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lost luggages ねぶくろ 書簡
--sleeping bag・g-ism/ist--

27-10-2009 / Tuesday [長年日記]

_ 仕事の最後の仕上げにまた山の上へ。子ども学校の人々と少しだけ意見交換。日本人だからお金を出してくれるだろうという感じでか、ストレートに活動経費を出してほしいと頼まれる。が、こちらもそのようなことは先般見通していたわけで、すぐに用意していた回答を出す。当地の日本人会の親睦バザーで、子どもたちが作っているという手工芸品を出してみてはどうか、一人の日本人ができることは限られているが、大勢の日本人からお金だけではなく、いろいろなアイディアをもらえるように交流してみるのもひとつの方法である、と。冷たいと思われただろうが、どちらか一方が負担に思うような形の活動支援は、どうせ長続きしないのだから。

帰りにスーパーで、「カボチャ・ジャパン」と表示のあるハロウィンのかぼちゃみたいに皮がオレンジ色のかぼちゃを半分、購入。早速、下宿の台所でかぼちゃを炊く。ちょっと砂糖を入れすぎてしまったけど、おいしくホクホクと炊き上がった。鰹節を盛大に振りかけて、炊き立てのご飯と一緒に食べた。夫もおいしいという。

残ったサツマイモは、今朝、いちょう切りにして、トマト、タマネギ、サンドマメとバターで炒めて、溶き卵を投入、スライスチーズを適当に散らして、スパニッシュ・オムレツ風にしてみた。おいしい。自分で作るとそれだけで何でもおいしい。

ちょっとノートを取って本を読んでいたら、本来の本拠地の旧友が今、駅で電車を待っているという。この人とは、先日、本来の本拠地で開かれたシンポジウムでもちょっとすれ違っていた。ただしこのときは、彼が体調が悪く、すぐに帰ってしまったので、挨拶くらいしかできなかったのだった。立ち話で交わした会話で、先般、奥さんと離婚したとのこと。ここも国際結婚組だったから、他人事ではないのだが、ドメスティック結婚でも離婚はあり得るわけで。まあ次を探せ、などと適当なことを言ってあっという間に別れてしまった。

彼の新しい本が出版されたので、大学出版局にいろいろと手続きやら挨拶に来ていたとのこと。隣の大きな街で開催される文化イベントに招待されているとかで、それで電車を待っていたのだという。大急ぎで身支度して夫と一緒に駅まで向かうが、駅のアプローチを歩いているところで、電車到着。いつもは遅れるくせに。電話で、線路沿いのプラットフォームの端っこで手を振るからと連絡。なんとかニアミス。金曜日に戻ってくるらしいが、わたしはその日の朝に帰国するのである。またいつかね、などと話して、電車に手を振って帰ってきた。

_ 駅から戻ってからホテルのプールへ。午前11時半のプールは、読書の欧米人一人を除いては誰もいなかった。一人で独占してひたすら泳ぐ。夫は読書。時々プールから上がって、一緒にジュースを飲んだ。平泳ぎをしているところは、太ったカエルみたいだといわれる。800メートルほど泳ぐ。プールで泳ぐのはほんとに久しぶりのこと。いつも川か海なので、水に浮くかと心配だったけど、普通に浮いた。平泳ぎ50メートル、背泳ぎ50メートルのインターバルをずっと繰り返した。2時ごろプールを辞して、下宿で昼寝。ミジンコさんは、水を得た魚とばかりに気持ちよかったのか、今日、初めて足か手で、勢いよく蹴られた。まるで鼓笛隊で太鼓でも叩いているかのごとく、元気いっぱい。おっかさん、今までやっぱり運動不足だったから、酸素が行き渡っていなかったのかね、という気持ちになる。


26-10-2009 / Monday [長年日記]

_ サツマイモをふかしたのみたいなのがスーパーのお惣菜コーナーで売られているのを見つけた。ひとつ買ってみる。前にも買って見たことがあるような気がするのだけど、あまり味を覚えていない。ということは可もなく不可もなくだったのだろう。おいしかったりまずかったりしたら、覚えているはずだから。お芋さんが食べたくて仕方がなかったのだ。

イモ類はなんでもおいしいと思う。おでんのおいもさんが懐かしい。からしをいっぱいつけて、ほくほくと熱いのを口に放り込んでやけどしそうな思いをしながら食べてみたい。


23-10-2009 / Friday [長年日記]

_ 今回の滞在中、血圧も血液もまったく正常で、低血圧気味なほどだったのだけど、とにかく足が浮腫んでしかたがなかった。登山靴もスニーカーも持ってきていたのだけど、クロックスをよく履いていた。これは軽いしそこそこ歩きやすいのだけど、とにかく足裏が痛くて痛くて仕方がなかった。先日、山岳地帯に行ったときも登山靴もスニーカーももって行かず、クロックスだけ履いていった。新しい本拠地に戻ってから、そろそろ帰国準備ということもあったし、シンポジウムに出ないといけないということもあったので、偽リーボックの黒いスニーカーに足を突っ込んでみた。最初はとにかく痛くて痛くて仕方がなかったけれど、きちんと紐で締めるからか、クロックスよりも遥かに足にフィットして歩きやすいし、何より帰宅して靴を脱いだ後も足が痛くない。運動量も高かったからから、足のむくみも軽減された。夕べは結局、プールには行かず、家でマタニティ・ヨガをしてみたら、とても体の調子がよくなった。寝返りを打ったり起き上がったりという動作がどんどんとしんどくなってきていたから、その負担が軽くなったのは助かった。

ところでこちらでは岩田帯のようなものは一切ないし、マタニティ肌着関係も、ほとんどない。非常に限られた場所で、中国製のものが売られていることがあるが、まるで拘禁道具?みたいなものばかりで、あれは確かにおなかは締めはするものの、きついよなー、という感じがする。人によっては、ほんとにお腹が漫画みたいに前に突き出ているような人を見ることもある。乳幼児の死亡率や産婦の死亡率は、日本と比較にならないくらいに高い場所で、それなりに各国の援助プログラムも入っているようだが、全体的にあまり改善されていないように見える。なんでなんでしょうね。健康とか病気とは依然としてカミの手にゆだねられるべき範疇の問題として認識されていることも、原因なのかなとは思う。宗教病院に行くと、「薬や医師、手術に頼ってもだめです。あなたの祈りが届かなければ」などという標語が張られている。その割にはこちらの人はほんとに薬好きで、売薬を山ほど所有していたりする。健康でいること、病気にかかること、それぞれの因果関係をほとんど考えることなく、サプリメントや薬に手を出しているようだ。だから糖尿病の人が、「健康にいいから緑茶を飲んでいる」とはいいつつ、どっさりと砂糖をぶち込んでいたりするのである。

東洋医学とかオルタナティブ医療という分野がこの国でもひじょうに拡大してきている。西洋医学に鍼灸を取り入れている大学病院ももちろんある。医療の選択範囲が増えはするものの、根本的な食生活やら自分の健康について自分で考えるという発想に関しては、まだまだこれからも開拓の余地が大いにあるなあと思われてならない。


22-10-2009 / Thursday [長年日記]

_ 無事に3日間のシンポジウム終わって、充実。楽しいシンポでした。最終日は、ちょっとえらい人がたくさん登場。みなさん現地語で報告。しかし全員、こちらの喜劇役者も顔負けのギャグやら冗談やら皮肉やらをふんだんにちりばめた話術で、会場はそれまでの二日間の辛気臭い雰囲気を払拭して、楽しい感じになった。初日の心理学の人の発表もとても楽しかったのだが、おなじセッションの人が全員、辛気臭いひとたちばかり—いや、まじめな人たちというべきですね。。—だったので、いまいち、参加者も反応に戸惑う部分があった。

そういえば、参加者の5人に一人は、ネットブックないしはラップトップを持参していた。もちろん場内はワイヤレスな空間。そしてほぼ全員、顔ブックを見ていた。わたしは顔ブックとかつぶやき帖とか全然、知らないのだけど、ほとんどの人が全員、おなじ画面を見ているからついつい覗き込んだら、そのようなページだとわかった。顔ブックは、某国の人々のまさに麻薬的な勢いで魅了しているようで、よるとさわると、みなその話ばかりしている。そして初めて会った人はもれなく、「顔ブック、お持ちですか」とか「顔ブック、やってる?」と聞いてきます。携帯電話がインターネットにつながっていないわたしは、某国でも日本でも化石時代を生きており、まったく話題についていけない。でもとくに困ることもない(と本人だけが思っているのでしょうね、きっと)のである。

一人だけいた招待スピーカーの日本人の先生に挨拶して、また歩いて帰った。これで三日間とも健康的に歩いて帰る。途中、下宿の近くのホテルによって、プールの説明などを聞く。実はこないだ本来の本拠地で、マタニティ水着を買ったのである。といっても日本みたいなツーピース型の妊婦妊婦していないデザインのものはなくて、強烈な花紺の、ワンピース水着。泳いでいる人は全員西洋人で、体型のことなど気にしないでよいから、さっそく夕方にでも泳ぎに行こうと考えている次第。朝は午前6時からあいているとのこと。夕方は人も多そうだから、明日でもよいかな。。

ところで、本来の本拠地の大学で、高村薫の「レディ・ジョーカー」を借りてきた。何年も前に読了したんだけど、いやー、夢中になって読んでしまいました。麻薬的な魅力がありますね。で、意味もなく、インターネットでグリコの事件をいろいろ読み直してみたりして、随分、無駄?かもしれない時間を過ごしてしまいました。

今日のシンポの間中、ミジンコさんはえらく元気に暴れまわっておりました。この人は、①おじさんジョークに反応していた、②アカデミアにさっそく親近感を持っている、③退屈だから、はよ家に帰ろうと訴えていた、のどれを主張していたのでしょうか。わたしがインターネットの前にいるときは、ちっとも動かない。


21-10-2009 / Wednesday [長年日記]

_ シンポジウム。本来の本拠地の大学界隈で開催されるものとは異なり、みなオープニングよりも30分くらい前から会場に来て、着席して待っている。。場所が違えばほんとうに行動も違うんだな。で会場で携帯電話が鳴り出すこともないし、なった電話にそのまま出て、「ハローハロー」などと話し出す人もいなかった。みな文明社会を生きている人のように見えた。国際シンポジウムとはいいつつ、外国人で出席していたのは私を含めて5人。それ以外の200人は某国人。でも使用言語は英語だった。ずっと座っているととても体がしんどかったけれど、なかなか楽しく勉強させていただく。夕方、無事に初日が終わって、歩いて家まで帰ってみた。小一時間で、よい運動になった。

月末に帰国するので、そろそろ準備など。もって帰る荷物はほとんどなし。帰りにまた河童国によって、知人に会う予定になっている。次からは子連れになるかもしれないから、もうしばらくは河童国で遊ぶということもなくなるだろう。そう思うと、結婚したときよりも、独身時代が終わった感がいっぱいになる。


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