_ 大好きな11月が始まる。
なぜミステリー小説しか読めなくなったんだろうと考えていたら、思い切り膝を打つような、我が意を得たりな説明を読んだ。「到底ありえないような出来事には感情移入する必要もなく、純粋にエンターテインメントとして楽しむことができるから」というもの。わかる、わかる。そういうわけで、ミステリー小説⑨割、その他の小説①割という感じで、読書をしてきたこの一年だった。
この一ヶ月で一番楽しかったのは、『陸軍士官学校の死』(ルイス・ベイヤード)。10年前に発売された翻訳もの。ついでにいうと、翻訳もののほうが物理的に距離がある分、感情移入への抵抗も高くなり、ちょうどいい塩梅に楽しんで読める気がする。
音楽では、もっぱらSonic Youthのカーペンターズのカバー曲「Super Star」を聞いていた。完全にストライクゾーンに投げ込まれた曲。出だしから襟元をぐっと鷲掴みにされたような気持ちになって、曲が終わっても元に戻れないくらいに、完全にノックアウトされてしまっている。それとサニーデイ・サービス「春の風」。不惑を超えてもこのエネルギー、である。クラクラしてしまう。ビデオの主演の男の子もまた、とてもいい。
_ 意外なことに、朝起きたときは、まだ雨が降っていなかった。だけど洗濯はせずに、まずは掃除。図書館で借りている本を眺めて、リモート授業の準備。早く読みたい気持ちを抑える。最近読み漁っているのは、現代韓国文学。といっても借りてきたものの、読んだのはまだ2冊だけだ。しかしその2冊は、とてもおもしろかった。『フィフティ・ピープル』(チョン・セラン)は、ただのオムニバスものではない。まるで万華鏡で、まるで木の根っこハウスのようだ。人は一人で生きているのではないということばを聞くことがある。でも、ほんとかな。この本を読むと、ふとすれ違っていたり、通りすがりに見たとかだけでも、なにか小さな「作用」があることもあれば、そうでないこともあるのだ、そういうことがあるかもしれないのだなあと思えるのだった。そんな、ハッピーエンドを期待して毎日生きているわけではないけれど、ふと、気持ちが元気になるような気がしたのだった。とてもいい本だった。
_ 海と山と森のあるところを旅してしばらくしてから、コロナの時代が始まった。
コロナの時代の始まりの始まりの頃、続けて2回、日本とガリバーの馬の国を往復した。空港の売店の店員は、青い顔をして、目は真っ赤に充血し、ゴホゴホと不穏な咳が止まらない様子だった。機中で飲む飲み物を持ち込み用のビニールに入れてもらい、大量にマスクをつけた人々が次々と入国手続きへと進む中、不穏な空気をかけ分けて、搭乗口へ進んだ。途中、トランジットの空港では、わたし以外、だれも人がいなかった。深夜の乗り継ぎではあったけれど、白く輝く照明に照らされているのは、私一人である。ありえない。わたしには誰も見えないが、そこに人はいたのだろうか。ランゴリアーズを持ってくればよかった。不穏な時代なが始まる空気が流れ始めていたのだろう。それに影響されたのだろうか。その機中で読むために持参していた文庫本は多和田葉子の『献灯使』だった。
まだなんの予兆もない日本に到着し、わたし以外にほとんど人気のない特急電車に乗り込んだ。空気は明るく乾いて寒く、枯れわたる一面の田んぼが見えた。
そして国境封鎖の満潮に追いかけられるようにして、彼の地をあとにしたのは、桜の季節の始まりの頃だった。数年ぶりの日本である。子どももわたしも家にいたりいなかったり、学校へ行ったり、仕事に行ったり。いまだどこかしら宙に浮いている感じがどうにも拭いきれない每日である。
_ 年末は海と山と森のあるところで過ごした。飛行機で3時間しか離れていない場所だった。でもとても懐かしく、居心地のよい場所だった。わたしの知っている人たちは、今はもう誰もそこには住んでいない。街の様子も、もちろん20年前とは比べられないほど変わっていた。それでもそこには海と山と森があった。
毎日、ホテルで朝食を取ったが、右を見ても左を見ても、日本人はいなかった。圧倒的大多数は東アジアからの旅行者であった。二番目に多いのは欧米からの旅行者である。あるいはわたしたちと同じように、首都から休暇で訪れていただけなのかもしれなかった。その次に多いのが東南アジアからの旅行者であった。クリスマスと新年の飾り付けを兼ねたブレックファストルームの意匠は、巨大なツリーに全精力が注ぎ込まれていた。ツリーを木だと考えると、間違いなのだろう。天井まで届くようなスリムな円錐形に、きらびやかな飾り物がぶら下げられている。星の形や月の形、天使やトナカイのようなわかりやすい形のものは一切なくて、大中小の球形の飾りだけがぶら下げられている。だから、クリスマスと関係があるのかというと、今はその季節だからそう見えてしまうけれど、別の季節に見れば違うものに見える、そう見てもまったく差し支えないといえるかもしれない。色だって、緑と赤、あるいは銀色と金色といったわかりやすいペアですらなかった。それは白一色だったのだ。球形の飾り物だけが、いろいろな色のラメの輝きを放っていた。
小さなものから巨大なものまで、海に面した街には多すぎるのではないかと心配になるほどたくさんのショッピングモールがあった。その中で、一番古くて小さいモールの中で、わたしたちは小さなクリスマスの焼き菓子を買った。部屋へ戻り、夜景を見ながら食後のデザートにお菓子を食べた。ひとつの場所を離れるときには、いつかまたここに来たいと思いながら、飛行機に乗るものだと思ってきた。だから運良く、また戻ってくることができてうれしいとしかいいようがないのである。しかし、窓から見える海も空も、まるで時間が全然流れなかったかのように平和な青と白のコンビネーションである。光の加減で真っ青に見えたり、流れる雲が輝くような白だったりする。ふと気がつけばもう20年が過ぎているのである。不思議な気持ちになった。
一週間後、わたしたちは日常へ戻ってきた。今、目の前に見える景色の向こうに、輝く海と空と山と森は見えない。でも見えるような気持ちになってみて、なんとかやっていくしかない。
_ 本当に久しぶり。おそらく、もうどなたもここを訪れてくれる方はいないだろうけれど。
とてもたいへんな一年だった。でもそれも3月までだ。予定よりも一年早く、帰国することになった。帰国?どこへ?それが目下の最大の問題である。わたしはどこへ向かおうとしているのだろうか。いつになれば、なにも心配しなくてすむようになるのだろう。2020年、だって?もう100年か200年、過ぎたような気もする。いや、5年か6年か。
今年はもう少しここに書くようにしたい。ずっとなにも書かないで来た。紙の日記でさえ、もう書かないできた。飛ぶには重たすぎ、落ちるには臆病すぎて、ふらふらしているしかないような気がしている。いつまで?永遠に?