_ 先日の出張時、宿泊先のホテルが、最近流行りのちょっと感じの良いビジネスホテルで、とっても居心地がよかった。部屋の天井がとても高いのと、床が白っぽい木材のフローリングだったので、窓の小さなことも全然気にならない。バスルームは、ユニットではなく、今時珍しい、凝った小さなタイル貼りだった。それもとても清潔で、さらに好感度上昇。必要最低限のファシリティーが整っていて、とっても素敵なホテルで、これからも出張のときはここにと思う。ドライヤーも1200Wあったので、いらいらしながら髪の毛を乾かすこともかった。でも一点解せなかったのは、スタッフが全員、なにかのコスプレをしていること。女性は全員、プラチナブロンドのボブスタイルのカツラを被っている。男性も、カツラこそかぶっていないけれど何かの戦隊物みたいなユニフォーム。そして全員、カラーコンタクトを装着している。そのことだけが、最初はなにやら不安にさせる要素であったのだが、近くに日本人向けの古本屋があった。値段も、日本の古本屋と同じくらいに安く、100円とか200円程度。絵本もとても状態のよいものがあったので、ついついあれこれ買ってしまったのだった。駐在員や短期出張とかの人のものだった感じで、状態もとてもきれい。ビジネス関連の新書も多かった。
帰りに日系スーパーで子どもの好きなさつま揚げ(店内で揚げている!)を買ったりなんかして、せっかく稼いだお金を浪費してきました!
_ 帰国して最初の週末、子どものご機嫌取りのためホテルのプールへ泳ぎに行った。子どもはこのホテルのプールが好きなので、なかなかプールから出たがらない。たまたま宿泊費も安いプロモーション期間中だったので、部屋も予約していた。安いけれど、古きよきホテルなので、浴室にはバスタブが据えられている。子どもをなんとか宥めて、部屋に戻ってすぐ入浴。子どもは上機嫌で、また来週も泊まりに来ようという。日本恋しい、帰りたいという言葉も、もう忘れてしまったかのよう。お風呂から上がると疲れたのか、もうご飯も食べたくない、このまま寝るという。外に簡単な食事を買いに行くけど一緒に行かないのときくと、ずっと部屋で待っていたいという。よほどに疲れている模様。大急ぎで渡井だけ外出してフルーツサラダとフルーツスムージー、思いついてカップヌードルみたいなものを買って戻る。子ども、スムージーを飲んだら、疲れてしまったのかすぐに寝てしまった。
翌朝、朝からプールに泳ぎに行くと言っていたのに、疲れたのか、朝食を食べてからにするという。テラス席に座って、庭で遊ぶ野鳥やちょうちょうなどを眺めつつ、のんびりと朝食。それからやっとプールへ。小一時間ほど泳いだら、子どもも満足したようで、部屋に戻った。ところがいざチェックアウトという段になって、子どもがまた泣き始める。曰く、おうちに帰りたくないとのこと。必死に宥め賺してタクシーに乗り込むという騒ぎがあったため、わたしはジャケットをホテルに忘れてしまった。
それから3日後、恩師が外国人の博士論文の外部副査になっているため、わたしの職場の大学へ来た。昼間から贅沢なレストランで食事を取り、そのまま子どもを迎えに行き、来るまで近くの大型モールへ。子どもは懐かしい日本人が来たというので、大はしゃぎで、先生の膝に飛び乗ったり、首に抱きついたり、背中によじ登ったり、びっくりするくらい恩師になついてしまっている。先生も満更ではないご様子で、子どもにあれこれと買ってくれる。夕食を軽く食べて、アパートの前の道路までタクシーに同乗して帰宅。走り去るタクシーのテールランプが見えなくなるまで、子どもは手を振り、やっとわたしを見上げた顔が、また涙で汚れていて、子どもを抱き上げたままで、アパートの部屋まで戻った。辛い別れ、我慢しなければいけないこと、たくさんの出来事が子どもの身に起こった。ひとつひとつとても受け入れられないと、泣きに泣いた子ども。よくがんばっているなあと思う一方、これ以上、我慢させてばかりじゃいけないと思っていたのにだ。その二日後、わたしはまた出稼ぎで首都に出てきている。子どもをもっともっと、かわいがってあげたい。甘えさせてあげたい。夕方、子どもからの電話は、張り裂けそうな子どもらしい泣き方というよりも、もっともっと悲しい、寂しい気持が一杯の声だった。そのことが、一層、辛い気持にさせるものだった。明日の夕方、子どもに会ったら、すぐに抱っこしてあげよう、そしてもう二度と手を離さないぞ。そう思ってわたしも必死に涙を堪えたのだった。でも絶対、子どものほうが辛い思いをしている。申し訳ない。
_ 仕事で、日本に帰国している。子どもを連れて、慌ただしく荷物をまとめ、ざざざーっと、不在中の授業代講打ち合わせを済ませて、ほとんど睡眠時間なしで、帰ってきた。久し振りの日本、大好きな11月。これ以上、なにを望もうか。子どもはあっさりと元の保育園の生活に戻り、子どもながらにもストレスもあるだろうに、元気に過ごしてくれている。もっとかわいがってあげたい。本当によくがんばっている。いろいろ問題はあるけれど、日本っていい国だなあと、しみじみ感じるのは、スーパーで売られているものの新鮮さとか安さとか。誰がなんといおうと、わたしにはなにもかもとても良質なのに、なんて安いんだ!と思えるのである。パーマやに行くと、それはそれは丁寧に希望の髪型を聞いてくれる、シャンプーの丁寧さには思わず、溜息がもれるほどであった。
いつか日本に帰るかも知れないし、ずっと帰ってこれないかもしれない。でもいつか帰ってこれたらいいな。少し長く、住むことができたらいいな。そう思ってがんばることができるような気がするうちは、もう少しがんばってみようと思った。短い滞在期間、できるだけたくさんの人と会って、リフレッシュしたい。
_ 先月下旬に、子どもがサルモネラ菌に感染し、てんやわんやをしていた。何度も深刻な状況を切り抜けて、やっと回復。40度の熱が二晩下がらなくて、考えてはいけないことを考えることもあった。今思い出しても、体が震える。今週初めから、保育園に復帰している。とにかく元気になってくれてほっとしている。でも慢性化して保菌者になるという可能性もあるそうなので、とにかくあまり無理をさせないようにと思うのだけど、子どものことなので、家にずっといるのも限度がある。よくなったとはいえ、未だにはらはらとしている。
その渦中で、やっとこさ、就労許可が出た。一年がかりである。これでなんとか、腰を落ち着けて、がんばれるかと、ほっとしている。まともに給料が出るようになったのが8月からのこと。何事も日本とはおなじにいかないことは承知の上だが、それにしても長すぎた。
就労許可のお祝いと子どもの快気祝いを兼ねて、ジューサーを買った。赤と黒の素敵なデザインのもの。日本のメーカーのもの。ところが果物を買うのを忘れて、冷蔵庫にあったちょっとしなびたアップルマンゴーで初めてのジュース。家電製品を買ったのは、来た当初のDVDプレーヤー以来のことで、これでやっと人間らしい生活ができるようになった・・・というのは大袈裟だろうか。
_ 某感染症が日本でも流行しているという報道を聞き、うひゃーと唸ってしまった。普通に健康な生活を送ってきた日本人であれば、発症したとしても重篤な症状になることはないのではないかと思うのだけど、この病気はひたすら肝臓に負担がかかる。だから予後はあまり無理をしないで、できれば2ヶ月ほどはのんびりと休養したほうがいいということになっている(当地では)。
わたしも数度罹患したことがある。そのうちの一回は帰国便に搭乗する直前に発症し、たいへんな大騒ぎをして帰国して、病院へ直行したのだった。自覚症状があったので、速やかに、医師に自分が罹患した可能性がある感染症の検査をして欲しいと伝えていたのだが、冬場であったため、まずはインフルエンザでないことを確認してからその検査をしましょうといわれた。そのため、約1日のロスタイムがあって、初めて点滴を受けさせてもらえるようになった。考えてみれば、そのまま当地で入院したほうが、よかったのだが、そのときのことを思えば、今回の件で病名が全国に周知されたことはよかったと思う。乳幼児が発症した場合、致死率がぐんと上昇するというデータがある。だからこちらでは暑い夏場の季節でも、5歳未満の子どもたちは、日中も長袖のジャケットを着せられたり、長ズボンを穿かされたりと、防虫対策はわりとしっかりと行われている。当該の蚊に刺されたとしても、発症しにくい体にするためだとして、ビタミンCの多い果物やそのジュースを毎日飲むのがよいということも、巷間では比較的信用度の高い情報であるとされ、病院でもそのような趣旨のポスターが貼られていたりもする。しかし一番大事なことは、これだけ発症者が出ているということは殺虫剤をどれだけ散布したところで、蚊を完全に根絶させることは難しいという前提で、澱み水や生活排水が流れにくくなっているところを早急になくすことを優先させることだと、同僚の先生たちはいう。
地中海沿岸部でも罹患者が増えたとかそういう話も聞く。地球温暖化とかグローバル化の流れの中にあっては、もうある地域に固有の現象が地域外へ出て行くことを抑えられなくなってしまう。エボラ熱のことを対岸の火事だと思っていてはいかんということなのだろう。
_ pyonpyon21 [寝袋さん、おかえりなさい!どうぞゆっくりなさっていってくださいね。]
_ ね [ありがとうございます〜! 毎日、サンマとおそばを食べて、海外がいたのが嘘のように、また日本暮らしに戻っています。 某..]