_ 先日、荷物を開梱して以来、長い間読まずにいた本の読み直しに没頭している。水を飲むような気持ちさえする。だからといって決して気が晴れるということでないのだけど、美しい日本語にうっとりとしながら言葉の海を漂っている。
子どもが小学一年生になった。もちろんランドセルも桜の花もなく、コサージュを付けた晴れ着のお母さんたちと一緒の記念撮影もない。教科書の配布だってないわけで(教科書がないからです!)、その代わり、給食袋を縫ったりもしなくてよい。でもちょっとさみしいような気がするのは、日本人だからだろう。最近は『エルマーとりゅう』がお気に入りの子ども。わたしも自分のりゅうがほしい。いやほんとにどこでもドアが欲しい。タケコプターでジェット気流に乗るわけにもいかないから、なにかすっと一足飛びで日本に帰れる道具がほしい。日々、テロの恐怖におびえながらくらさなくてもいい場所なんてどこにもないのかもしれないけれど、新しい合衆国大統領がだれになっても、世界の流れはもう止まらないのかもしれないけれど、どこか静かな場所でなんの心配もしなくてもよい場所に行きたい。ずっと緊張し続けているのに疲れてきている。7月は誰もをそんな気持ちにさせる出来事が続いた。どこかで流れが切り替わらないものかと思う。
我が家の一年生と先日の日曜日は、近所の田んぼを歩いた。水路にはカニがたくさん、タニシがたくさんで、時々、見事な平泳ぎの後ろ足を見せるカエルもいた。のんびりした時間を過ごしたような書き方をしているが、この裏道は知る人ぞ知る抜け道でもある。ビュンビュンと切れ目なく走ってくる車やバイクにおびえながら、水路をのぞき込む親子は奇異に映ったと見え、中にはバイクを止めて、「大丈夫ですか?」と聞いてくる人もいた。ただ自然(みたいなもの)を見ているだけで、心配されたり不審がられたりする。いつかきっといい時代がまた来ると思って、子どもと一緒に苗が植えられたばかりの田んぼの道を歩いた。