバコの花の香りが、タバコの匂いとは似ても似つかぬものであることを知ったときと同じような衝撃を受ける。夕食後、テラスでコーヒーを飲みながら、その花と実の異なりながらも妙なる調和の芳香にうっとりとしながら、いつまでも話は尽きなかった。夜、蚊帳の中で静かな夢を見た。

次の日は奥さんに案内されながら傾斜面に植えられたコーヒー園を歩く。歩きながら自然に芽を出した苗木を集めつつ、上ったり下ったり。たっぷりと歩いて、急流のがけに到着。下をのぞいて思わず、後ずさりして意味もなくコーヒーの木の幹を掴んだ。記念写真を撮ってから、またずっと歩いて、ずっと上流の水田に出た。自然の味をたっぷりと使ったおいしい昼食と夕食。夜もまた静かにコーヒーを飲みながら、皆で話す。

三日目は、おやつと魔法瓶につめたコーヒーを持って、より上の急斜面へ。からからに乾いた草原をしばらく歩いて、もうほとんど草地になっている元の畑の場所へ着く。見た目にはほとんど人の手が入っていない土地。しかししっかりと隣の畑地との境界の石垣が積まれていた。眼下にほそぼそとしかし急流となって流れる川を、またしても恐る恐る眺めながら、記念撮影。おやつを食べながら、試しに夫に電話をしてみたらつながった。今どんなところから電話をかけているかを知ったら、気絶したかもしれない。今度はまた来た道を戻って、竹藪の出口に到着。途中、昼食と夕食になる野菜や果物を収穫しながら帰る。昼からは牛の世話を体験。牛の親子が本当にかわいい。生まれて5日目の牛がよろよろと母牛のそばを歩いている。お臍からは干からびたへその緒が垂れ下がっている。牛の子供はあまり母牛には似ておらず、父牛に似ているのかな、などと妄想。たまたま道端に落ちていたバナナを一枝運びつつ、途中でゼンマイに似た野菜を摘みながら、これを夕食に食べようなどと話す。うちに帰ってまた各戸の屋根裏調査をしたりして、荷物をまとめたりした。夜はまたみなでテラスで話。遠くで犬が吠えた。


05-10-2009 / Monday [長年日記]

_ 遠い街へ二週間の予定で出張。今回はこちらの主治医に健康証明書?を書いてもらったので飛行機にも無事に乗れるはず。夫は県庁の会議が連日続いており、空港へは一人で行くのだが、そのことを下宿の大家さんに話したら、以下お手伝いさんまで含めてみなから「なんという非道!」という感じで非難を浴びることとなった。かわいそうに、それでも会議には絶対出席しないといけないので、そして別にわたしは一人でも大丈夫(というか、一人のほうがあれこれ気を使わなくてよかったりするから)なので、まあまあととりなす喜劇みたいな場面があったりした。

昨日は、朝から小高い丘の上のこども学校の見学。折り紙教室の日だというので折り紙を手土産に車でいってみたところ、体感傾斜にして45度くらいの山道。後部席でしっかり安全ベルトを締めて車にしがみつく。運転手はあきらかにいやそうで、「こんなところ上ったら、すぐガソリンが減るがな」などと文句たらたら。しかし無事に上がってくれた。しばらくこどもらの作ったスクラップブックをみせてもらったり、サイン帳に日本語で挨拶を書いたり、記念撮影をしたりしてから、GPSとかで場所確認。ふもとの小学校まで徒歩で二時間という。ほんとうに何も生えていないところで、大人の足で一時間ほどふもとの草原から、家畜のえさを、おばあさんが運んでいた。10キロはありそうな草。サンダルもしくは裸足である。妊娠してから10キロ太ったわたしもそういう荷物を運んでいると思ってちょっと山道を登って見たが、十歩ほどで息が上がった。家畜は丸々と太っていた。こちらでは牛を飼うのにヤギを食べさせる、というのだそう。ヤギを売って牛の飼料を買う、の意。牛もやせているのか太っているのか、皮がだらりと垂れ下がっている。

まだ朝だったから、丘の上から平野を見下ろすと、平原がずっと眼下に広がっていた。遺跡があちらこちらに見える。しんとした不思議な風景。こども学校に絵本を寄贈しようと考えながら丘を降りて、出張先へのみやげ物などを買いに行った。


01-10-2009 / Thursday [長年日記]

_ おととい作った肉なし肉じゃがに卵を落とし、昨日作ったひじきの煮物で朝ごはん。おいしかった。

下宿の大家さん一家と朝から長話。王家の人々なので宮中行事の際の席次だとか衣装の着方やら教えてもらう。あとは立ち居振る舞いとか言葉遣いとか。高貴な人々と言ってもまったく気取った人々ではない。貴族の称号は敢えて名乗らず、庶民とおなじレベルで暮らしている。こういう人がごろごろといるところだから直接話を聞くことができてなかなかおもしろい。


30-09-2009 / Wednesday [長年日記]

_ 例の院生の人を誘って調査旅行へ。足掛け1年にわたって様子を探り事前調査抜かりなく、準備して向かったのだが、快調な作業の途中でこの院生さんが脳貧血を起こした。聞けば朝食を抜かしてきたとのこと。そういう可能性もあるかなと朝ごはんを食べたかとたずねたのだが、そのときの回答は「食べた」とのこと。この人は下宿屋の台所やら冷蔵庫やらもようつかわんようで、ことばに偽りなく、ファーストフード、それもこちらの栄養たっぷりのものではなく、挽肉挟みパン系のファーストフードで本当にしのいでいるらしいことが確認された。なので小一時間で引き上げて、ご飯を食べに連れてゆく。が、ローカルフードは口に合わないのか明らかにのろのろと食べている。お互いにとってかわいそうな結果となった。もう他人の心配はしないこと。肝に銘じよ。

引っ越した洗濯やに連絡を取って、配達を頼む。これからも贔屓にしてくれといわれるが、突然、引っ越す洗濯やをどのように信用すればよいのやら。わたしの洗濯バケツを持っていった人の目星はついているのだが、昨日述べたように、ややこしい問題は徹底的に回避する世間な某国。たぶん、名前を書いていなかったわたしが一番悪いのだ。 


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